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歴史と横浜に関するtoyaのブックマーク (5)

  • 野毛山配水池 : 横浜市西区ホームページ

    開港以来、水不足に悩まされていた横浜に、明治20年(1887)日最初の近代水道が創設され、野毛山に最初の浄水場が完成。40キロメートル以上も離れた相模川上流で取られた水が、ここまで送られてきた。その後、関東大震災で壊滅し、現在は浄水場の姿はみることはできない。 大正15年に浄水場跡地が公園として整備され、地下に1万立方メートルの野毛山配水池が完成。さらに昭和42年には水需要の増加に対応して4万立方メートルの配水池が新たに整備された。 配水池は「浄水場でつくられた水が家庭に届く前に蓄えておく」「災害など緊急時の飲み水を蓄えておく」という役割を持っている。現在、西区全域と中区・南区の一部の地域にここから水が送られている。配水池の上部にある野毛山公園内には、横浜水道の設計・工事を手がけた「近代水道の父」パ-マ-の胸像があります。

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  • 昔の絵葉書は面白い - FC2 BLOG パスワード認証

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  • ヘボンの指路教会がある喜び : 図書館のねずみ

    2013年03月26日22:21 カテゴリ横浜人物 ヘボンの指路教会がある喜び 横浜の中心市街地に参詣人の多い寺や神社が一つもないのは、日の街としてはちょっと異常なことではないか? 歴史の浅い海外の華僑の人たちの街(チャイナタウン)でさえ、関羽を祀る立派な関帝廟を街の中心に作り、参詣人が絶えない。 横浜中華街の関帝廟は大震災や戦火に焼かれても立派に再建され、四代目の関帝廟が信仰を集めている。 ところが横浜の商家たちの信仰をかなり集めていた加藤清正を祀る清正公でさえ、戦火に焼かれると、伊勢佐木町を離れ、久保山に移されてしまった。 今では清正公通りの名が残るだけだ。 横浜商人の結束力はほぼなくなったようだ。 たまらず、かどうかは知らないが、吉田家当主が小さなお堂を建てているのみだ。 しかしキリスト教信者たちの信仰は強い。 横浜の中心地に、歴史ある二つのプロテスタント教会が同じ地で今も活動して

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  • ネストする地名の謎 | タイム・コンサルタントの日誌から

    京浜急行は、東京の品川から横浜を通って横須賀半島まで向かう私鉄である。東京都横浜を結ぶ鉄道路線は何もあるが、その中で一番海沿いを通っている。だから何となく車内にどこか潮の香りのするような、庶民的な電車だ。軟弱な地盤の線路上を、かなり高速で運転するから、車内は結構揺れるのでも知られている。駅の名前も、「青物横丁」「鮫洲」「新馬場」「梅屋敷」「六郷土手」と、いかにも昔から人々が住んできた地域を表す地名が並んでいて、“○○が丘”とか“××学園”といった、私鉄不動産部の誰かが机の前で考えたような浅はかなネーミングとは、一線を画している。 その京急に、「神奈川」という駅がある。横浜駅から一つだけ東京よりに戻ったところにある、地味で目立たない駅だ。駅前にはわずかな商店街が並ぶのみで、特急はおろか急行さえとまらず、とまるのは各駅停車だけである。人口900万人を擁する、日で2番目に大きい(人口の点で)

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