聖闘士星矢 黄金魂 -soul of gold- 見たので感想を書く。 何で見たかと言うと、例のバンダイチャンネルの罠(1ヶ月だけ入会してみるもの見て止めようと思ったら、新作が順次追加される)だ。 何度か書いているが自分は車田ファン、星矢ファンというわけではないので、間違いや認識ズレはあると思う。 ■お話 冥王ハーデス戦の際、命と引き換えに「嘆きの壁」を破壊して消滅した12人の黄金聖闘士は、北欧の地アスガルドにて復活した。 黄金聖闘士はなぜ甦ったのか。 ■感想 うーん。 黄金聖闘士にスポットを当てて、お話を作ろうというのは、悪くは無いと思う。 実際ハーデス偏などでも、彼らが出てくるとやたら盛り上がる。 だが、黄金魂における、黄金聖闘士は車田魂が足りない。 なんかあのデスマスクがシレっとアテナのために闘っているとかもどうかと思うし、神にもっとも近いとか、最強とか、いろいろな形容詞で語られる黄
2015年09月20日 19:09 アニメ「Charlotte」第12話視聴。何か急に強い父権主義(パターナリズム)をナイーブに肯定する話になりましたね…。 アニメ「Charlotte」第12話視聴。うーん…。何か急に強い父権主義(相手の自己決定権を無視する形のパターナリズム)を肯定する話になりましたね…。強い父権主義をナイーブに肯定しすぎていて、少なくとも個人的にはついていけない話になってしまったと感じました…。12話は簡単にまとめると下記のような展開なんですね。 ①超能力者の超能力は病気。シャーロット彗星が地球に接近するたびに超能力因子(ウイルスか何かかな。宇宙から超能力ウイルスが散布されるというのはジョジョっぽいですね)が彗星からばら撒かれ、それに感染した青少年のうち超能力に覚醒するものが一定数でる。ワクチンを使うことで超能力の覚醒を阻止できる。 ↓ ②超能力者は各国の超法規的非合法
バンダイチャンネルの罠にハマってしまい、もったいないので仕事の後ろで懐かしアニメを流しっぱなしにしたりしている。 罠というのは、パトレイバー実写版が、首都決戦にあわせて、有料会員には見放題だったので会員になったのだが、特に他に見たいものがあるわけではないので、1ヶ月で会員をやめようと思っていたところから始まる。 1000円で10本ぐらい見てやめればお買い得である。 が、ヨメが聖闘士星矢を懐かしいからと見だしてしまったのだった。黄金魂とかいうヤツ。 あれが、月に1本ぐらいづつ追加されるので、会員をやめるにやめられずしかたがないので、俺はメガゾーン23を見ているというわけであった。 ■あらすじ 昭和のバブルぐらいの都市部。バイク乗りの矢作省吾は普通に青春をしていたが、友人が盗み出した戦闘バイクを受け取り、それをきっかけに自分たちの住む世界がすべて作り物であり、巨大な世代交代宇宙船の中であること
・楽園追放感想 さて、楽園追放の視聴感想について少し纏めてみようかと思う。本来ならばtwitterの呟きで纏めを記載していたが、今回はネタバレに対して敏感になる 楽園追放については、私自身正直不安ではあったが、いざ梅田ブルクへ足を運んで見るや否や、参りました!と感服してしまった。私自身大長編の劇場作品は苦手だとは何度か述べたが楽園追放は時間の流れを忘れてしまうほど画面にのめり込んでいた。ロボットものの大長編映画では正直初めて私が良いと思えた作品だった。 楽園追放については恐ろしい程分かりやすい内容だった事に良い意味で裏切られた。正直私はアンジェラと呼ばれる釘宮さんのヒロインと、球体状のロボットアーハンぐらいしか予備知識はなかったが恐ろしい程頭の中に物語が入ってしまった。 楽園追放の物語を概ね纏めると、電脳世界ディーヴァへとハッキングを仕掛けるフロンティアセッターと呼ばれる謎の人物を調査する
俺はイギリス在住の中年リーマンだが、年末に日本で「魔法少女まどかマギカ 新編 叛逆の物語」を見てきたので、今更だが感想なりを書いていく(これも今更だが、ネタバレあり)。 ・アメリカ、カナダ、韓国、中国、台湾等10カ国弱で公開されているが、イギリスでは公開予定はない。訳が分からない。 ・欧州ではフランスで公開されている。 ・11月にパリでプレミア試写会があった。ユーロスターで約3万円かけて見に行こうと計画したが、妻に対するアリバイが捻出できずに泣く泣く断念した。 ・その後フランスで本公開されたが、やはり妻へのアリバイ作りが困難を極め、これも断念した。 ・ゴルフの格好で外出すればとも考えたが、イギリスでは寒さのために冬はあまりゴルフをしない。した場合は霜の溶融で通常泥だらけになる。 ・魔法少女アニメのために、帰宅前に泥だけらけになるアリバイ工作をしている中年の姿を想像したら、その光景はあまりに
