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これはすごいと東日本大震災に関するtakeishiのブックマーク (11)

  • 視点・論点 「生きづらさを支えるということ」 | 視点・論点 | 解説委員室ブログ:NHK

    精神科医 森川すいめい ご家族を亡くした方、家や仕事を失った方、生きてきた理由を失った方がおられます。この先どのように生きたらいいのか不安で仕方がないと言います。 その不安には、二つの種類があります。一つは、経済的なことや環境の変化であるといった、すなわち、生き方の具体的な変化に対応できるのかという不安です。もう一つは、震災時に強いショックを受けた、たとえば、目の前で突然ご家族が亡くなったという記憶、自分があの時こうしていればよかったというような後悔の記憶、そうした感情を大きく揺らす記憶を抱えながら、未来を生きられるのかという不安です。 さて、震災後、「こころのケア」が必要だということが、多くの場で語られました。日は、「こころをケアする」ためには、何をどう考えて、どのようにしたらいいのかについて議論したいと思います。 こうした中で、私たちは、戦略と、活動のコンセプトや理念を練り直

  • 河北新報 東北のニュース/南三陸町が高台移転用地を取得 楽天元副社長が購入寄付

    南三陸町が高台移転用地を取得 楽天元副社長が購入寄付 東日大震災で被災した宮城県南三陸町戸倉地区の高台移転用地として町が取得を目指したものの、町議会で議案が否決された同町戸倉のゴルフ場開発跡地106ヘクタールを、楽天元副社長の城慎之介氏(39)が購入し、町に寄付していたことが10日、分かった。  土地登記によると2011年12月に、所有する東京の投資会社から城氏が土地を購入、26日に南三陸町に寄付された。同月下旬に都内で佐藤仁町長と面会した城氏が土地を寄付する意向を示し、町が受け入れた。  町では同跡地を高台移転の住宅用地のほか、土地利用計画案に学校や公民館など被災公共施設の建設用地を盛り込むなど戸倉地区の中心市街地再生の核になると見込んでおり、寄付により復興計画の加速が期待される。  城氏はインターネット仮想商店街「楽天市場」の創設に関わった。震災後はボランティアで南三陸町を訪

    takeishi
    takeishi 2012/01/11
    豪快な寄付/坪じゃなくてヘクタールか。揉めるような金額でもなかったような気がするがなんで。
  • 東日本大震災:仮設住宅にリヤカー行商 弱者ケアも 福島 - 毎日jp(毎日新聞)

    東日大震災の被災者が暮らす仮設住宅を行商スタイルで訪問し、生活支援を行う取り組みが福島県相馬市で始まった。住民の話し相手になったり、買い物に不自由している高齢者を支えたりするのが目的で、スタッフは「仮設住宅でも強い絆を作り、孤独死などを防ぐきっかけにしたい」とリヤカーと一緒に集落を回る。 震災で仕事を失った漁業者や仲買人が中心となり、5月にNPO「相馬はらがま朝市クラブ」を結成。市と連携して19日から、平日のリヤカー行商を始めた。野菜や生活用品を市内で仕入れ、市内の仮設住宅を巡る。 高齢者や障害者など災害弱者のケアも活動の大きな柱。95年の阪神大震災では、仮設住宅で暮らす人たちの孤独死などが社会問題化した。井戸端会議や戸別訪問で、暮らしに問題が起きていないかどうかもチェックする。 155戸395人が生活する大野台第1仮設住宅の担当は、朝市クラブの須田和子さん(63)と菊地真由美さん(47

