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批評に関するTomosugiのブックマーク (89)

  • 【感想】東浩紀『ゆるく考える』 - ブサイクバカンス読書部

    限りなく3月に近いけど、日付上はもう4月です。 ほんとうはもっとはやく更新するはずだったのですが、ウルトラのツアーのチケットも確保済みだった電気グルーヴファンなので、ちょっと精神的にキツい時期がありまして。 逮捕報道が出た翌日なんて心身が絶不調で……。 ほんっとうに不調で、「夜は墓場で運動会、深夜は畳でゴム草履」「夢の中でもタワシが売れない」「ユニフォーム姿の半漁人」「賽の河原で学級会」「貴い手淫、「貴ナニー」」など、数々の言葉が脳にあらわれては消えあらわれては消え。 せっかくだから、浮かんだ文言を、電極を刺してコンピュータに繋いでるタイプの友人の脳に直接、端末から送り込んでは消し、送り込んでは消し。 そんな遊びをしているうちに少しずつ少しずつ気持ちも上向きになり、「まぁ、スモールルームフィロソフィ哉さんも逮捕されたことあるし……」なんて後ろ向きな慰め方もしつつ、ようやく読み終えたのがこの

    【感想】東浩紀『ゆるく考える』 - ブサイクバカンス読書部
  • Vol.1 情報技術は、人間を進化させない

    思想家・東浩紀さん。 美少女ゲームやアニメ、漫画、現代小説など、様々なを横断的に論じ、“セカイ系”や“データベース消費”といった時代を象徴する概念を提唱。「ゼロ年代」と呼ばれる時代のサブカルチャー批評を牽引する存在として活動してきた。 2010年には、株式会社ゲンロンの前身となる合同会社コンテクチュアズを設立し、現在まで続く出版機能を持った場づくりの運営に着手。 思想家やクリエイターらが日夜議論する「ゲンロン・カフェ」や、大学に代わる学び舎としての「ゲンロンスクール」といった事業を展開している。 自社で出版する批評誌『ゲンロン』はじめ2月に刊行されたばかりの『ゆるく考える』(河出書房新社)など、数々の出版社から単著を出す思想家として第一線で活動しながら、次世代の思想家や芸術家の育成を目的とした事業を推進する企業の経営者として、10年近く陣頭指揮をとってきた。 事業家であり思想家であるという

    Vol.1 情報技術は、人間を進化させない
  • 意味がない無意味 書評|千葉 雅也(河出書房新社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」

    書は、現代日の思想シーンにおける最も重要な書き手の一人である哲学者・千葉雅也による、『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』(河出書房新社、二〇一三年)に続く、哲学的かつ批評的な第二の主著である。哲学論文の他に、美術批評、ファッション批評、書評、その他分類しづらいエッセイなどが、適切な改稿を施されたうえで書には収められている。したがって私たちは書を通じて、千葉の「第一期の仕事」(と千葉自身が名づけるもの)をファイナライズされた状態で、パノラミックかつミクロスコピックに振り返ることができるようになったと言えるだろう。 この「第一期の仕事」の鍵概念は、『動きすぎてはいけない』での表現に従えば「非意味的切断」、そして「有限化」であった。書はこれらの概念を、新たに「意味がない無意味」というトートロジー的表現によって名づけなおそうとする。書序論「意味がない無意味――あ

    意味がない無意味 書評|千葉 雅也(河出書房新社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
  • 東浩紀、佐々木敦、市川真人による「批評とは何か」論のまとめ - とまべっちーの考え事

    東浩紀、佐々木敦、市川真人が「批評とは何か」について会話していた。とても示唆的だったので記録しておきたい。 「批評再生塾第4期キックオフ&第3期大反省会」 2018/05/09 東「あれは失敗だったと思う経験があるとき、でも自分の人生だからそう思うわけにはいかないので、後付けで、あれが伏線だったかのように嘘をついていく。それが信仰ということで、自分もそれをやっているし、批評というのもそういう作業だし、すべての人間の人生がそういう構造をしているはずだ。僕たちは失敗をあたかも成功だったかのようにして回収するしかない。」 市川「その回収が根的に難しいわけで、多くの場合、自分の人生は間違ってなかったとどんどん内に籠って回収していくことになる。そうではなくて、論理的にありうるように世界を組み替えていくことが大事だ。」 佐々木「人は失敗もするし、運命から逃れられないけれど、そんな自分やこの世界が自分