まどかマギカの映画を追いかけて世界一周する羽目になった人間のブログ。アニメ感想、イベントレポートなど。 2回目はネタが割れているので、殆どの描写をほむらの心象風景として見ることができます。 このため、 ・ほむらのホンネはどこにあったのか? そして、 ・なぜほむらは悪堕ちしたのか? に注目しました。 まず、ほむらはなぜまどかにあのような暴挙に出たのか? コレ、見返してわかりました。今までの解釈とちょっと違います。 まどかにつらい思いをさせたくない(≒人間として幸せに生きてほしい)から、です。 まどかにとっても実はつらいものだということを理解した、と言う解釈をどこかで見ました。 本編で言われていたように記憶したのですが、誰かのツイートかパンフレットかどちらかだったように思います。 実際に見て、その通りだなと私も思いました。 流れとしては、 まどかが本物だと理解する →まどかが神であることは、ま
いやーヤバいですねこの話 見終わってカラオケ行ったんですが、そこで一気にキました。 バレ全開です。見ていない人は可能な限り早くの視聴をお勧めします。 この作品の評価は「見た回数」と「TV版、過去の劇場版を見た回数」に比例して良くなるように思うからです。 すごいな、と思った理由は二つ。 1:劇場版3部作の本命がこの叛逆であると実感できたこと。 劇場版の企画が出た時点からのまどか関連の発表全部、この叛逆を軸に考えると、今までと意味が変わります。 具体的にはルミナスの歌詞、ルミナスの映像、劇場版とテレビ版の違い、KANのほむらの巻のタイトル(TV版と総集編だけだと「狂狷」という言葉を当てるのはあれ?と思いました。今日のためのものだったと思います。)、叛逆のキャッチコピー(やっと逢えたね、って普通まどかのセリフだと思いますよね)、など。 叛逆の物語の内容を前提にして、布石が打たれている感があります
まどかまぎか見てきたよ。どう語ってもネタバレになる映画だった。というわけで、以下はネタバレしているはずです。未見の方はごらんにならないでください。ぜったいにね! エヴァ破のときは、あまりに展開が悲しくて、じたばたしてしまったわたしだけれど、今回はじたばたはしなかった。そりゃあ、とんでもない展開であったことは確かだし、このストーリーが、異常とも言える数の人間に観られていることがなによりも変な感じがした。ほむらちゃんは結局、あの草原でまどかが語った本音、「本当はそんなことしたくなかった」という言葉のために、ああいうことをしたのだろう。そしてそのときが、彼女の完全な絶望の始まりだったのだと思う。自分の「まどかを助けたい」という願いが、まどかを実際には不幸にしてしまったということ、その確信がもたらされた瞬間だった。魔法少女は自らの願いをのろい、魔女になる。孵化の途中であったほむらの、魔女化が、決定
この記事は以下のリンクについて反応するものだが、新編のネタバレ部分に触れるので、見ていない人はどちらも読まない方が楽しめると思う。なので閉じるなら今のうちに。 「劇場版 魔法少女まどかマギカ 新編 反逆の物語」は「コゼットの肖像」の別の可能性なのか それでは改行替わりに、エーデルローズ所属チーム「ベルローズ」のリーダーである蓮城寺べる様のお言葉をいただきます。 (プリティーリズム・レインボーライブ 26話「虹を呼ぶハッピーレイン」より) よーし、これでしょーもない記事だと思ってみんな帰ったな。じゃあ書くか。 先の記事においては、まどかとほむらの対比を京介と琉奈で見ていたが、この場合、ソウルアヌビスに対する京介とシローの対比から悪魔について考えるのがいいのではないか。しかしソウルテイカーは歌以外メジャーと言いがたく、大多数の読者には説明が必要と思われるので軽く書いておくと京介……主人公でミュ
