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社会と思考に関するtoyaのブックマーク (15)

  • 世の中には『ナメられること』を人生最悪だと考え、それを覆すために犯罪もやる人たちがいる「日本や特定階層に限らず世界中で見られる本能的なメンタリティ」 - Togetter

    洋介犬@はずネジ100億PV突破 @yohsuken あおり運転の件とか過去の接客業経験から、世の中には「ナメられる」ことを人生最悪に「あってはならないこと」としてる方々がいて、それを覆すためなら相手を殺してもいいと思ってるというホラーな現実があるんですよね。 2018-12-06 15:16:44 洋介犬 @yohsuken ホラー漫画家・洋介犬(ヨウスケン)/日漫画家協会特別職参与/商業連載中→黒懺悔/反逆コメンテーターエンドウさん/JC殺人鬼やめました/死神の王とその娘たち/LaLaLa… ご依頼ご連絡はDM(開放中)もしくは公式ブログへ→yohsuken.blog.jp yohsuken.blog.jp

    世の中には『ナメられること』を人生最悪だと考え、それを覆すために犯罪もやる人たちがいる「日本や特定階層に限らず世界中で見られる本能的なメンタリティ」 - Togetter
  • 内面化される規範 - IT そして人間、社会

    アーキテクチャーについて考える前に、規範(習慣)について再度考えておく必要がある。 ■内在化される必要のある規範 規範とは、社会における人の相互駆動の秩序のことであった。人と人とのかかわりにおいて、互いに動かし動かされるとき、そこにはわたしたちがふつう規範や習慣と呼ぶような既定の力の流路があるのである。(「社会とは何か」) ごく単純に言って、近代以前の自生的共同体においては、規範は文字通り端的な自明性であった。村落共同体におけるように、掟や因習は疑いようのない事実性だったのである。しかし、近代以降、国民国家の形成とともに、規範は自生的な自明性を失っていった。そして、むしろ、何らかの仕方で形成されるものとなった。 たとえば、明治政府が国民統合のために天皇を担ぎ出し、天皇を家長とする子として国民を規定し、忠誠や孝行といった価値を国民の間に浸潤させていったのは一つの典型であろう。 もちろん、全体

    内面化される規範 - IT そして人間、社会
  • 内面化された規範の呪縛 – surume blog

    どのような社会問題であっても、「逸脱した個人の自己責任」と捉えることも出来れば、「社会の歪みが脆弱な個人に反映された結果」と捉える事も出来る。障害学で言えば、前者は「医学モデル」と言われ、後者は「社会モデル」と言われる。後者は、個人のわがままや努力不足とラベルが貼られている問題に対して、個人の問題は社会的な背景があり、社会の抑圧的構造が悪循環的に個人に作用したとき、その回路から逃れることが出来なくなってしまった果ての、症状化・顕在化であると捉える。そのことを強く感じさせる新書に出会った。 「現代の『ひきこもり』は、自分自身と向き合うこととは違う。既存の価値観を内面化し、自己点検を繰り返し、その内面化した価値観に合わない自分自身が社会に漏れ出すことを必死になって防いでいる。そうでなければ社会での居場所を失うと感じ、その不安と恐怖と戦っている。だが、どのようにしても漏れ出す生身の自分を隠すこと

  • 「京大出て専業主婦なんてもったいない」という話について問題を切り分けてみた、あるいは主婦が「もったいない」といわれるのがよくわからない: 不倒城

    目次・記事一覧(1) レトロゲーム(185) 日記(767) 雑文(511) 書籍・漫画関連(55) 子育て・子どもたち観察(115) ゲームブック(12) フォルクローレ・ケーナ・演奏関連(86) FF14(40) レトロでもないゲーム(334) 始めたばっか(13) アナログゲームいろいろ(37) 人狼(48) ネットの話やブログ論(61) 三国志大戦(20) 無謀的世評(52) ゴーストライター(16) 大航海時代ONLINE(38) FF3(6) Civ4(18)

    toya
    toya 2016/05/26
    「お互いに、「お前らの人生と俺の人生には1ミリグラムの関係もない」という前提で考えた方がいいのではないかなー」
  • つらくなるとつらくなりやすい問題 - Random Walker Log's Log

