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震災による被害が特に大きかった神戸市長田区。この地で遠藤が出会ったのは、長田区に暮らす河合節二さん(58)。長田区に生まれ育ち、街の再建を住民有志で取り組んできた人です。河合さんは25年前、この地で起きたことを語り出します。 【神戸市長田区の被害】 阪神大震災による被害が特に大きかった地域で、921人が死亡、2万3803棟が全半壊した。古い木造家屋や工場、商店が密集し、火災の延焼は拡大。神戸市全体の被害の7割にあたる4759棟が全焼した。 《朝日新聞デジタル特集「1.17 再現/阪神・淡路大震災」》 あのとき、もし私たちの手元にスマートフォンがあったなら、阪神・淡路大震災はどう伝えられただろう。地震発生後に起きた事象を時間ごとに、当時の写真や動画で追いながら、あの日を再現します。 「パパ、ママが埋まってる」 1995年1月17日午前5時46分。自宅で激震に襲われた河合さん。外に出ると、至る
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私は、1993年の1月に生まれた。1歳から大学までは、神戸市で生活していた。神戸はとてもいい場所だ。街の中心部である三宮はおしゃれな街で、大阪駅までも直通で30分。中華街で有名な豚まんを食べ、旧居留地の優雅な建築を抜ければ、港から海を見渡せる。中心部から少し足を伸ばせば、B級グルメを出す飲食店が立ち並ぶ下町の長田、六甲山の麓に日本屈指の酒蔵を擁する灘などにも行ける。どの地域も個性にあふれた「退屈しない街」だ。この街で人生の3分の2を過ごせたことを、私は幸せに思っている。 私が住んでいた地域には大学があった。このキャンパスは自然豊かなことで知られていて、敷地内に公園や池があったので、私は物心ついたときから時々家族とこの大学内を散歩していた。子どもだった私は漠然と、大きくなったら私もこんな学校で勉強するのかな、なんて思っていたものだ。 私が小学校にあがる前のある日、父とふたりで大学の中を歩いて
◎どんな漫画? 東日本大震災で家族を失った15歳の作者がホームレスになって生きるカラーTwitter漫画。 ◎何でこんな日記書くの?ほっとけばいいじゃん タイトル記事の漫画がこれからバズりそうなので、今のうちに冷や水をぶっかけておこうと思った。 というのも、自分も被災で家族を亡くしたり、親戚の人生が破綻したりして地獄を見たサイドの人間なんだよね。 あの震災を『お涙頂戴感動ポルノ』にパッケージして商売の種にしようって人間がものすごく気に入らねえから。 ◎まず騙されないで欲しい事 最初にハッキリ、結論から言わせてもらうとステマ案件と思われる。 あの漫画、8割の確率で編集者の手がもう入ってるね。 そして描いてる人間、100%プロ。見る人が見れば一発でわかる。 可愛い動物で主人公を表現するあざとさだとか、塗りの見やすさだとか、コマ割・ネームの視線誘導だとか… (今はイラストレーターや漫画家、編集の
阪神・淡路大震災から1年後に兵庫署(神戸市兵庫区)が作成した内部向け記録集には、これまで公表されてこなかった地震直後の生々しい状況が記される。倒壊した庁舎にいた署員は28人。うち10人が生き埋めになる中、管内の全壊建物は9500棟、全焼は900棟を超え、住民からの救助要請が署に相次いだ。現場にいた署員らの証言とともに、あの日を再現する。 午前5時46分、当直責任者として1階宿直室で仮眠していた刑事2課長山崎保(59)=灘署長=は激しい揺れの後、暗闇でぽたぽたと液体が滴るのを感じた。頭から出血。10針を縫う大けがだった。落ちてきた天井が目前に迫り、倒れたロッカーに脚が挟まれて動けない。 兵庫県警本部は無線で全署に呼び掛けたが、兵庫署から応答はない。地域2課員野口岳志(50)=サイバー犯罪対策課次席=が3階宿直室から2階に下り叫んだ。「階段がなくなった。1階がぺしゃんこです」。助けを求める声が
