ツイート中にある『吉原花魁日記 光明に芽ぐむ日』は、大正時代に吉原遊廓で遊女として勤めた人物・森光子による手記で、遊女本人の著述や本人への聞き取りといった記録はあまり残されていない中、遊女本人のまなざしを窺い知ることができる貴重な作品の一つ。 森光子 『吉原花魁日記』 「もう泣くまい。悲しむまい。復讐の第一歩として、人知れず日記を書こう。それは今の慰めの唯一であると共に、又彼等への復讐の宣 kastoripub.stores.jp
中原 鼎(皇室・王室ライター) @NAKAHARA_Kanae 地元住民ですら「意味は分からへんけれど、ずっと続いている」と語る謎の正月神事について。何もかもが面白すぎるからみんなも読もうや news.yahoo.co.jp/articles/214aa… 2020-12-30 21:35:54 リンク 丹波新聞 いわれ不明の正月神事 薄れ行く風習 謎の「ネムリ神」板に過去・現在の男女 住民「意味わからへん」 大晦日、正月が近づき、普段なら日本人が最も神社に足を運ぶ時期になる。兵庫県丹波篠山市上板井の天満神社では元日に行われる神事の中で、ふしぎな「モノ」が登場する。木の板に過去と現在の男女を描き、境内や御神木の下に置くというユニークなもの。地元住 畑中章宏@『宮本常一 歴史は庶民がつくる』『『忘れられた日本人』をひらく』 @akirevolution 〝シシオイ、ハナフリとも他地域にも存在
先週、私はアゴラで『日本国紀』に関する記事を投稿した。 『日本国紀』監修者・久野潤氏の反論に応える① 『日本国紀』監修者・久野潤氏の反論に応える② これを受けて評論家の八幡和郎氏が拙稿への批評を下記記事で行ったので、若干の補足説明を行いたい。 『日本国紀』をめぐる久野・呉座論争とは何か 井沢元彦説に似ているのは誰でも気づく 八幡氏の記事は非常に長文で論点も多岐にわたるが、主要な論点の1つは『日本国紀』と井沢元彦氏の著作との関係だろう。 八幡氏は次のように述べる。 井沢元彦『逆接の日本史』に対する評価については、呉座氏が朝日新聞(12月4日)やアゴラの記事(1月10日)で指摘しているのとほぼ同趣旨を、私はアゴラの記事「百田『日本国紀』は井沢『逆説の日本史』に似てる?」(11月23日)で論じている。出している例も、怨霊の問題、刀伊への対処、古代史などかなり重複している(足利義満については私が「
こういう話題は「どれくらいの人がそう発言しているか」みたいなのが個人的に争点の一つになるので、その保全として 関連まとめ:インパール作戦は失敗だったかもしれないけど有意義だった、という発言集 https://togetter.com/li/1156821
昔(昭和戦前頃まで)の漁師は全裸で作業したり町中を歩いたりしていた。自分は、それは粋や伊達でそうしていたものだと思っていた。(注1) だが、それだけではなかったことが、 @bandy_u バンディー http://twitter.com/#!/bandy_u 氏の調査結果で明らかになった。以下引用。 藁チン文化についてちょろっと調べてる。思った以上に奥深くて、ちょっと窮屈な感じ。 なんで全裸でチンポに藁1本結んだだけの姿で漁に出たり、ましてや街中を歩くのか理解できなかったけど、「着る服を持つような身分不相応なことはしておりません」という低い身分、隷属的な立場の表明だったんだ。 勝手に網子(どこかの網元の下で働いている漁師)が、勝手に褌だの半纏だのを着て町を歩こうものなら、それは「許されざる行為」だったらしい。全裸でいるべき身分の人間が服を着て町を歩いたり電車に乗ったりしようものなら、警官か
日本の歴史家を支持する声明 下記に署名した日本研究者は、日本の多くの勇気ある歴史家が、アジアでの第2次世界大戦に対する正確で公正な歴史を求めていることに対し、心からの賛意を表明するものであります。私たちの多くにとって、日本は研究の対象であるのみならず、第二の故郷でもあります。この声明は、日本と東アジアの歴史をいかに研究し、いかに記憶していくべきなのかについて、われわれが共有する関心から発せられたものです。 また、この声明は戦後70年という重要な記念の年にあたり、日本とその隣国のあいだに70年間守られてきた平和を祝うためのものでもあります。戦後日本が守ってきた民主主義、自衛隊への文民統制、警察権の節度ある運用と、政治的な寛容さは、日本が科学に貢献し他国に寛大な援助を行ってきたことと合わせ、全てが世界の祝福に値するものです。 しかし、これらの成果が世界から祝福を受けるにあたっては、障害となるも