    昼間のみ少し集中力が続く。今のところ簡単な結果しか出ず、気を抜くとすぐ人生がむなしくなる。 昨日、つらくなるほどつらくなくなるのが難しくなるというようなことをtwitterに書いた。ほぼ自明なことだが、ずっとこの法則に頭を悩ませられている(個人的な問題でもあるし、世の中に対してもっとマシになってほしいと思うところでもある)。単純に1メートル落ちれば余計に1メートル登らなければならないというような話ではない。つらくなって気力が落ちると、つらくなくなるための行動を起こしにくくなる。起こしにくくなる行動は生活の全体にわたるので、気力・健康を保つための習慣も維持できなくなり、余計に行動を起こしにくくなる。自分で行動を起こしにくくなるので、他者の助けをより必要とするようになる。しかし、つらくなればなるほど、人は他者が助けたいと思う気持ちを起こさない姿に変わっていく。人は、自分で行動を起こさずただ助け

    つらくなるとつらくなりやすい問題 - Random Walker Log's Log
    toya
    toya 2016/05/09
    「弱者に寄り添い支えるというのは極めて人間的なことのように思われるけど、こういうものこそ、人間以外の、人を絶対に選別しないし足切りしない何かに置き換えなきゃいけない気がしている」
  • ある種の質問にはお答えいたしかねます - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト

    期間限定サイト「村上さんのところ」をご覧いただきまして、誠にありがとうございます。 連日たくさんのアクセスをいただきました当サイトですが、2015年5月13日をもって、公開を終了させていただきました。当主の村上春樹さんは、しばしの休憩をとったあと、来の小説のお仕事に戻っていらっしゃいます(当主からの最後の挨拶はこちら)。 1月15日のオープン以来、119日間という限られた期間でしたが、読者のみなさまと村上さんとの交流はたいへん面白く、そして意義深いものとなりました。3万7465通のメールをお寄せいただいたみなさん、そして、最後までご愛読いただいたみなさんに、あらためて感謝を申し上げます。 なお、当サイト上での質問者のみなさまと村上さんとのやりとりは、編集の上、新潮社より出版されます。くわしくはこちらをご覧ください。 新潮社 チーム縁の下

    ある種の質問にはお答えいたしかねます - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト
    toya
    toya 2015/01/27
    無理そう……「球場の中においしいカクテルを出す洒落たスポーツ・バーがあるといいですね。テレビで試合を見ながら、ウオッカ・ギムレットとかが飲めて、みたいな。蝶ネクタイをしめたバーテンダーがいて」
  • 断片的なものの社会学 第8回「笑いと自由」

    岸 政彦 第8回「笑いと自由」 ブログで2013年末から1年間にわたって連載していた『断片的なものの社会学』が、このたび書籍になります。2015年6月はじめから書店店頭に並ぶ予定です。これまで連載を読んでくださってありがとうございました。書き下ろし4に、『新潮』および『早稲田文学』掲載のエッセイを加えて1冊になります。どうぞよろしくお願いいたします!(編集部) 先日、ある地方議会で、男性議員からの、女性議員に対するとても深刻なセクハラヤジがあり、メディアでも大きく取り上げられて問題になっていたが、そのとき印象的だったのは、ヤジを飛ばされているちょうどそのとき、その女性議員がかすかに笑ったことだった。 あの笑いはいったい何だろうと考えている。 *  *  * 仕事でも、あるいは個人的にも、いろんな人たちとお付き合いがあり、なかでも自分の研究や教育、社会活動の関係で、いわゆるマイノリティと

    断片的なものの社会学 第8回「笑いと自由」
    toya
    toya 2014/10/10
    ただただすごい
  • 「僕は誰の役にも立たない」という前提に基づいて行動する事こそが誰の役にも立たない - シロクマの屑籠

