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増田文学に関するmmuuishikawaのブックマーク (14)

  • N君は夜行バスに乗って

    anond:20220822215327 夜行バスの思い出を気紛れに綴っていたら、連想ゲームのようにN君のことを思い出した。これも何かの機会だと思い、ここで書き残すことにした。予め断っておくと、ほとんど夜行バス要素は無いし、N君という呼び名も、星新一式のニュートラルな呼称であり、実名のイニシャルではない。 N君は、高校の同級生で同じクラスだったが、特に俺と親しかったわけではない。俺の記憶の中のN君は、優等生でも不良でもなく、運動部所属でも文化部所属でもない、あまり目立たない帰宅部の生徒だった。 ここでド田舎の高校あるある話を解説しておくが、当時の暗黙の了解として、生徒は部活動に所属すること、しかも、運動部が最も望ましいとされていた。文化部は、運動部より一段低く見られ、帰宅部となると、教師や保護者から胡散臭く見られるという始末だった。俺はといえば、オタクのくせに無理をして運動部に所属し、体育

    N君は夜行バスに乗って
  • 「問題解決を、セクシーに。」小泉進次郎 Powered by Apple

    問題解決を、セクシーに。 気候変動に立ち向かう。すべての声を一つにして。 楽しく、クールに、そしてセクシーに。 問題解決は苦しいだけではありません。 もっと肩の力を抜いて。ステーキをべながら。 30年後のあなたは、何歳ですか? 未来のことを、常に考えています。 30年後の自分は、何歳なのでしょうか。1 30年後には、さらに30年後のことを考えているかもしれません。 30年後の、その先へ。 足し算の答えが分からなくてもご安心を。Siriに話しかけてみてください。2 究極の反省を、決して伝わらない形で。 反省しなくてはいけません。 とても反省しています。反省している色が見えない、という点を。 Super Retina XDRディスプレイは、反省している色を鮮明に映し出します。3 アクセシビリティ機能を使うと、反省の色が見えやすくなります。 “46”、それはマジックナンバー。 30でもなく、5

    「問題解決を、セクシーに。」小泉進次郎 Powered by Apple
    mmuuishikawa
    mmuuishikawa 2021/04/28
    これすごい
  • お焼き屋で隣の女子高生が言っていたこと

    私が住んでいる場所は北海道の士別市という場所で、そこにはくら寿司はおろかマクドナルドさえない。 だから「隣りの女子高生」の会話メソッド作文をなすには、学生がよくいくお焼き屋に舞台を遷さねばならない。 北海道田舎はどこもそうだろう。 お焼き屋に行くと、富川という私より25歳ほど上の男が店番をしている。 元来、私の学生時代は富川の母が店主であった。私たちは富川のばばあだとか、富川のばあさんと呼んでいた。 富川の息子、今店番をしている男は、若いころから数年前まである政党の党員として、近隣の名寄市や旭川市で活動していた。 富川のばばあが高齢になったから、今は店を手伝ってよくいる。それまでは市議や道議なんかと活動を共にして走り回っていた。 富川のお焼き屋は、お焼きはもちろんそれなりだが白玉善哉が美味いことで知られている。 私もそれを頼む。それとアイスコーヒー。 私は旭川東高校から北海道大学経済学

    お焼き屋で隣の女子高生が言っていたこと
  • 反省はしているが後悔はしていない

    今日もまた、こんな静かな夕方に彼の顔を必死に思い出しながら自慰をしてしまった。 あんなに純粋そうな彼を私なんかの自慰で汚してしまった事に反省をする。けれど、彼に出会って彼のファンになってから、私はもう随分としてなかった自慰を再開した。後悔はしていない。 一客の一人だから彼のシフトは分からない。けれど、周りの情報、自分が出向いた時にいた回数の統計を取ると恐らく彼は今日お休みだ。 そして自慰の最中にもし、もし彼が今私が自慰をしているこの同じ時間に自慰をしていたら、と思うと身体中の温度が一気に上昇した。 あんなに淡白そうな彼でも自慰をするのだろうか。お釣りを渡してくれるあの白魚のような綺麗な細い指で自身を握り熱っぽい吐息を出すのだろうか。おかずはなに?どんな物を見てどんな風に自慰をするのか、絶頂を迎える時には更に熱っぽい吐息が漏れるのだろうか。 そんな事を考えていると苗字しか知らない彼の名前を呼

