「不嘲不欺不呪而唯識」 Non ridere, non ligere, neque detestari, sed intelligere. 「不嘲不欺不呪而唯識」は スピノザの" Non ridere, non ligere, neque detestari, sed intelligere.(not to laugh, not to lament, not to curse, but to understand). " (『国家論』 より)を訳した言葉。 スピノザ翻訳者として知られる畠中尚志(1899-1980)の回想記に出て来る。 「嘲笑せず、嘆かず、呪わず、ただ理解する」あるいは「私は人間の諸行動を笑わず、嘆かず、呪うこともせずにただ理解することにひたすら努めた」(畠中訳)と訳される。 以下、畠中氏の回想録。 (岩波書店「図書」1977年2月、330号より) スピノザを訳した日々のこ
デカルトとスピノザほど違ったタイプの哲学者はいない、と言えるほど両者は違っている。 スピノザは『知性改善論』で、よく知られたデカルト批判を展開している。真なる認識に達するために、もし確実な方法が必要なら、それと同様にハンマーを造るのには、ハンマーを鍛える道具がなくてはならず、その道具を造るのにまた別の道具が必要となり…という具合で、ハンマーを造ることは不可能であるということになってしまう、というのである。しかし実際には、こんな「論証」によってハンマーを造ることの不可能性が証明できたわけではない。何か手近にある道具を使って、別の道具を造ることができ、それを使ってさらに手持ちの道具を増やし、ついにはハンマーをつくることができるようになるように、真理を探求するにも、低い段階から始めて、それを使いながらさらに確実な広範な知識を手にすることができる、というのである。 ここにはスピノザの最初の洞察が瞥
「進歩」という考え方は近代ヨーロッパが生み出した概念である 地理上の発見によって人々は 「観察された現実」と「古い書物の記述」を突き合わせざるを得なくなった。 ↓ それによって 通常受け入れられていた多くが偽りであったことに気づかされる。 伝統的な知の全体に不信の念を抱くようになる。 書物に依拠する知識を直接観察に基づいたものと入れ替えるよう駆り立てられた。 ●ガリレオは「哲学は不断に我らの眼前に開かれているこの巨大な書物、すなわち宇宙に書き記されている」と述べている。 ●デカルトは「世界という大いなる書物」から学ぶことを提唱した。彼は「正しく判断し真偽を見分ける能力、もっともなことに良識や理性と呼ばれているこうしたものは、本来あらゆる人間に共通のものである」と言う。 文明の位階という捉え方 「地球のもっとも離れた隅々へと航海する者は実際には時間の流れに沿って旅をしている
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