【ワシントン西田進一郎】欧米の日本研究者ら187人が4日、安倍晋三首相に対し、戦後70年の今年を過去の植民地支配や侵略の過ちを認める機会にするよう求める声明を送付した。戦後日本の歩みは「世界の祝福に値する」としたうえで、「祝福を受けるに当たり、歴史解釈の問題が障害になっている」と指摘。アジアの平和と友好を進めるため「過去の過ちについて、できる限り偏見のない清算を共に残そう」とした。 【「日本のため」「世界のため」】安保法制の整備で広がる自衛隊の活動 声明は、ハーバード大のエズラ・ボーゲル名誉教授やマサチューセッツ工科大のジョン・ダワー名誉教授、コネティカット大のアレクシス・ダデン教授らが署名。ダデン氏によると、4日に首相官邸に声明を送付して首相の目に触れるよう要請したという。首相が8月にも発表する「戦後70年談話」を念頭にしているとみられる。 声明は、歴史解釈の最も深刻な問題の一つとし
かつて韓国軍はベトナム戦争に参戦した。精鋭部隊のべ31万人以上を派兵し、5000人前後の死者を出した。この間に生じた民間人虐殺は、最近の「嫌韓」ブームのなかでしばしば取り上げられている。しかしそれは、従軍慰安婦問題などに対する日本の責任を問う声への反撃材料として利用することに終始した、生産性のないものである。 ここで論じたいのは、韓国とベトナム双方での虐殺の語られ方である。そして韓国軍による民間人虐殺に関して韓国世論が二分された背景をさぐり、自国の負の歴史を直視することの困難さに触れたい。 さらに負の歴史を記憶し未来の平和に役立てようとする韓国NGOの活動がベトナムで果たした役割について考えたい。 一方ベトナムでは、戦争に関する歴史認識が公定記憶に強く支配されているため、公定記憶になりえない記憶がこぼれ落ち、国際関係に影響を与えない範囲でしか歴史を語れない状況にあることを指摘する。 韓国で
アイヌ人が単純に「先住」と言えるかどうかについては、まじでさきほど挙げた「アイヌ学入門」を読むのをお薦めします。けっこう複雑なことがわかります。ぼくは(小説の関係で)アイヌ関係の本はけっこう読んでいるのですが、これは画期的な本です。ゲンロンカフェで著者をお呼びしたいくらい。— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) 2015, 4月 3アイヌ人は民族でしょう。先住かどうかは、その言葉に与えた定義によるでしょう(国連の話はしらん)。瀬川氏の本は、アイヌ人と日本人がともに縄文時代の列島人の子孫で、けっこう行ったり来たりしてたって書いてるでしょう。なにを理解に苦しむのよ。— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) 2015, 4月 3瀬川拓郎『アイヌ学入門』をアイヌは先住民族じゃなかったんだ、と読むのは早計。先住民族性とは植民地主義によって生み出されたものであり、瀬川
原発事故からまもなく3年。安倍政権は「原発を再稼働させなければ日本のエネルギー政策が立ちゆかない」と言いつのる。その言い方はかつて軍靴に紛れて聞こえたあのスローガンと似ていないか? 「一点依存」は失敗する 保阪 都知事選で細川護熙さんと組んで反原発を掲げた小泉純一郎元首相ですが、今後も反原発活動をしていくと話していますね。僕は小泉さんと世代が同じだから感覚を共有する部分もあるし、一方、感覚的にわからない部分もある。 そのわからない部分、つまり圧倒的な対米追従姿勢について、ある人がうまいことを言っていました。「彼は横須賀史観だから」と。小泉さんは地元・横須賀で米軍基地に寄港する空母ミッドウェイとかを見て育っている。小さい時からあの巨大な艦を見ていれば、アメリカに逆らったらかないっこないと思うだろうなと。 磯田 その小泉さんは、「戦前の日本は『満州は日本の生命線』と言ってたが満州がなくなったほ
アルバイトがTwitterで悪ふざけした写真を投稿する“バイトテロ”や、相次ぐ食品偽装に対し、「日本人のモラルが低下した」と嘆く人は多い。なかには「戦後の民主主義教育のせいだ」「戦前の日本人はすばらしい道徳心を持っていた」と言う人もいる。だが、それは果たして本当なのか。そう疑わずにいられなくなる本が、『「昔はよかった」と言うけれど 戦前のマナー・モラルから考える』(大倉幸宏/新評論)だ。というのも本書には、現代人なら仰天必至の、戦前の日本人のマナーの悪さ、モラルの欠如が露わになっているからだ。 たとえば、多くの人が行き来する駅や電車の中でのマナー。現代は混雑するホームで列をつくって電車を静かに待つ日本人の姿に、外国人から「さすが礼儀正しい」と称賛の声があがるが、大正時代のその光景は“傍若無人の見本市”。1919(大正8)年に発行された電車でのマナー向上のための小冊子には、「無理無体に他を押
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