一石楠耳@剣脚商売と異世界二回転としましまのねこの作者 @isikusu 高木ブーがたまに垣間見せる、「なぜこの化け物コント集団に何もしない俺がいるのか教えてやる」って感じすごいよね。なんなのあの人 2020-04-01 21:05:18
志村けんがいなくなった。 新しい『バカ殿』がもう見られないということだ。 彼はおそらく日本の「ある部分」をひとり支えていた人である。 その支柱をわれわれは失ってしまったのだ。 志村けんが「よく知らない5番目の若い人」だったころ志村けんを初めてテレビで見たのは『8時だヨ!全員集合』だった。 メンバーの1人、荒井注が抜けたあとに新しいメンバーとして入ってきた。 かなり無理な登場だった。 1974年当時のドリフターズの人気はものすごかった。いまとなってはわかりにくい“昭和の人気者”である。国民がみんなで好きだったのだ。その人気絶頂5人組の1人が抜け、代わりにまったく知られていない若い男が入ってきた。 それが志村けんだったのだ。 ちょっとありえない。 いまさらながら、リーダーいかりや長介のこの判断はすごいとおもう。 たとえば2020年現在、嵐のメンバーは5人だけれど(そしてまもなく活動休止するけど
志村けんさんが、29日、東京都内の病院で亡くなりました。 追悼の意を込めて、以前「水道橋博士のメルマ旬報」に寄稿した「ザ・ドリフターズにとって志村けんとはなんだったのか」を一部修正の上、転載します。 ザ・ドリフターズにとって志村けんとはなんだったのか一定の年代より下の世代にとって、ザ・ドリフターズといえば、いかりや長介、加藤茶、志村けん、仲本工事、高木ブーの5人。荒井注が中心メンバーの一人だったというのを知識では知っているが実感はない。ドリフのエースは志村けん、というイメージが強い。だから、志村けんが元々はドリフのボーヤであり、荒井注が脱退した代わりにドリフのメンバーに抜擢された、といわれてもピンとこない。 実際のところザ・ドリフターズにとって志村けんとはどんな存在だったのか。 『8時だョ!全員集合』が始まる1年前の1968年2月。 志村はいかりやの自宅を苦労して調べ、新宿から30分トボト
東野幸治さん お笑いタレントの東野幸治さんによるエッセイ集『この素晴らしき世界』が刊行された。本作の読みどころを『笑福亭鶴瓶論』『1989年のテレビっ子』などの著書がある気鋭のライターてれびのスキマさんが解説する。 *** 「極力家にいる。ストレスで食べる。動かない。太る。寝る。床ずれする。ドラえもんのように愛嬌のある体型だが目つきは異様に鋭くなる。右を向いて寝転がる。左目から涙が垂れてくる。それを右目に入れて左に寝返りを打つ。右目から涙を垂らして左目に入れる。そしてまた右に寝返りを……繰り返しやり続けました」 東野幸治は「R-1ぐらんぷり」王者・中山功太に訪れた「無間地獄」をそんな風に淡々と描写する。その原稿を書いているとき、東野が悪い薄笑いを浮かべていたであろうことが、ありありと想像できてしまう。『この素晴らしき世界』は、50歳を過ぎ、芸歴30年を超えた東野が、それまで出会った吉本興業
すくすく。 @ScreamoTAI @NEZUOSAMA 七年前に出てますが、今だと手にはいるのかな……? "「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」が初DVD化! 3枚組で6時間収録 - TOWER RECORDS ONLINE" tower.jp/article/news/2… 2020-03-17 10:31:52 リンク Wikipedia 加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ 『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』(かトちゃんケンちゃん ごきげんテレビ)は、1986年1月11日から1992年3月28日までTBS系列で毎週土曜日20:00 - 20:54(JST)に放送されていたバラエティ番組である。通称は「加トケン」また「ごきげんテレビ」。放送当時は「子どもに見せたくないテレビ番組」調査上位の常連であった。 司会はザ・ドリフターズの加藤茶と志村けん。『8時だョ!全員集合』(以降『全員
3日にあった佐賀県議会2月定例会の一般質問で、登壇した議員が同県出身のお笑い芸人、江頭2:50さんを取り上げ「県のアンバサダー(大使)にしてはどうか」と提案した。 中村圭一議員(自民)は、江頭さんが2011年3月の東日本大震災の際、被災地に支援物資を届けたなどと紹介。ユーチューバーとしてチャンネル登録数100万人を突破したことについて「体を張った芸が面白いだけでなく、彼の人柄をみんなが理解…