相次ぐ幽霊目撃談 被災地で幽霊を見た――。 東日本大震災の直後に、被災地で取材をした経験から言わせてもらえれば、幽霊の話はたしかに多かった。ただ、震災の直後より、4ヵ月くらいが経ってお盆が迫ってきた頃から、急にこの種の話が増えたように感じる。 震災の直後は、被災した土地には見わたす限り瓦礫がつみ重なり、多い時は1日で数十体もの遺体が見つかり、自衛隊や消防の車両で遺体安置所へ運ばれていった。遺体安置所はどこも冷たく、悲しみに満ちていた。 この時の遺体安置所にどのような光景が広がっていたかについては、拙著『遺体 震災、津波の果てに』(新潮文庫)に書き記したので、ご参照願いたい。 ここに集まっていた遺族はすぐに幽霊の話をしはじめたわけではない。最初はまったくといって言いほど聞かれなかった。だが、1ヵ月、2ヵ月と経つうちに、彼らの口から語られるようになっていったのである。 取材の中で聞いた話をいく
toshi fujiwara/藤原敏史 @toshi_fujiwara あまり語られない話だが、神戸の震災では港の復興は完全に失敗している。理由は「元に戻す」ことばかり考えて、国際的な海運の輸送手段の変化に対応する港にしなかったから。東北ではこれどころではない無駄な「復興のフリ」が頻発する可能性はけっこうある。 2012-03-16 09:52:03 ('_') @shangri_la_19_o http://t.co/myR88nhd ご参考まで RT @toshi_fujiwara: あまり語られない話だが、神戸の震災では港の復興は完全に失敗している。理由は「元に戻す」ことばかり考えて、国際的な海運の輸送手段の変化に対応する港にしなかったから。東北ではこれどころでは… 2012-03-16 17:50:01
原子力防災担当相を兼務している丸川珠代環境相は16日午前11時半からの政府の地震非常災害対策本部会議で、稼働中の九州電力川内原発(鹿児島県)について、「原子力規制委員会において停止させる必要はないと判断されている」と報告した。 丸川氏は「今回の地震で川内原発において観測された地震動は最大で12・6ガルとなっている。これに対し、原子炉運転中に自動停止させる設定値は80~260ガルに設定されている。さらに同発電所は新規制基準への適合性審査で620ガルの地震動を受けたとしても、安全上重要な機能は確保されることを確認している」と述べた。
熊本地震の発災以降、多くの流言がネット上に拡散されました。それらを網羅的に収集するつもりはありませんが、代表的なものを簡単に整理しつつ、改めて注意喚起をさせていただきたいと思います。 被害を誇張する流言 災害時には、非日常的な環境変化によって気分が高揚するためか、被害を誇張するタイプの流言を拡散する人が後を絶ちません。熊本地震では現在のところ、「動物園からライオンが逃げ出した」「川内原発で火災が発生」「ショッピングモールで火災が発生した」といった流言が確認されています。最初のツイートを行った人たちは、まったく無関係の画像を貼りつけていることから、本人の投稿意図としては「ネタ」のつもりなのかもしれません。しかし、無用な問い合わせの電話等を増加させるなどすれば、様々な支援現場の足を引っ張ることにもなりかねず、悪質です。 熊本地震のデマ、ネットで出回る 安易な拡散には注意を デマツイートにご注意
6434人が死亡した阪神・淡路大震災から17日で20年になります。 地震の激しい揺れの瞬間を記録した20か所の防犯カメラの映像が見つかりました。 そこには数秒で激しい揺れが襲う直下地震の危険性が捉えられています。 阪神・淡路大震災では住宅およそ24万9000棟が全半壊し、神戸市や兵庫県西宮市など、特に被害が集中し震度7を記録した長さおよそ25キロ幅1キロ前後の地域は「震災の帯」と呼ばれました。 見つかったのは、この震災の帯の中や周辺で激しい揺れの瞬間を記録した20か所のコンビニエンスストアの防犯カメラの映像で、東京大学に保管されていました。 地震の激しい揺れは、地震計の記録から15秒ほどと分かっていますが、映像のほとんどは数秒で途切れていて、揺れ始めの数秒間の破壊力を物語っています。 数秒間を詳しく見ると、揺れ始めた直後に激しい揺れが襲い、店の棚などが勢いよく倒れる様子や、揺れに耐えきれず