  • 津波にのまれながら市民救う 元釜石SWの森さん

    Tweet 勇敢な元ラガーマンの決死の行動が多くの命を救った―。社会人ラグビー・釜石シーウェイブスの元選手で、釜石市の新日鉄釜石製鉄所に勤める森闘志也さん(34)は、製鉄所前の水没した国道283号で、車内に取り残された人ら10人近くを次々と救助。自らも1度は津波にのまれながら、強靱(きょうじん)な肉体と精神力で、獅子奮迅の活躍を見せた。 3月11日。大きな揺れの時、森さんは製鉄所構内にいた。近くの甲子川の水が猛烈な勢いで引いていく。海から約1キロ離れていたが「津波が来る」と確信した。 国道283号は避難を急ぐ車で長蛇の列。「降りて逃げろっ」。何度も叫んだ。間もなく第1波。水圧でドアを開けられず、もがく人々。森さんは素手で窓ガラスを割り、まず5人を助け出した。 その直後、背後から174センチの背丈を越える第2波にのみ込まれた。自分がどちらの方向に流されているかも分からない。フェンスにぶつかり

    takeishi
    takeishi 2011/04/18
    こんなに救助しまくった人でも悔いが残るのか
  • 親子3人、泳いで生還 陸前高田、津波に巻き込まれ

    Tweet 「泳いで逃げよう」。普段はひょうきんな性格の長男の冷静な判断が、家族の命を救った。 陸前高田市広田町袖野の高橋悦子さん(47)は東日大震災が起きた3月11日、広田小に長男の裕喜君(当時・同校6年)と次男の凜人(りんと)君(同4年)を車で迎えに行って津波に巻き込まれた。 大きな地震に驚いて同校に向かい、自家用車に2人を乗せた悦子さん。自宅に続く海沿いの県道を運転していると右側から強い衝撃を受け、気付くと車が波間にぷかぷか浮いていた。凜人君は「頭が真っ白になり、パニック状態だった」と当時を振り返る。 100メートルほど流され、2の木にせき止められて止まったが、車の後ろの窓が割れて海水が入り込んできた。外の海水の高さは2メートル近くあり、第2波や第3波も迫る。 緊迫した車内で裕喜君は「少し波が引いたら泳いで逃げよう」と呼び掛けた。子ども2人は割れた窓から外に抜け出し、悦子さんは後

  • 千羽鶴の幸せな行方は、なんとジェフ・ベゾスのおかげだった! - michikaifu’s diary

    昨日、わが息子の通っている中学(Middle School)にて、毎年恒例の「マルチカルチュラル・フェア」が開催された。前から私は、日ブースの企画チームの一員で、剣道のパフォーマンスを知り合いにお願いしたり、日出張時に我が中学で大流行中の「ハイチュウ」(アメリカで売っているバージョンでなく、日で売っているモノが特に貴重とされている)を調達したりなど、(料理やクラフトや飾り付けが大の苦手な私なりの)役割をいただいてごちゃごちゃやっていた。 たまたま大震災のため、ブースで単に「展示」のつもりだった折り鶴は、「折ったものを日に送る」という話が持ち上がった。わがブース委員会からの話ではなく、地元のガールスカウトがそういう運動をやっているので手伝ってくれと言われた、ということだった。 しかし、以前にハイチの地震のとき、「ハイチに千羽鶴を送ろう」と言いだした人が「アホか」とネットで叩きまくられ

    千羽鶴の幸せな行方は、なんとジェフ・ベゾスのおかげだった! - michikaifu’s diary
    takeishi
    takeishi 2011/04/14
    せっかくの善意が千羽鶴の山になって被災地に届く代わりに、ベゾス家族基金が寄付金に替えて送る仕組み。感動した。
  • 「ダンプに乗せてもらえなかったら、確実に津波にのまれていた」…ダンプ疾走、30人救う!