  • cakes(ケイクス)

    cakesは2022年8月31日に終了いたしました。 10年間の長きにわたり、ご愛読ありがとうございました。 2022年9月1日

    cakes(ケイクス)
  • まともにトラップもできない“にわか”は黙ってろよ

    ・俺自身も高校時代県ベスト8が限界だった選手にすぎないから、この理論を突き詰めていくと、トップレベルの選手しかサッカーを語れなくなってしまう。 ・サッカー技術と「試合を見る目」はまったく別のもの。 ・楽しみ方は多様であっていいし、試合を分析してあーだこーだ議論する楽しみ方はあってもいい。 上記は充分に理解している。だが、しかし言わせてもらいたい。 まともにボール蹴ったことないような奴がえらそーに「アタッキングサードの動きが…」とか語ってんじゃねぇよ。 「日本代表には有効なサイドチェンジがない」。そうかもしれないけど、お前はサイドチェンジのボールとか来たら、絶対一発でトラップできないよね?ミスってライン割っちゃうようね?ボール出す側だったら、逆サイドなんか目にも入らないよね? そもそも偉そうに語ってる連中のほとんどは、そいつらが一番体力的に充実していた時期であっても90分間走りきれないだろ

    まともにトラップもできない“にわか”は黙ってろよ
  • REALKYOTO – CULTURAL SEARCH ENGINE » 高谷史郎の《ST/LL》——言葉と映像の彼方へ

    浅田彰 舞台上、鏡のように磨き上げられた黒い床の上に、観客から見て縦方向に長いテーブルが置かれている。そこへ、天井からスパイダー・キャメラがするすると降りてきてテーブルをスキャンし、舞台奥の縦長のスクリーンにその映像を映し出す。陶器やガラス器、ナイフやフォーク。バラバラの時間を刻むいくつかのメトロノーム。リンゴの赤だけが色彩を添えるが、他には物も飲物もない。これから事が始まるのか。それにしては、器類はバラバラに並んでいる。やがて、二人の女性が左右の席に着き、男性と女性が器類を片付けて給仕を始める——と思ったら、人が動き出したとたんに床に波紋が広がり、観客はそれが実は水面だったことを知るのだ。静かな緊張に満ちて美しい、これがパフォーマンス《ST/LL》の始まりである。女性たちは左右対称を保ちながら存在しない物をべ、存在しない飲物を飲む。その儀式めいた事が終わると、次のシーンでは

  • 論文制作の方法 - Lichtung

    はじめに:論文制作の方法を問うて何がうれしいのか 論文はいかに作られているのか、論文はどう作るべきなのか、どのような構成要素から論文の制作は成り立っているか。こうした論文の制作に関する問いを仮に「論文制作」に関する問いと呼ぼう。論文制作に関する議論は、いくつかの著書でもなされている*1。これらは、理論と概念の扱い、問いの立て方、資料調査法など、論文制作の上で注意すべき諸々の構成要素に注意を促し、効果的な手法を提示する優れた著作であり、その有用性に疑いはない。 だが、どのようなツールをどのように使うか、どのような作業を繰り返しているのかといった、より日常的で具体的な論文制作の方法の共有は、ゼミや授業の現場ではなされているかもしれないが、著作や論文の形では、これまでそれほどなされてきたとは言えないと考える。しかし、こうした具体的な情報を一般に共有することは、各研究者の研究方法の自己反省の手がか