カラフル(期間生産限定アニメ盤) アーティスト: ClariS出版社/メーカー: SME発売日: 2013/10/30メディア: CDこの商品を含むブログ (26件) を見る 【注意!】この文章は『劇場版 魔法少女まどかマギカ 叛逆の物語』について書かれています。中盤以降、若干のネタバレが混じっています。きちんとネタバレ回避したい人は、映画館に行ってからお読みになってください。 1.『劇場版 まどかマギカ 叛逆の物語』には、そんなに期待していなかった。公式ウェブサイトの「やっと逢えたね」というフレーズからは、キャラクターのキャッキャウフフと幸福追求が想像されて、それほどエッジの利いた物語、含蓄の深い物語をぶつけてくるとは想定できなかったからだ。「とにかく、魔法少女のみんなに会えて、ハッピーエンドだったらもう十分です」――そんな気持ちで出かけた。 甘かった。 新作『まどかマギカ』に賭けられて
魔法少女じゃいられない濁っちゃった母さんたちへ捧ぐ、『魔法少女まどか☆マギカ』いまさらレビュー 2013年10月01日10:00 カテゴリコラムトレンド Tweet 大変遅ればせながら、ようやく『魔法少女まどか☆マギカ』の通常放送全12話を観た。 『魔法少女まどか☆マギカ』(以下、まどマギ)は、テレビアニメが2011年に深夜アニメとして放送され、表層的な萌えビジュアルに相反した意外かつ理不尽なストーリー展開で、一部のアニメファンにとどまらずに支持を集めて話題となった作品。そして今月26日からは、劇場版第三弾が上映される。 筆者が欧州駐在の頃から、「観るべきだ」「観ろ」「まだ観ていないとは!?」と、あちこちからせっつかれる傍らで、すでに日本国内のみならず、欧米のオタクたちまでもが湧きに湧いているのを見て、空恐ろしいシリーズであることは知っていたのだ。 「フツーの魔法少女ものだと思って見始めた
ちょっと前にある人からこんなことを聞かれた。 「こないだ『大人は判ってくれない』を観たんですけど、ラストで主人公が海までいって無言で振り返るじゃないですかー?あれって何だったんですか?」 この作品のなかで最も印象的なシーンとして名高いが、このとき主人公は何も言わないし、ナレーションで何かが説明されるわけでもない。彼が何を考えていたのか?彼が何を思っていたのか?それは撮った監督にしかわからない。そして、そのシーンにたいして監督が何も語らない以上、観客はそのシーンについての解釈を迫られる。 これは小津安二郎の映画にも印象的に出てくる。トリュフォーが参考にしたかは定かではないが、日本を代表する……いや、世界を代表する名作『東京物語』のラスト。人生の伴侶を失った笠智衆が無言で窓の外を見つめる。カメラは視線の先の海を写す。そして映画が終わる。同じく小津の代表作『晩春』では無言でリンゴの皮をむき、その
http://sinjow.tumblr.com/ 上記「散歩男爵Tumblaneur」より、 とゆわけで不肖新城カズマようやく『風立ちぬ』観てきましたので、これまでメモっておいた各方面の評から興味深い指摘をタンブラってみました 新城カズマ 「小説すばる」8月号で生成系AIたちと小説演奏中 @SinjowKazma S「そんなこんなで #風立ちぬ は前評判とか各所の評をたっぷり接種じゃなかった摂取してから観劇したのですよ」M「なんでまた」S「だって主役の声が…」(五分中略)M「で、どうだったんですか」S「いや、それがだね」(続 2013-08-22 12:40:31 新城カズマ 「小説すばる」8月号で生成系AIたちと小説演奏中 @SinjowKazma 続)M「おもいっきし気になるところで次呟に行きますね新城さん」S「1年半も #島津戦記 連載してたからなあ…あ、ちなみに連載(第一部)は完
「風立ちぬ」観た。 都心から離れた映画館の平日の遅い時間、今日も明日も同じような日々が続くってみんなわかってる気怠さとでも今ここにいる2時間はちょっと特別でしょっていう淡い甘さがあってガラガラでスカスカで活気がなくて大変好きです。最高。 なんか…わからん……すごくよかった気もするし全然面白くなかった気もするし終始ぼんやり見てた気もするし細かいところまで脳裏に残る気もするしまた見たくなる気もするし別に1回見たら満足な気もするしめっちゃいろいろ考えた気もするしなんにも揺さぶられない退屈な時間だった気もする— もぐもぐ (@haruna26) July 31, 2013 出てきた直後。数日経ったけど相変わらずよくわからない(よくわからないのにブログエントリ書かなくてもいい気もしてきた)。 ネットでうろうろしてたら熱量感じる感想が多かったから、どこでロリコン全開シーンがあるのかなあ、泣かせにかかっ