    Latest topics > 自分のする行為の価値 - outsider reflex 自分の行動の選択基準に偽善・美醜といったものを無闇に導入しないほうが良いのでは?というご主旨には私も賛成です*1。ですが、一点、ちょっと気になったことがあったのでお尋ねします。 誰の何の役にも立てなくなったら、その時、僕はどうするんだろう? えーと、これです。なかなか難しい問いかけをなさっていますね。 「自分の行動や存在が誰かの役に立っているのか」を証明することは難しそうですが、誰の役にも立っていないことを証明するのもこれはこれで困難な気がします。そこら辺、ネガティブな気分的バイアスを乗り越えて適切に評価することって難しいことではないでしょうか。一見、誰も必要としていないようで、父母や友人が必要としているかもしれない。誰も評価していないようにみえて、実は自分の仕事が誰かの助けになっているかもしれない。

    「僕は誰の役にも立たない」という前提に基づいて行動する事こそが誰の役にも立たない - シロクマの屑籠
  • 「うちら」の世界 - 24時間残念営業

    2013-08-06 「うちら」の世界 最近は冷蔵庫に入ったりなんかくわえたりするのが流行りらしいです。 このへんのことについては、書こうと思ってうまくいかなくていくつか文章を放置してあったんだけど、今日、どこぞのまとめ見て不意にまとまったので書いてみる。 なおこのエントリは、来だったらもうちょい精密に考えなきゃいけないところを、自分の経験に引き寄せすぎて、ちょいとざっくりと処理しちまってるので、あんまり論としてはよいものではないです。 さて、件の炎上した人たちについては、バカに見える。現実問題としてアホだなあとは思うわけだが、俺自身の思想によって、バカであるという判断では終わらせられない。もしバカなのだとしたら、過去にも同様にバカはいたはずで、過去のバカと現在のバカはあまり変わらない、彼ら、彼女らだけが特異的にバカなのではない、と考えるわけだ。つまり、彼ら、あるいは彼女らが悪いというの

    toya
    toya 2013/08/06
    「さて、俺は考える。俺の常識、社会の常識のほうがまちがっていて、彼らの「うちら」感のほうが正しいという可能性をだ」
  • 「公正な世界の信念」という「錯覚」: JIROの独断的日記ココログ版

    ◆「公正な世界の信念」という、タチの悪い錯覚。 これに関しては、5年前に一度書いたことがある。 2007.08.30 「涙こらえ、最後の別れ 女性拉致・殺害磯谷さん葬儀に130人」←葬儀の様子などテレビで映さなくても良かろう。 メディアは、犯罪の被害者について、人は死んでしまって反論ができないのに、 例えば、レイプされた挙げ句殺された女性に関して「日頃から素行が悪かったらしい」 などとひどいことを書く。また、なんと被害者の遺族の自宅には、全然見ず知らずの人間から 「お前の娘は日頃から男関係がだらしなかったのだろう」と嫌がらせの電話がくるそうだ。 心理学者や社会学者によれば、人間には「公平な世界の信念」という(私に言わせれば)「錯覚」があるそうだ。 つまり、 世の中は正しく動いている。努力すれば報われる。貧困な人、社会的弱者は努力が足りないのだ。 また、正しく生きれば、犯罪の被害者になるこ

    「公正な世界の信念」という「錯覚」: JIROの独断的日記ココログ版
  • 公正世界信念について: 晴れの日は、えっちらおっちら

    社会心理学の教科書をひっくり返しました。あったあった。見つけました。 『公正世界信念』 1980年にラーナー(Lerner)という人が発表した仮説によれば、 私たちは、私たちの住む世界が、よい人にはよいことが、悪い人には悪いことが起きる公正な世界であるという信念を持っており、悪いことが起きた被害者には、その被害を引き起こす何かがあると考え、その責任を求める 被害者は、被害にあっても仕方がない人だ と、あまり深く考えずにそう結論づけてしまう傾向が、誰にでもあるということです。 実際の世の中は不公平で、よい人に悪いことが起きることも、悪い人に良いことが起こることもある。教科書にはそう書いてありますが、さあ、どのくらいそうだと思いますか? うーん、わかりません。ある程度、いい人にはいいことが起きないと、人間生きる希望が沸かないですよね。。。 非難すべきことのない人が被害にあったとき、私たちが深い

