Search, watch, and cook every single Tasty recipe and video ever - all in one place! News, Politics, Culture, Life, Entertainment, and more. Stories that matter to you.
2013-08-06 「うちら」の世界 最近は冷蔵庫に入ったりなんかくわえたりするのが流行りらしいです。 このへんのことについては、書こうと思ってうまくいかなくていくつか文章を放置してあったんだけど、今日、どこぞのまとめ見て不意にまとまったので書いてみる。 なおこのエントリは、本来だったらもうちょい精密に考えなきゃいけないところを、自分の経験に引き寄せすぎて、ちょいとざっくりと処理しちまってるので、あんまり論としてはよいものではないです。 さて、件の炎上した人たちについては、バカに見える。現実問題としてアホだなあとは思うわけだが、俺自身の思想によって、バカであるという判断では終わらせられない。もしバカなのだとしたら、過去にも同様にバカはいたはずで、過去のバカと現在のバカはあまり変わらない、彼ら、彼女らだけが特異的にバカなのではない、と考えるわけだ。つまり、彼ら、あるいは彼女らが悪いというの
2012/1/1910:14 震災後の日本社会と若者(最終回) 小熊英二×古市憲寿 古市憲寿著『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)刊行記念イベント ―― 小熊英二・古市憲寿対談 / 2011年11月18日東京堂書店(構成 / 宮崎直子・シノドス編集部) 「震災後の日本社会と若者」(1) ⇒ http://synodos.livedoor.biz/archives/1883807.html 「震災後の日本社会と若者」(2) ⇒ http://synodos.livedoor.biz/archives/1884961.html 「震災後の日本社会と若者」(3) ⇒ http://synodos.livedoor.biz/archives/1885407.html ■信頼が崩れた 小熊 それでは最後に、震災で何が変わったのか、について語りましょう。私は一番変わったのは、秩序に対する信頼感だ
2012/1/169:46 震災後の日本社会と若者(1) 小熊英二×古市憲寿 古市憲寿著『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)刊行記念イベント ―― 小熊英二・古市憲寿対談 / 2011年11月18日東京堂書店(構成 / 宮崎直子・シノドス編集部) 「3.11で社会は変わった」という言説に根本的な疑問を投げかけ、震災後の若者たちの反応は「想定内」だった、と喝破した若き社会学者・古市憲寿さん。人は自分がリアルタイムで経験した事件を過大評価しがちである、と指摘する小熊英二さん。この両者が古市さんの新刊『絶望の国の幸福な若者たち』で提示された「震災後」の論点に検討を加え、「本当に震災後に日本社会は変わったのか」改めて語ります。はたして今、研究者は何ができるのか——。(東京堂書店HPより) 絶望の国の幸福な若者たち 著者:古市 憲寿 販売元:講談社 (2011-09-06) 販売元:Amazo
Kensuke SUZUKI @kskszk うかつなことを言うと「不謹慎」と非難される風潮への批判が目立ってきました。あるいは、日本人としての一体感を鼓舞したり、政府・技術者への無条件の感謝を捧げる声に、戦争中のナショナリズムに近いものを感じる人もいるようです。この点について、少しだけ考えてみます。 2011-03-16 10:49:29 Kensuke SUZUKI @kskszk まず、こうした思考法は、特に社会学において顕著だと思います。戦後のある時期からの社会学は、行政官のための道具作りのような仕事だけでなく、マジョリティの視点や常識的な見解からでは見えてこないリアリティを映し出すことが重要だ、という立場をとってきたからです。 2011-03-16 10:51:15 Kensuke SUZUKI @kskszk それとは別に過去の研究で参考になるのは、R.K.マートンが『大衆説得