半裸で番組に登場し、客席にダイブ。そしてそのあと唯一、身につけていた黒のスパッツまで脱ぎ去り、全裸に――。『嫌いな芸人ランキング』で9年連続の1位。番組出演時にはテレビ局に苦情の電話が鳴り続けたこともある、芸能界きっての“ヨゴレ芸人”がネットを席巻している。 【写真】千原jrがベビーカーを押し、野性爆弾くっきーがスーツで入学式へ。吉本芸人のイクメン姿 江頭2:50が今、芸能人ユーチューバーとしてトップを走っているのだ。 「江頭さんは、1月31日にユーチューブに自身のチャンネル『エガちゃんねる』を開設。投稿した第1弾の動画は、お尻に筆を挟み、習字をするという、いかにも江頭さんといった内容でしたが大ヒット。チャンネル登録者数もわずか9日で100万人を突破しました。嵐の記録には及びませんでしたが、個人ではダントツで最速の100万人登録達成となりました」(スポーツ紙記者) “尻習字”を披露した動画
コンビ結成21周年を迎え、今年も大活躍だったサンドウィッチマン(C)ORICON NewS inc. “好感度No.1芸人”として今年も多方面で大活躍だったサンドウィッチマン。長い下積み時代を経て、2007年の『M-1グランプリ』優勝をきっかけにブレイク。現在、18本ものレギュラー番組を抱え多忙を極めている。そんな2人を『M-1』優勝直後からずっとそばで支えてきたのが、マネージャーの林 信亨氏。実は元芸人で、若き頃は彼らと同じ舞台に立っていた。古くからサンドウィッチマンを知る林氏に、芸人視点、そしてマネージャー視点から2人のブレイクの秘訣を聞くと、彼らのさらなる魅力が見えてきた。 “サンドの為なら”と芸人からマネージャー転身「ただただ2人の成長がうれしかった」 ――サンドウィッチマンのお2人とは長い付き合いなのですね。 林 信亨デビュー当時から知っています。僕は23歳で東京に出てきて、10
2001年にスタートした「M-1グランプリ」は、最初の頃はかなり関西色の強い大会だった。そもそも大阪の朝日放送が制作する番組だったということもあり、大阪ローカルの漫才番組を全国ネットで放送しているような雰囲気があった。 【画像】10年ぶり復活の影にこのコンビあり? 最初の3回の優勝者である中川家、ますだおかだ、フットボールアワー、初期に活躍した麒麟、笑い飯なども全員関西芸人だったし、第1回に出場した唯一の非・関西勢だったおぎやはぎは大阪の観客審査で歴史的な低得点を記録した。 そんな「M-1」の関西偏重の流れに歯止めをかけたのが、2004年に優勝したアンタッチャブルだった。彼らは2003年大会で敗者復活からの3位という結果を残した。2004年には優勝候補と騒がれながら、その下馬評通りにぶっちぎりの優勝を果たした。 このときのアンタッチャブルの漫才は衝撃的だった。山崎弘也の力強く自由奔放なボケ
野猿、復活。その知らせに往年のファンは歓喜した。とんねるずの石橋貴明が、元「野猿」の平山晃哉、神波憲人とともに新ユニット「B Pressure」を結成することを発表したのだ。11月1日に3曲入りの1stシングル『Freeze』がリリースされる。10月28・29日には大阪のROCKTOWNでお披露目ライブ「サビ落とし」が開催される。 【写真を見る】明石家さんまが声を荒げた「りんごちゃん」 野猿とは、約20年ほど前にとんねるずと彼らの番組スタッフ数人で結成された音楽ユニットだ。1998年にシングル『Get Down』でCDデビューを果たし、2001年まで約3年半にわたって活動を続けた。シングル11枚、アルバム3枚をリリースして、日本武道館でもコンサートを行い、「NHK紅白歌合戦」にも2年連続で出場を果たした。現代の若者にわかりやすく説明するなら「ちょっとコミカルなEXILE」である。 ■「ソロ
“エガちゃん”こと江頭2:50(54)を、最近、テレビで見かけない。準レギュラー番組だった「『ぷっ』すま」(テレビ朝日)と「めちゃ×2イケてるッ!」(フジテレビ)が、いずれも昨年3月31日を以て終了したことが大きい。年に数回は出ていた「アメトーーク!」(テレ朝)も、昨年12月30日の年末SPに出たのが最後だ。とはいえ、ネット配信の番組は続いているから、体調不良と言うことでもなさそうだ。 ひょっとして、番組からお呼びがかからないということ? *** キワモノ芸人といわれて久しいエガちゃん。黒のスパッツに上半身は裸、寂しくなった頭髪を振り乱しながら、スタジオでドッテンバッタンと大暴れし、揚げ句の果てに全裸となって客席にダイブ――。 「日経エンタテインメント!」の“嫌いな芸人”ランキングでは、2002年から10年までは不動の9連覇。14年に1位に返り咲き、翌15年も1位に輝いている。 民放プロデ