  • 『公正世界信念』のTweetについて、社会心理学者からの疑問

    Tanibe Tetsushi @t_tetsushi 「努力すれば報われる」に代表される、世界は正しく動いているはずだという考え方を公正世界信念といい、この信念が強い人ほど、少数者や弱者への否定的な態度を持ちやすい。という話を知ったときは、社会心理学を学ぶ中で一、二を争う衝撃だった 2012-06-03 22:43:21

    『公正世界信念』のTweetについて、社会心理学者からの疑問
  • 誰が弱者か?: 極東ブログ

    2ちゃんねるのまとめサイトだろうか、「どっちが弱者ですか?」(参照)というネタが上がっていた。ネタだというのは一目見ればわかるが、この絵はちょっと奇妙な後味を残す。誰が弱者か?という難問の、どこかしら質を突いているからだろう。 5人の人がいる。左から。 (a)貯金4000万円の働かなくても年金生活の老人。 (b)年収300万円の疲れ切ったブラック会社員。 (c)年収250万円の派遣社員。 (d)年収200万円のフリーター。 (e)旦那が年収1000万円の専業鬼女。 もちろん、ネタ元の「あなたの優しさで席をゆずりましょう」というときは、妊婦(e)や老人(a)に席を譲ろうという話だったのだが、これを「弱者」に問題をすり替えたとき、譲られるべき老人(a)も妊婦(e)も社会的な「強者」ではないのかというアイロニーである。 もちろん、とまた言うが、この局面では座っている権利を持っている人が身体的な

  • よみがえる水子供養 - 春巻たべた

    無意識に理想が高い人 - yuhka-unoの日記  まだ橋下が知事になったばかりの頃だったと思うが、彼を評して「あいつは部落で、世間を憎んでいる。そういう人間に権力を任せちゃいかん」と言い切った人がいて、ぼくはうわあすげえこと言うなあとドキドキしながら聞いてたんだけども、のちのち似たような言説を幾度も耳にしたところをみると、その人が格別に逸脱していたというわけでもないようで、ぼくはてっきり部落差別なんてものは百年前に滅んだとばかり思っていたものだから、「部落は世間を憎んでいる」なんていう金田一みたいな世界観が二十一世紀にもなってまだ大手を振って生き残っていることにひどく驚いた次第であるが、とはいえ話を部落に限らないのであれば、「貧しい家庭に育ったから」あるいは「幼少期の虐待のせいで」といった週刊誌の中吊り式の品性下劣な人物理解はとくに珍しくもないし、またそうした世界観を振りかざす人間がそ

  • ネットやってても、キミの世界観は広がらない - Attribute=51

    や、よくネットってさ、「欲しい知識がすぐに手に入る」とか、 「普段なら絶対に出会わない人と交流ができる」とか、 無限の世界が広がっているぜ!みたいなこと言う人がいるじゃないですか。 「知識を覚えるのをやめてGoogleを使いこなそうぜ」、みたいな。 まぁ、無限の世界が広がってるとか、たくさんの情報がすぐに手に入るのは、そうなんですが、 「イコール、世界観が広がる」ではないんだと思ったのです。 むしろ、1つの考えや見方に固執してしまい、世界観が狭くなっていくんじゃないかと。 考えてた流れはこんな感じ。 人は真相に弱い テレビで流れたニュースの真相や、「マスコミが報じなかった当の情報」みたいなものに人は弱かったりします。 そういう裏情報を知ると、「えー、そういうことなんだー」とか、 「やっぱりそうなんだー。これだからマスゴミはー」とか言いながら衝撃を受けるとともに、 妙な満足感があります。

    ネットやってても、キミの世界観は広がらない - Attribute=51
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