    反省はしているが後悔はしていない
  • 娘にお仕置き完了した。

    家に帰ってお風呂に入っていたら、早速娘がやってきて、あたしも入っていい?とパンティーを脱ぎ捨て裸になった。俺は父親らしく「はしたない子やな、すこしぐらい我慢しなせい」とたしなめ、娘を裸のまま待たせる刑に処した。娘はドアの隙間から、俺の大きなお仕置き棒を凝視していた。俺は風呂を上がると、娘を肩にかかえて書斎までつれていった。「何でお仕置きされるかわかるか?」と厳しい口調で問い詰め、娘は泣きそうになりながら「あたしが、お風呂でエッチなことしてたからです」と言い、俺はさらに「エッチなことじゃわからん!人にものを伝える時はわかりやすく具体的に説明しろと言ってるだろ!」と叱り、泣き出してしまった娘に「言えないなら今ここで再現するんだ!」ときめた。娘はおずおずとし始めた。俺はそれを眺めながら当は自分が童貞大学生であることを思い出し、さめざめと泣いた。まだ見ぬ娘よ、いつか美人の嫁さん貰って産んでもらう

  • うちは子供の頃すごい貧乏でさ、父ちゃん死んだのが原因なんだけどね。 母..

    うちは子供の頃すごい貧乏でさ、父ちゃん死んだのが原因なんだけどね。 母ちゃん一生懸命働くんだけどさ、まあ貧乏なわけ。 それでもおれ、ねぇちゃん、母ちゃん楽しく生活してた。 おかずなんて無い日も多くて、ご飯と味噌汁が基。 たまに魚とか出てくる日はそりゃもうワクテカなんですよ。 ある日納豆が卓に出た時があって、おかめ納豆だった。 あれ3パックじゃん。 おれ、ねぇちゃん、母ちゃんの分なんだけど、母ちゃんさ最後の1パックをおれとねぇちゃんに分けてくれるわけ、母ちゃん納豆嫌いだからとか言って。 当は母ちゃん好き嫌い無いこと知ってんのに、おれもねぇちゃんも腹減ってるから遠慮無くべるんだよね。 大きくなったらさ、働いて働いて、母ちゃんに好きなもんわせてやるのが夢だったんだ。卓にさ、好きなもんズラーッと並べてさ。 でも母ちゃん仕事のし過ぎで、あっけなく死んじゃった。 おれ何もできなかった。 お

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  • 不良だった私を更正させてくれたコンビニ店長

    2年前、私は不良ってやつだった。 学校には行くけど授業中は寝てすごしていた。 夜になると仲間とつるんで夜通し遊んだ。 遊ぶ金は体を売って稼いでいた。 ある日、なんとなく学校近くのコンビニで万引きをした。 始めはドキドキしたが、慣れるとただの日課になった。 毎朝おにぎりかパンを盗んで昼にべた。 帰りもべ物とヘアスプレーとかを盗んで仲間とわけた。 店員の目線や監視カメラの角度には気をつけていたし、バレやしなかった。 私の事を不良と呼んで、劣った存在だと思っている奴らの方こそマヌケでバカなのだと思った。 店長との出会いのきっかけは後輩だった。 不良仲間の後輩が万引きを教えて欲しいというから、一緒に万引きしたら、後輩がヘマをして捕まった。 私達は控室に連れて行かれて、店長がやってきた。 いかにもダサイ、オッサンだった。 この手のオッサンならいつも客として相手している。 手慣れたもんだ。 「やは