    論文制作の方法 - Lichtung
  • [2018年 本ベスト5]AI/ITへの疑問 - 福嶋聡|論座アーカイブ

    [2018年 ベスト5]AI/ITへの疑問 『デジタルネイチャー』、『技術の完成』、『さよなら、インターネット』…… 福嶋聡 MARUZEN&ジュンク堂書店梅田店 落合陽一は、敵を回すには間違いなく手強い 今年6月に、落合陽一の『デジタルネイチャー――生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂』(PLANETS)が出た。 落合の著書、共著書はよく売れる。同世代、あるいは同時代のオピニオンリーダーとしての地位を、すでに獲得している。ホリエモンこと堀江貴文との共著『10年後の仕事図鑑』(SBクリエイティブ)も、ずっと売れ続けている。 落合陽一は、ぼくがずっと気になっていた書き手でもある。の売れ行きも理由の一つだが、何よりAI/ITによる社会・労働・経済・政治の変革を志向、というより自明視しているように思われる節が、AI/IT信仰に疑問をいだき続けてきたぼくに、落合の言説とその影響力を看過させ

    [2018年 本ベスト5]AI/ITへの疑問 - 福嶋聡|論座アーカイブ
  • (文芸時評)作家の生き様 具体性・身体性の積み上げ 磯崎憲一郎:朝日新聞デジタル

    創作特集が組まれている構成は従来とさほど変わらないが、今月の文芸誌新年号は、「文学にできることを」(群像)、「読むことは、想像力」(新潮)といったタイトルが付されたことによって、小説をめぐる状況に対する、ある種の危機感が表明されているようにも感じる。 * 笙野頼子「返信を、待っていた」(…

    (文芸時評)作家の生き様 具体性・身体性の積み上げ 磯崎憲一郎:朝日新聞デジタル
  • 東浩紀「世界はいま、日本人の共感能力の欠如に苛立ち始めている」 | AERA dot. (アエラドット)

    東浩紀(あずま・ひろき)/1971年、東京都生まれ。批評家・作家。株式会社ゲンロン代表。東京大学大学院博士課程修了。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2・0』『観光客の哲学』など多数 東浩紀「世界はいま、日人の共感能力の欠如に苛立ち始めている」(※写真はイメージ) 批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。 *  *  * ソルジェニーツィンという作家がいる。ソ連時代の収容所経験を描いた作家で、1970年にノーベル文学賞を受賞した。いまモスクワではこの作家の像を建てる計画が進んでおり、コンペが行われている。偶然モスクワにいたので、候補作展示の会場をのぞいてみた。 ソルジェニーツィンは

    東浩紀「世界はいま、日本人の共感能力の欠如に苛立ち始めている」 | AERA dot. (アエラドット)
  • 【M-1】とろサーモン久保田&スーマラ武智、上沼恵美子に謝罪「失礼極まりない言動をしてしまい申し訳ございませんでした」★28

    0036名無しさん@恐縮です2018/12/05(水) 10:22:42.02ID:mo6diJT/0 ギャロップのは良くあるハゲ方に良くある体型、良くある顔立ち、 更に設定も若者の中に入るおっさんという設定だから会社で若者の中で孤立してるおっさんが共感して観てる人が傷つく (若しくは笑う事に罪悪感を覚える) ハゲが暗くてガチで傷ついてそうなのも駄目 ミキのはブサイクがジャニーズに応募するというあり得ない設定でしかもお兄ちゃんが明るいから笑える ぶっちゃけハゲかたが面白くない(ハゲ方が普通なのが悪い)、暗い自虐は駄目(同じタイプが傷つくから)という審査員の批評は正しい 審査員を否定してるやつの方が解ってない 漫才は馬鹿にされる方が共感される感じを出しちゃアカンねん ギャロップの林はハゲかたが普通(面白くない)で暗いから見てるおっさんが共感して自分がイジメられてる気分になっちゃうねん (若し

  • 嵐山光三郎「志らくか志の輔か」 | AERA dot. (アエラドット)

    二人の特徴と違いは…(※イメージ) 故・立川談志氏の弟子である立川志の輔氏と立川志らく氏。作家の嵐山光三郎氏が二人の特徴と違いについてこう評する。 *  *  * 銀座ブロッサム中央会館の立川志らく独演会へ行ってきた。演し物は「居残り佐平次」と「品川心中」という大ネタだ。 銀座ブロッサム中央会館での志らく独演会には忘れ得ぬ思い出があり、2011年の東日大震災直後、館内停電を覚悟で、ローソクを用意して公演を強行した。銀座の街灯は消え、人通りがなく、灯火管制下のような落語会であった。語り草となった記念碑的落語会であった。 二年前の三月中旬、同会館へ行くと隣席に安西水丸が坐っていた。立川企画の配慮でそうなった。水丸と会うのは二ケ月ぶりで、水丸が志らく独演会にくるのは初めてだ。水丸と最後の仕事になる『ピッキーとポッキーのはいくえほん』(福音館書店)を刊行したところだった。 水丸はつぶやくように、