    1 :名無しさん@涙目です。(埼玉県):2011/04/07(木) 00:49:14.96 ID:TE8XRkXl0● ?2BP(100) http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110406t13047.htm 仙台市宮城野区蒲生地区で震災発生時、地元の土建業の男性が、住民ら30人余りを ダンプカーで運び、救助していた。 会社周辺と避難所の中野小を往復しているうちに津波は背後まで迫ったが、必死の運転で JR中野栄駅付近に逃れることができた。救助された住民は「ダンプに乗せてもらえなかったら、 確実に津波にのまれていた」と感謝している。 男性は泉区の土建業小野喜満さん(41)。実家と会社は蒲生地区にあり、3月11日は 会社近くの現場で作業中に地震に遭い、大津波警報のサイレンを聞いた。 すぐに路上にいた高齢者らを2トンダンプの荷台に乗せ、南西に約500メー

    「ダンプに乗せてもらえなかったら、確実に津波にのまれていた」…ダンプ疾走、30人救う!
  • 東北新幹線 揺れ9秒前に減速 NHKニュース

    東北新幹線 揺れ9秒前に減速 4月5日 19時20分 今回の地震で、東北新幹線は地震の揺れをいち早く検知するシステムが作動して、最初の揺れの9秒前、最も大きい揺れが起きる1分10秒前に非常ブレーキをかけて減速を始めていたことが分かりました。JR東日は、この効果もあって新幹線が脱線を免れたとみて、データの詳しい解析を進めています。 地震発生当時、東北新幹線は27の列車が乗客を乗せて走っていましたが、いずれも脱線せず停止しました。JR東日は、東北新幹線の沿線のほかに、太平洋沿岸にも岩手県の宮古や宮城県の牡鹿半島などに9つの地震計を設置し、揺れをいち早く検知して列車を減速させる「早期地震検知システム」を備えています。今回は、東北新幹線の線路からおよそ50キロ離れた牡鹿半島の地震計が、午後2時47分3秒に運転中止の基準となる「120ガル」という地震の加速度を捉えました。このため、システムが自

  • asahi.com(朝日新聞社):手作り避難所、70人救った 10年かけ岩山に 東松島 - 社会

    「佐藤山」の全景。左の岩山の奥に小屋やあずま屋がある。右下が登り口。手前の家の庭にはがれきが流れ込み、家も使えなくなった=宮城県東松島市手作りの避難所を造った佐藤善文さん。登り口には手書きの看板が掲げられていた=28日、宮城県東松島市、吉美奈子撮影  「津波なんてここまで来るわけがない」。そう言われながら、約10年がかりで岩山に避難所を造った男性がいる。700人以上が死亡した宮城県東松島市で、この場所が約70人の命を救った。  東松島市の野蒜(のびる)地区。立ち並ぶ高さ30メートルほどの岩山の一つに階段が彫られ、登り口に「災害避難所(津波)」と書かれた看板があった。お年寄りでも上れるように段差は低く、手すりもある。平らになった頂上には、8畳の小屋とあずま屋、海を見渡せる展望台が立てられていた。  近くに住む土地の所有者、佐藤善文さん(77)が10年ほど前から、退職金をつぎ込んで1人で造っ

  • asahi.com(朝日新聞社):市議の「遺言」、非常通路が児童救う 津波被害の小学校 - 社会

    児童らが避難した後、津波で押し寄せたがれきに覆われた越喜来(おきらい)小学校の非常通路(中央)。右の児童たちも、この通路から高台に逃れて助かった=28日、岩手県大船渡市三陸町越喜来、仙波理撮影平田武さん=親族提供津波避難用の非常通路が取り付けられていた場所(写真中央)には、流されたがれきが山積みになっていた=岩手県大船渡市三陸町越喜来、其山写す越喜来小学校の非常通路  岩手県大船渡市の海沿いの小学校に、津波から逃れる時間を短縮する非常通路をつけるよう提案し続けていた市議がいた。昨年12月、念願の通路ができた。市議は東日大震災の9日前に病気で亡くなったが、津波にのまれた小学校の児童は、通路を通って避難し、助かった。  海から約200メートルのところにある越喜来(おきらい)小学校。3階建ての校舎は津波に襲われ、無残な姿をさらしている。校舎の道路側は、高さ約5メートルのがけ。従来の避難経路は、

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    takeishi
    takeishi 2011/03/21
    屋根にSOS書くとちゃんと伝わるんだ…
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