    不良だった私を更正させてくれたコンビニ店長
  • 歩いてると人の尻ばっか見てる

    夏なんか見放題だ。 白スキニーをピチピチに履いてプリプリ歩いている女。ほぼ間違いなくパンティーラインが透けていて、そのうち20%はパンツの色や柄まで透けている。 ジーパンをぴちっと肌にフィットさせて歩いている女。 ショーパンはぴちっと履きこなしていれば見る価値はあるが、尻の谷間の始まりから太ももの最初の方までのピッチリラインが見たいのであまりムラムラしない。 冬はお目にかかれる率が下がる。 みんな長い丈のコートを着てお尻を隠しているか、タイツ履いてスカートのスタイルが多くなる。 それが普通だと思う。 スキニーやジーパン越しであろうと冬場に尻見せてプリプリ歩いてる若い奴なんか確実に変態だ。他は厚着しててブーツも履いてるのにたゆたう尻を見せびらかして動き回る、このスタイルやらかす女を変態と言わずにいられるか。 冬場に尻出てる若い人はほんと少ない。年取ってる感ある女ばかりだ。熟女も悪くはないけど

    歩いてると人の尻ばっか見てる
  • 年の瀬だけど乳首が取れかかっている

    28歳女。飲店勤務。年の瀬だけど乳首が取れかかっている。佐村河内風に言えば、3年前から少しずつ取れかかっていた。28年間、舐められもせず、吸われもせず、一日に玄米四合と味噌と少しの野菜をべてきた私がなぜこんなことになったのだろうか。今流行の妖怪のせいだろうか。一大事~なのは確かである。そんな思いを抱えながら、これまで保湿クリームを塗ってニプレスを貼り、どうにかこうにか凌いできた。ニプレスを剥がすとき、私はいつも『三つ目がとおる』の写楽保介を思い出す。これは私の第三の目なのだ。そう思うことで少しだけ強くなれた。しかしニプレスを剥がして出てくるのは痛々しい乳首。『三つ目がとおる』というより『乳首が取れる』である。そんな私の乳首も今年に入りとうとう限界に近づいてきた。干しぶどうを通り越して今や落ちかけの線香花火、最後の一葉、あるいはクリフハンガーである。薄皮一枚でどうにかぶら下がる様は、この

    年の瀬だけど乳首が取れかかっている
  • メガネと性行為がしたい

    それまではメガネを掛けた女性が好きでたまらないと思っていました。それが、当はそうではないということに気付いてしまったんです。 自分の中で美人だったり可愛いという基準はメガネがなくては絶対に成り立ちません。その日だって、いつも通りメガネを掛けた女性に見とれていました。 午後の外回りが落ち着いた頃に、休憩で立ち寄った喫茶店で通路を挟んだ斜め向かいの席にその女性は座っていました。仕事がうまく行かなかったのかそれともこれから大事なミーティングがあるのかわかりませんが、今どき紙の書類を束にして、そこへ気難しそうに視線を落としていました。 黒くしっかりとしたツヤのある縁どりに、やや四角い横長ながらそれほど大きさを感じさせないメガネから、薄めの化粧の割にアイラインがしっかりと描かれた、意志の強さを感じさせる瞳が覗いていました。 余計なものは身につけず、身体のラインが感じられるグレーのパンツスーツに上着