渋谷のインフォスタワー周辺を歩いてたら、もろヤンキーの二人組に声かけられた。「ねえ、109ってこの辺?」全然違うよって結局109まで送ってった。妹が欲しいって言ってた服を、福島からわざわざ買いに来たんだって。んで、それをお供えするんだって。流される前に、家があった場所に。 約3時間前 au one Friends Noteから Retweeted by 100+ people
31日午前10時40分ごろ、兵庫県香美町香住区余部沖北西約1.2キロの日本海で、無人の小型船が漂流しているのを漁船が発見。香住海上保安署の巡視艇が近くの香住漁港東港までえい航した。 同署によると、小型船は3月の東日本大震災の時は岩手県大槌町の吉里吉里(きりきり)漁港に係留されており、津波で流された遊漁船「第3長栄丸」(長さ約6メートル)。所有者で同町の会社員、野崎長一さんは津波で63歳で亡くなっている。 長一さんの兄で同町議の重太さん(68)は毎日新聞の取材に「弟が趣味の釣りに使っていた船。吉里吉里漁港の船が(津波で流され)北海道で見つかった話はよく聞くが、山陰で見つかったのは驚いた」と話した。 太平洋の黒潮、日本海の対馬暖流は年間を通じて南から北に流れており、同署は「韓国や九州から山陰に漂流物が流れ着くことは多いが、東北の太平洋岸からなぜ(船が)流れ着いたかは分からない」としている。【皆
復興財源に「打ち出の小づち」なし=国債引き受け、明確に否定―白川日銀総裁 時事通信 5月25日(水)17時0分配信 日銀の白川方明総裁は25日、内外情勢調査会(会長・中田正博時事通信社長)で東日本大震災後の日本経済をテーマに講演し、国の借金である国債を日銀が直接引き受けることについて「無から有を生み出す打ち出の小づちのような便利な道具はそもそも存在しない」と述べ、明確に否定した。与党内の一部には、震災の復興財源を捻出するため、日銀の国債引き受けを求める声があるため、こうした動きを念頭に置いたものとみられる。 白川総裁は「財政規律の低下を招きやすいという深刻な副作用がある」とも指摘。その上で、震災以降も国債が順調に消化されていることを踏まえ「市場の安定が保たれている間に、成長力の強化と財政の立て直しに向けた動きを進めていくことが不可欠だ」などと強調し、中期的な財政再建への道筋を早急に示すよ
気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 1923年9月1日。日本史上最悪の被害をもたらした、関東大震災が発生した。東京都、神奈川県を中心に、死者・行方不明者は10万人を超え、首都の金融システムも麻痺状態に陥った。金融システムが機能しなくなってしまったため、決済などが不可能になり、日本経済全体も大混乱に陥ってしまったのである。 震災発生の翌日(9月2日)に山本権兵衛内閣の内務大臣に就任した後藤新平は、その日の深夜には「帝都復興」のための復興根本策を起案した。後藤新平が帝都復興のために用意しようとした予算は40億円(「関東大震災発生後における政策的対応」国立国会図書館 ISSUE BRIEF NUMBER 709[2011.4.28.]より。以下同)。当時の一般会計予算(約15億円)の
【スイス国際学術財団Fondation de l'Ecole des Hautes Etudes en Sciences Culturelles/FEHESC(Geneve)】 【文化科学高等研究院出版局(EHESC出版局)】http://ehescbook.com
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