はじめに結論から書いておこう。「国家が暴力を独占する」の意味は、国家が自らの暴力の行使に対してのみ、正統性を付与するということである。国家というのは、征服によるものであれ、共和主義的な統合によるものであれ、その集団がある領域内を実効支配した時点で、定義上、その領域内には少なくとも国家に匹敵しうるような暴力を行使可能な集団は存在していないはずである。だが、国家はなお支配のために「暴力を独占」する。それは、自前の暴力組織にのみ正統性を与えることによってであって、そうやって正統性を与えられた暴力組織を「軍隊」や「警察」と呼ぶ。ウェーバーによればその正統性の源泉は、近代国家においては「合法性」である。その正統性(=合法性)に基づいてはじめて、政府は国家内の自律的な暴力集団を規制したり弾圧することができるのである。 軍隊や警察は、人を殺しうる力を持っている。たとえ侵略軍から「国家を防衛」するためであ
(今回の議論はたぶん、かなり穴があります。ご承知おきを。...ってブログの記事はそもそもそういうものか。) 経済学に権力という概念が全くないわけではないと思うのですが、社会学ほどは目立たない概念でしょう。なぜでしょうか。 このことは、権力の定義を考えると自ずと見えてくるのではないでしょうか。まず手始めにWikipediaをみてみましょう。 権力(けんりょく、ドイツ語 Macht、英語 power)は、何らかの物理的強制力の保有という裏づけをもって、他者をその意に反してでも服従させるという、支配のための力のことである。権力者とは、そうした権力を独占的に、あるいは他に優越して保有し、それを行使する可能性をもつ者を言う。(権力:Wikipedia) ウェーバー的な定義ですが、日常的定義(人々が権力という言葉でどういった状態を指しているか)としてはこんなもんで十分なんじゃないでしょうか(フーコーの
◇なぜ「被害者意識」抱くか、この30年の歴史から探る 日本と中国、韓国の若者の比較研究などで知られる社会学者、高原基彰さんが、『現代日本の転機』(NHKブックス・1124円)を出した。なぜ日本では、特に若い世代が「被害者意識」とそれに基づく不満、不安を抱いているのか。この30年ほどの歴史を分析する中で、その答えを導いた。中国で研究を続ける高原さんが一時帰国した際に、本書について聞いた。【鈴木英生】 韓国や中国でも、若年層中心に「被害者意識」と言わなくとも、日本と似た若者の閉塞(へいそく)感、不安感がなくはない。「韓国で不安感を持つ人は、左翼に自己投影してデモに行くから、うっ屈しない傾向はある。でも、従来の左派、右派の言葉で表せない感覚を抱えた人は出てきている。中国の中産階級の若者にも、似た感じがあります。どの国でも、冷戦時の枠組みが言葉だけは残っている。人々は、その中でしかものを考えられず
今や改めて言うに及ばないことかもしれない。 私としては『2011年 新聞・テレビ消滅』とまで言うつもりはないが、テレビはともかく新聞はこのままではあと10年もたない気がする。 2011年 新聞・テレビ消滅 (文春新書) 作者: 佐々木俊尚出版社/メーカー: 文藝春秋発売日: 2009/07/20メディア: 新書購入: 16人 クリック: 462回この商品を含むブログ (146件) を見る ネット登場以前から新聞離れ(活字離れ)は叫ばれてはいた。 NHK放送文化研究所の生活時間調査によれば、1985年時点の新聞講読の行為者率(平日の場合)は20歳代の男性で51%だった。 つまり、2人に1人は新聞を読んでいた*1のが、95年には3人に1人(32%)まで下がっている*2。 これが2005年になると、5人に1人(21%)まで下がる。 30歳代、40歳代も同様である。 ただ、85年から95年の変化(
わりに自分でも思っている疑問を書いていた本がありました。ネットで存在は知っていましたが、近所の本屋さんの品揃えが全然読みたい本の筋と違っていて、新書なのですが結局アマゾンで購入。 仲正昌樹氏の『〈宗教化〉する現代思想』(光文社新書)です。その冒頭の文ですが、 「ネオリベ」って何? 最近、思想関係の本や雑誌で「ネオリベラリズム(新自由主義)」、略して「ネオリベ」という言葉をよく見かける。私は、この言葉が一部の社会学者や思想史家、評論家、ジャーナリスト等によって乱用され、何でもかんでもネガティブに見える社会現象に「ネオリベ」というレッテルを貼る傾向があることにひどく違和感を覚えている。 まったくここら辺には同感です。ひどいなと私に思えた議論はいくつかありますが、たとえば森永卓郎氏の そこで思い当たるのが、いわゆる新自由主義者の思想である。彼らの特徴の一つにエスノセントリズム(ethnocent
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く