    メガネと性行為がしたい
  • 幽霊の帰りを待たずに眠る

    私は自分を 「夫と死別した母子家庭」だと想定して生活している。 もちろん実際の夫は生存しているし、元気に毎日会社へ行って夜遅くに帰ってくる。 ただ、家事や育児への協力がない。 料理は陰膳を供える気持ちで、一人分多く作っている。 冷蔵庫に入れておいて、無くなっていたら 「あの人の幽霊が、べにきてくれたのね」と思う。 飲み会などで外でべてきて、家で夕飯がべられなくても、陰膳だと思えば捨てる時にも心は痛まない。 グチや小言を言われても、「今日はやけに、あの人の声が近くに聞こえる」と懐かしがってスルーする。 共働きで仕事をしているのに、家事と育児を全て私がしていることも、亡くなったと考えれば当然のことだから腹も立たない。 家に入れる生活費が少ないのも、遺族年金だと思えば「ありがたい」とさえ思える。 もうすでに家庭は冷え切っていて、私の心も壊れている。 それに気づかないふりをしながら、 今日も

    幽霊の帰りを待たずに眠る
  • 浮気をした。 特に不満はない結婚生活だった。セックスレスでもない。経済..

    浮気をした。 特に不満はない結婚生活だった。セックスレスでもない。経済的にも恵まれている。 ベランダにはためく二人分の洗濯物を見ながら幸せだなあと思えていた。当に。心から。 そもそも、私は浮気したいと思ったことが一度もなく、それは一体どんな心持ちなんだろうと不思議に思っていた部類の人間だった。 ある日、よく行く店で出会った隣の人と映画音楽趣味の話が合った。何度か店で会ううちにDVDを貸してくれた。 それらはとてもおもしろくて、会うたびに感想を言いあっては笑って、もっとゆっくり話したいと思うまでにそう時間はかからなかった。 学生時代に好きだった人ともこんなことをしていた私はまるでその頃に戻ったみたいに思って、どこか思い出を辿るような甘ったるい気分で何度か飲みにいった。 何度目かの帰り道に抱きあった。キスしていい?といわれた。だめだよといったけれど、いざキスをされたら止まらなかった。 誰

    浮気をした。 特に不満はない結婚生活だった。セックスレスでもない。経済..
  • ドケチだった親父の話

    俺の親父はドケチだった. とにかくドケチだった. 口を開けば「カネがない」とグチった. 貧乏だった. お袋は貧乏が嫌で俺を置いて出て行ったらしかった. う物と言えばパンの耳,着るものと言えばボロ雑巾みたいな古着だった. ガキだった俺は友達が持っているスーファミが羨ましくて親父にせがんだ. 帰ってきたのはゲンコツだった. そんなカネねえ,と. ドケチなクソ親父め. でも俺はあきらめなかった. キャラクターをテレビの中で自由に動かせるのに,熱中していた. 根負けしたのか,なんとかしてやると言い出した. 俺は興奮で眠れぬ夜を過ごした. 翌週親父が持ってきたのは,中古のPC98だった. どうやら友人から譲ってもらったらしい. なんだか嫌な予感がしながら電源を入れたら,文字しか出てこねぇし,なにすりゃいいのか分からないし, まさに「コレジャナイ~」と泣きながら手足をバタバタさせてダダをコネたい気持

    ドケチだった親父の話
  • お金が大好きだった

    ぼくは小さいころお金が好きだった。母子家庭で家が貧乏だったからだと思う。電気やガスを止めたり、おやつをうちだけ少なくしたり、母に徹夜で内職をさせる。不憫だ、子どもが不憫だと時おり、母を涙させる。そんなお金の力に引き寄せられたのかもしれない。 小学校二年生までのぼくの趣味は、おこづかいや、数少ない親戚から年に一度もらえるお年玉、たとえば数千円。それを両替機で崩すことだった。全部10円に。お金が増えるのがすきだった。受け皿に硬化が落ちてくる、あのジャラジャラッ、という音もすきだった。全部10円玉になると、店のおばちゃんに数十枚の銅色の硬化を渡した。きびすを返し両替機に銀色の硬化をまた突っ込んだ。繰り返し。迷惑なはなしである。 小学校三年生に上がると、その行為がまったく無意味だと悟った。今度は当の意味でお金を増える方法をかんがえはじめた。勉強にも友達にもそれほど興味はなかった。 最初のぼくのビ

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