青写真を確認した堀越二郎が自分の机に戻り、着席後身をかがめて床のカバンから計算尺を取り出し、椅子を前に引いて作業を始める一連の動作の1カット。 飛行シーンよりもモブシーンよりも、その作画と動画に戦慄した。 スタジオジブリ最新作、宮崎駿監督の「風立ちぬ」は、ずばぬけた航空技術者であった堀越二郎を、ずばぬけたアニメ職人が描写するという職人映画だ。 もはや宮崎アニメと村上春樹作品は、新作がリリースされれば、人は皆なにがしかの感想なり批評なりを述べなければいけないような雰囲気になっている。誰からいわれたわけでもないのに、おのれの見解と立場を表明しなければいけないような圧力が、少なくとも私のTLには充ち満ちる。かくして多くの人は、他人の顔色をうかがいながら恐る恐るつぶやく。 求められてもいないのに。 いや、批評家や評論家の人はいいのですよ。それが仕事だから。 こう見えても私は本業でマンガ家をやってい
小原篤プロフィールバックナンバー「風立ちぬ」冒頭、夢の中で空を飛ぶ二郎少年=(C)2013 二馬力・GNDHDDTK夢の中でカプローニ(左)と出会う二郎少年 前回の本欄末尾で予告した通り、映画「風立ちぬ」ラストの読み解きです。ネタバレです。でも、その前にまずは「夢」の話から。 この映画の大きな魅力は、現実から夢へジャンプする瞬間の魔術的な陶酔感、そして飛行機が乱れ飛ぶ夢のシーンに満ちあふれる官能的なまでの悦(よろこ)びです。宮崎駿監督はモラルのカセを取り払い、ほしいまま空想にふけり、いつまでも終わらない快楽に身をゆだねているようです。 映画の冒頭は、少年二郎の夢。手製の飛行機で彼が町を低空飛行する時、誰も驚いたり注目したりしないのに、若い女の集団だけが大きな家屋の2階から歓声をあげ手を振ります。あれは女工か娼妓(しょうぎ)か。ここからもう、飛行と官能は結び合わされています。 次の夢
不愉快である。宮崎駿最新作、ジブリ映画「風立ちぬ」を見た感想だ。たいへん不愉快な映画だった。 なにやらアニメや漫画も規制対象とする児童ポルノ規制法案に賛同する人が「ジブリのようなアニメだけ作っていればいい」とトンチンカンなことを言ってるのを見たことがあるが、宮崎駿はそもそもが「メカと美少女が大好きなオタク」であることを思い出させられる。 今回の「風立ちぬ」は言ってしまえば「メカのことしか頭にないオタクが少女に受け入れられ許される物語」だからだ。 冒頭から妄想妄想妄想の山。まるでパプリカのようだ。夢といえば聞こえはいいかもしれないが、それモデルとなった堀越二郎じゃなくて宮崎駿本人の夢と妄想じゃないんですか、と言いたくなる。 白い服に白い帽子の病弱なお嬢様との出会いなんて、もう古典すぎるオタクの妄想すぎて見てられたものじゃない。原作陵辱だと言う向きもあるが、もう同意するほかない。よくご遺族は映
「『風立ちぬ』はポニョではない。安心しろ、ポニョではない」 そんなツイートを読んで、久しぶりにジブリ作品を映画館で観てきた。 その通りだった。『風立ちぬ』は、幻想が交錯したり飛躍があったりするのに、きちんと始まってきちんと終わる、折り目正しい映画だった。こういうのはトトロ以来ではなかろうか。脳天気な娯楽映画になるはずが考えすぎてバランスを失した『紅の豚』の失敗点をきれいに回収していて、宮崎監督の集大成的な作品になったと思う。 この映画は、1930年代の航空機設計者を描いている。 飛行機の設計は難しい。どんな飛行機も調和と妥協の産物で、どこかの性能を伸ばすと別のどこかが悪くなる。映画の主人公、堀越二郎は厳しい制約のもとで、脳裏に描く理想の飛行機に少しでも近いものを作ろうとしている。 二郎は秀才肌で、目配りが細かく、日常で目にするあらゆる事柄が飛行機の設計に結びついていく。煮魚の骨に翼型を見い
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