    嵐山光三郎「志らくか志の輔か」 | AERA dot. (アエラドット)
  • うーん? 優勝は「和牛」でしょう!――「お笑い」と「ことば」 - 吉村誠ブログ「いとをかし」

    今年も、笑いながら、拍手しながら、ヒヤヒヤしながら「M-1グランプリ」を見ました。 自分が立ち上げに関わったテレビ番組が大きく育って、今や、押しも押されぬ「漫才界の頂点」を競うビッグな番組になったことは、とても嬉しいことです。 テレビの画面を見ながら、その裏で生番組ならではの緊張に追われている後輩スタッフたちの姿を思い浮かべつつ、OAを楽しみました。 全体として、高いレベルを保ちながら緊張感にあふれた、とても良い出来だと思いました(こう言うと、先輩ヅラした、なんだか嫌な奴だと思われそうですが、こんな批評をもきちんと受け止める謙虚さが表現制作者には必要なのです)。 素材VTRの作り方、あおりナレーションの付け方、アタックBGの選び方、最後の結果発表に至るまでの緊張感の高め方、いずれも極上のエンターテイメントになっていました。 で、今年最初に笑ったのは、審査員の立川志らくさんの、 「もう談志が

    うーん? 優勝は「和牛」でしょう!――「お笑い」と「ことば」 - 吉村誠ブログ「いとをかし」
    Tomosugi
    Tomosugi 2018/12/04
    形を変えた「最近の若いヤツは」に過ぎない
  • 資本主義的、革命的(前編)—東浩紀の広告戦略について - 批評集団「大失敗」

    新しい情報の提供があるわけでもなく、新しい価値判断があるわけでもない、ましてや学問的研究の積み重ねがあるわけでもない、なにか特定の題材を設定しては、それについてただひたすらに思考を展開し、そしてこれいった結論もなく終わる、奇妙に思弁的な散文(『ゲンロン4』33頁) 東浩紀によって、「批評」とはこのように要約され、定義されている。東によれば批評とは日における特異な現象であり、批評それ自体が考えるに値する。東の思索は、その批評の内容や対象というよりは、その批評という営為が生まれてくる現象そのものに向いている。 東は「批評」という語自体を批評という営為の「可能性の中心」に据えるのだ。 ▲広告の例 歴史修正的 批評という病は、言い換えれば言葉と現実の乖離は、ねじれそのものが解消されなければ癒えることがない。そしてそのねじれはいまも変わらずに存在している(『ゲンロン4』33頁、強調引用者) こうい

    資本主義的、革命的(前編)—東浩紀の広告戦略について - 批評集団「大失敗」
  • 資本主義的、革命的(後編)—外山恒一の運動する運動 - 批評集団「大失敗」

    ※前編 daisippai.hatenablog.com 前編では、東浩紀について論じた。後編では外山恒一について扱う。 批評≠思想 「資」主義に対抗して、それ以上に自らの批評の普遍性を打ち出すことのできる「革命家」。〔…〕革命家は、観客を育てるのではなくオルグする。言い換えれば、観客を無理やり当事者に変えてしまう。観客の育成は、当事者=優秀な党員を確保するためである。こちらは、むしろ、セクトを作ること、党派を作ること、タコツボを増殖させつつ拡大することが重要である。(『資主義的、革命的』前編より) 私は前編で、批評家のあり方として一方の「資家」の極に東浩紀を置き、もう一方すなわち「革命家」の極に外山恒一を置いた。しかし、これは実は恣意的な操作である。外山恒一は批評家ではないからだ。だからこれは正確には「思想のあり方」と言い直さなければならないのかもしれない。 けれども、実際のところ

