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津波とこれはすごいに関するtakeishiのブックマーク (4)

  • 津波にのまれながら市民救う 元釜石SWの森さん

    Tweet 勇敢な元ラガーマンの決死の行動が多くの命を救った―。社会人ラグビー・釜石シーウェイブスの元選手で、釜石市の新日鉄釜石製鉄所に勤める森闘志也さん(34)は、製鉄所前の水没した国道283号で、車内に取り残された人ら10人近くを次々と救助。自らも1度は津波にのまれながら、強靱(きょうじん)な肉体と精神力で、獅子奮迅の活躍を見せた。 3月11日。大きな揺れの時、森さんは製鉄所構内にいた。近くの甲子川の水が猛烈な勢いで引いていく。海から約1キロ離れていたが「津波が来る」と確信した。 国道283号は避難を急ぐ車で長蛇の列。「降りて逃げろっ」。何度も叫んだ。間もなく第1波。水圧でドアを開けられず、もがく人々。森さんは素手で窓ガラスを割り、まず5人を助け出した。 その直後、背後から174センチの背丈を越える第2波にのみ込まれた。自分がどちらの方向に流されているかも分からない。フェンスにぶつかり

    takeishi
    takeishi 2011/04/18
    こんなに救助しまくった人でも悔いが残るのか
  • 親子3人、泳いで生還 陸前高田、津波に巻き込まれ

    Tweet 「泳いで逃げよう」。普段はひょうきんな性格の長男の冷静な判断が、家族の命を救った。 陸前高田市広田町袖野の高橋悦子さん(47)は東日大震災が起きた3月11日、広田小に長男の裕喜君(当時・同校6年)と次男の凜人(りんと)君(同4年)を車で迎えに行って津波に巻き込まれた。 大きな地震に驚いて同校に向かい、自家用車に2人を乗せた悦子さん。自宅に続く海沿いの県道を運転していると右側から強い衝撃を受け、気付くと車が波間にぷかぷか浮いていた。凜人君は「頭が真っ白になり、パニック状態だった」と当時を振り返る。 100メートルほど流され、2の木にせき止められて止まったが、車の後ろの窓が割れて海水が入り込んできた。外の海水の高さは2メートル近くあり、第2波や第3波も迫る。 緊迫した車内で裕喜君は「少し波が引いたら泳いで逃げよう」と呼び掛けた。子ども2人は割れた窓から外に抜け出し、悦子さんは後

  • asahi.com(朝日新聞社):手作り避難所、70人救った 10年かけ岩山に 東松島 - 社会

    「佐藤山」の全景。左の岩山の奥に小屋やあずま屋がある。右下が登り口。手前の家の庭にはがれきが流れ込み、家も使えなくなった=宮城県東松島市手作りの避難所を造った佐藤善文さん。登り口には手書きの看板が掲げられていた=28日、宮城県東松島市、吉美奈子撮影  「津波なんてここまで来るわけがない」。そう言われながら、約10年がかりで岩山に避難所を造った男性がいる。700人以上が死亡した宮城県東松島市で、この場所が約70人の命を救った。  東松島市の野蒜(のびる)地区。立ち並ぶ高さ30メートルほどの岩山の一つに階段が彫られ、登り口に「災害避難所(津波)」と書かれた看板があった。お年寄りでも上れるように段差は低く、手すりもある。平らになった頂上には、8畳の小屋とあずま屋、海を見渡せる展望台が立てられていた。  近くに住む土地の所有者、佐藤善文さん(77)が10年ほど前から、退職金をつぎ込んで1人で造っ

  • asahi.com(朝日新聞社):市議の「遺言」、非常通路が児童救う 津波被害の小学校 - 社会

    児童らが避難した後、津波で押し寄せたがれきに覆われた越喜来(おきらい)小学校の非常通路(中央)。右の児童たちも、この通路から高台に逃れて助かった=28日、岩手県大船渡市三陸町越喜来、仙波理撮影平田武さん=親族提供津波避難用の非常通路が取り付けられていた場所(写真中央)には、流されたがれきが山積みになっていた=岩手県大船渡市三陸町越喜来、其山写す越喜来小学校の非常通路  岩手県大船渡市の海沿いの小学校に、津波から逃れる時間を短縮する非常通路をつけるよう提案し続けていた市議がいた。昨年12月、念願の通路ができた。市議は東日大震災の9日前に病気で亡くなったが、津波にのまれた小学校の児童は、通路を通って避難し、助かった。  海から約200メートルのところにある越喜来(おきらい)小学校。3階建ての校舎は津波に襲われ、無残な姿をさらしている。校舎の道路側は、高さ約5メートルのがけ。従来の避難経路は、

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