この半月ほど、お笑いタレントが舞台やネット動画コンテンツの中で披露したネタが炎上するケースが連続している。 まず話題になったのは、女性コンビのAマッソのケースだ。9月22日に開催されたお笑いライブのステージで、「大坂なおみに必要なものは」「漂白剤」といったネタがあったとして、ネット上で批判が集中し、所属事務所のワタナベエンターテインメントが謝罪。大坂側にも謝罪したと報じられた。 この騒動が呼び水となった形で、 「もっとひどいネタがあるぞ」 「こっちは問題じゃないのか」 といった声とともに引用されて炎上したのが吉本興業所属の芸人「金属バット」の漫才だ。 こちらのケースは動画がそのままアップされていることもあって炎上の度合いは、より激しいものになった。 内容は、わざわざ書き起こす気持ちになれない。リンクした記事の中で詳しく紹介されているので興味を持った読者は参照してほしい。動画の方もひと工夫し
2008年に月亭八方さんに弟子入りし、落語家としての時間を積み重ねてきた月亭方正さん(51)。11月9日、10日には大阪・万博記念公園で後輩のたむらけんじさんとプロデュース&総合司会を務める「大阪パフェ」も開催します。音楽、笑い、スポーツ、グルメを融合させた大型野外イベントですが、なぜ今このイベントをやろうと思ったのか。そこには“山崎邦正としての余命”への思いがありました。 レコードをねだる小学生 実は、子どもの頃から音楽がすごく好きだったんです。 きっかけは小学3年の時で、その時の音楽の先生が授業の多くの時間、毎回クラシックを聴かせてくれたんです。「今日は、ポール・モーリアを聴きましょう」とか。 そこで音楽ってホンマにエエもんやなぁと思って。なので、小学生の頃からおもちゃではなくレコードを母親にねだるような子やったんです。 今でも、気づいたら鼻歌を歌っていて嫁に「また歌ってる!」と怒られ
昨年末、M-1審査員を務め、その的確なコメントが評判になった漫才コンビ・ナイツの塙宣之(はなわ・のぶゆき)さんが、集英社新書『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』を刊行した。浅草を本拠地として活躍する塙さんにとって、M-1出場は関西漫才の総本山に殴り込みをかけるようなもの。そんな東と西とのお笑いの違いなどにも鋭く切り込んでいる。 ナイツは、二〇〇一年に始まったM-1グランプリに第一回からエントリーし、二〇〇七年には初めて三回戦の壁を破り、準決勝までたどり着いた。残念ながら決勝戦に進出することは叶わなかったが、その年、敗者復活戦から優勝という快挙を遂げたのがお笑いコンビ・サンドウィッチマンだ。 塙さんは、サンドウィッチマンのネタを見たときに、はっきり「負けた」と思ったそうだ。そのサンドウィッチマンの伊達みきおさんをお迎えして、M-1の裏話や現在のお笑い界の状況などを、お話しいただいた
ブラック企業吉本興業の実態 社長にはビンタをくらった 「芸人というのはな、商売道具のオモチャやから。お前が出世するための道具として使っていったらええんや。ボロ雑巾みたいに使えばいい」 【写真】詐欺グループ忘年会で「闇営業」 熱唱する宮迫博之 焼き肉店で食事をしていると岡本(昭彦)社長は、私にそう言い放ち、 「一部のメンバーにだけ気を遣ったらええんや」 と付け加えました。すると同じテーブルにいた幹部たちは大爆笑したのです。この時から上層部に対する私の不信感が芽生えていきました。 <本誌の取材に対して、吉本興業元社員の男性A氏は、苦渋の表情を浮かべながらこう語り始めた。 A氏はかつて吉本興業のエリートマネージャーとして、日本人なら誰でも知っているような売れっ子芸人を何人も担当してきた人物。そんなA氏が、「闇営業」問題で揺れる吉本興業の「真の姿」を多くの人に伝えるべく、重い口を開いた。> 岡本社
闇営業問題で謹慎処分を受け、19日から謹慎が解ける吉本興業所属芸人のくまだまさし(46)ガリットチュウ福島善成(41)、スリムクラブらが17日、東京・新宿のルミネtheよしもとを訪れ、大御所の中田カウス(70)にあいさつをしたという。 この日のカウスは午前11時の公演から、3公演に出演。関係者によると謹慎芸人たちは1回目の開演の前に訪れて、迷惑をかけた関係者に一連の騒動を謝罪したという。 この日、カウスと同じ3公演に出演した、パンサー向井慧(33)は帰りがけに、「謹慎芸人の姿は見ていません」と話した。謝罪に訪れた芸人らは、騒ぎになることを避けるため、開演前に劇場を後にしたとみられる。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く