    資本主義的、革命的(後編)—外山恒一の運動する運動 - 批評集団「大失敗」
  • SF史に残る(べき)ゲームたち:第9回『大神』前編――ゲームそれ自体への批評と個人的背景

    次は『大神』を扱おうと思う。だが、題に入る前に、前編としていささか長めの「方法論」的な話を書いておくことにしたい。今までは読者に負担をかけるだろうと思って遠慮してきたのだけれど、読んでくださった方々の反応を見ていて、そろそろ明示して説明しておいたほうが親切だろうと考えるようになってきた。 ゲームに関する批評はちょうど、東浩紀編集の批評雑誌『ゲンロン』のゲーム特集や、『SFマガジン』のゲーム特集などが刊行され、議論が盛り上がり、積み重ねられている最中だ。連載もほんの少しながらそれに資することができればと考えている。 さて、連載が、「SF」にフォーカスしながら「ゲーム」を語ることの狙いについては何回か記してきたので、今回は、「ゲーム」を「評論」するために連載がどのような方法論を採っているのか、その考えを読者の皆さんに伝えておくことにしたい。 ゲームそれ自体を評論するために――先行研究

    SF史に残る(べき)ゲームたち:第9回『大神』前編――ゲームそれ自体への批評と個人的背景
  • 「文藝評論家」小川榮太郎氏の全著作を読んでおれは泣いた | 「文藝評論家」小川榮太郎氏の全著作を読んでおれは泣いた | 高橋源一郎 | Webでも考える人 | 新潮社

    9月21日・金曜日の夜、「新潮」編集部から電話がかかってきた。おかしいな、と思った。今月は締め切りがないはずなんだが。イヤな予感がした。おれは、少しの間ためらった後、電話に出た。案の定だ。「新潮45」問題について書いてくれ、というのである。確かに、おれは、その問題についてツイッター上で少しだけ発言をした。それだけだ。面倒くさいし、何のためにもならない。一晩考えさせてくれ、といっておれは電話を切った。でも、おれは引き受けることになるだろう、と思った。「面倒くさくて何のためにもならないことは引き受けろ」は、高橋家の家訓なのである。 書くことを引き受けてすぐ、「新潮45」の休刊が決まった。この問題については、考えなければならないことが多すぎる。休刊の是非、雑誌や出版社、あるいは著者のあるべき姿、休刊の直接的な原因となったであろう小川榮太郎氏の論文の問題点、当該特集号の各投稿それぞれが抱えている異

    Tomosugi
    Tomosugi 2018/10/19
    新垣さんと対談してほしい
  • 新潮社の看板に「あのヘイト本、」Yonda?とラクガキ

    この看板は横型で、新潮文庫のPR用にパンダのマークと「Yonda?」というメッセージが書かれている。「Yonda?」のキャッチコピーの上に、「あのヘイト、」という言葉が何者かによって書き加えられていた。24日午前10時までに、この看板の該当部分はブルーシートに覆われて見えなくなった。

    新潮社の看板に「あのヘイト本、」Yonda?とラクガキ
  • ファンク・ギターの50年:人物、歴史、スタイル - obakeweb

    ファンク・ギターとはなにか。 僕は学部生のころ、ブラック・ミュージックを専門に演奏するサークルに所属していた。 ファンク・ギタリストとして4年間活動し、改めて思うことがある。 「ファンク・ギターってなんだ?」 折しも分析哲学という「言葉遣いや概念の定義を扱う学問」に携わっている身として、この問題を一身に引き受けようと思った次第。 それから数日、メインで研究している作者性だとかサブで研究しているVaporwaveを放り投げ、驚天動地の熱意でもって書きあげたのが稿である。*1 私見を言わせてもらえば、ファンク・ギターとはベースやドラムやホーンよりもずっとずっとずっと過小評価されているジャンルである。キーボードよりは幾分マシだ。 過小評価でなければ、こう言ってもよいが、だいぶ誤解されているジャンルでもある。あとで後述することになるが、カッティングひとつ取っても、その奏法の質はだいぶ勘違いされ

    ファンク・ギターの50年:人物、歴史、スタイル - obakeweb