弊社にて繋養しておりましたディープインパクト号ですが、 かねてより治療しておりました頸部の手術を7月28日に受けました。 手術は無事に終了して術後の経過も安定しておりましたが、 翌29日の午前中に突然起立不能になったため懸命の治療を試みました。 30日の早朝にレントゲン検査を行ったところ頸椎に骨折が見つかり、 回復の見込みが立たないことから安楽死の処置が取られました。 突然の出来事で誠に痛恨の極みではございますが、謹んでお知らせいたします。
弊社にて繋養しておりましたディープインパクト号ですが、 かねてより治療しておりました頸部の手術を7月28日に受けました。 手術は無事に終了して術後の経過も安定しておりましたが、 翌29日の午前中に突然起立不能になったため懸命の治療を試みました。 30日の早朝にレントゲン検査を行ったところ頸椎に骨折が見つかり、 回復の見込みが立たないことから安楽死の処置が取られました。 突然の出来事で誠に痛恨の極みではございますが、謹んでお知らせいたします。
ジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長が9日午後4時47分、都内の病院で、解離性脳動脈瘤(りゅう)破裂による、くも膜下出血のため死去した。87歳だった。 ジャニー喜多川さんとジャニーズ事務所の歩みは次のとおり。 ▼1931年(昭6) 10月23日にロサンゼルスで生まれた。父は真言宗米国別院の僧侶。 ▼33年 父、母、姉、兄と帰国。 ▼44年 和歌山県の勝浦町に疎開。 ▼47年 再びロスに渡る。高校に通いながら劇場で裏方のアルバイトもした。 ▼50年ごろ 父が建てた集会所で、美空ひばり、高峰三枝子、山本富士子、ディック・ミネ、笠置シヅ子、二葉百合子らが公演などを行う際、通訳やコーディネーターを務めた。 ▼52年 日本に戻り、米大使館職員として勤務。戦争孤児に英語を教えるため朝鮮戦争の戦地に。その後、再び日本に戻り、東京・代々木のワシントンハイツ(在日米軍施設)に住む。 ▼62年 代々木周辺で遊
ジャニーズ事務所から「代表取締役社長ジャニー喜多川に関するご報告」とのタイトルでファクスが報道各社に送信された。以下は原文ママ。 平素は格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます。 弊社代表取締役社長ジャニー喜多川につきましてご報告がございます。 2019年7月9日午後4時47分、都内病院におきまして、ジャニー喜多川は、永眠いたしました。 享年87歳、死因は、解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血でございます。 ジャニーは、自身が育てたタレント達を応援してくださるファンの皆様やご支援くださる関係者の皆様に支えていただくことにより、自身の創作活動が成立し、日々、タレントの育成に励むことができていることに、日頃より大変感謝いたしておりました。ジャニーに代わりまして、心より御礼申し上げます。 2019年6月18日午前11時30分頃、自宅におきまして体調の異変を訴え、病院に向かおうとしたところ意識を失い
映画から舞台、司会など幅広く活躍し、「イェーイ」の決めぜりふでも知られる俳優の高島忠夫さんが26日、老衰のため自宅で亡くなった。88歳だった。 所属事務所の東宝芸能が28日、報道各社にファクスで発表した。妻・寿美花代の「最後は家族で見送りたい」という希望で家族だけで27日に密葬を行った。お別れ会などを開催する予定はないという。 高島さんは戦後間もない1951年、新東宝の第1期ニューフェースに合格し、芸能界に飛び込んだ。翌年には映画「花の応援団長」で役者としてデビュー。端正なマスクの一方で関西弁の話術でも人気を集めた。 63年に宝塚のスターだった寿美花代と結婚。64年8月、生後5か月だった長男が家政婦に殺害されるという惨劇が起きたが、65年には二男の高嶋政宏、翌年には三男の高嶋政伸が誕生。兄弟は後にいずれも芸能界入りした。 寿美とのおしどり夫婦ぶりも有名で、2人で司会を担当した日テレ系料理番
1937年に北海道浜中町で生まれる。65年に「プレイボーイ入門」でマンガ誌「漫画ストーリー」(双葉社)からメジャーデビューを果たし、67年8月にマンガ誌「漫画アクション」(同)で「ルパン三世」の連載を開始。人気を博して、71年にはテレビアニメが放送開始。その後もテレビシリーズ、劇場版など現在まで新作が作り続けられるヒットアニメとなった。 80年以降、サンディエゴ・コミックコンベンションINKPOT賞、ローマ・コミックフェスティバルROMICS金賞、AMD Award功労賞、東京アニメアワードアニメ功労賞などを受賞。晩年もCGを使った3Dアートの研究など意欲的に活動したほか、大手前大学などの客員教授としてマンガ制作の講義を行うなど、後進の指導にも努めた。 2012年からは故郷の浜中町で、ファンイベント「ルパン三世フェスティバルin浜中町」が開催されているほか、07年のテレビスペシャル「ルパン
先月17日に肺炎で死去した内田裕也さん(享年79)のお別れの会「内田裕也 Rock’n Roll葬」が3日、東京・青山葬儀所で営まれた。 喪主を務めた長女のエッセイスト内田也哉子(43)が謝辞を述べた。 全文は次の通り。 私は正直、父をあまりよく知りません。わかり得ないという言葉の方が正確かもしれません。けれどそれは、ここまで共に過ごした時間の合計が、数週間にも満たないからというだけではなく、生前母が口にしたように、こんなに分かりにくくて、こんなに分かりやすい人はいない。世の中の矛盾を全て表しているのが内田裕也ということが根本にあるように思います。 私の知りうる裕也は、いつ噴火するか分からない火山であり、それと同時に溶岩の間で物ともせずに咲いた野花のように、すがすがしく無垢(むく)な存在でもありました。率直に言えば、父が息を引き取り、冷たくなり、棺に入れられ、熱い炎で焼かれ、ひからびた骨と
名牝ウオッカが蹄葉炎で死す 武豊「本当に残念」 拡大 牝馬として64年ぶりにダービーを制すなど、G1・7勝を挙げたウオッカが、蹄葉炎のため1日に死んでいたことが3日、明らかになった。15歳だった。 現役引退後は繁殖牝馬としてアイルランドで繋養されていたが、2月23日から英国ニューマーケット近郊の牧場に移動。3月10日の早朝、スタッフが馬房内で右後肢の異変に気付き、病院に搬送されたという。その後は右後肢第3指骨粉砕骨折が認められ、手術を行うなど回復に向けての処置が続けられたものの、両後肢に蹄葉炎が発症。回復の見込みがなくなったことから、1日の午後に安楽死処分となった。 過去10戦で手綱を取った武豊は「僕にとって大変思い出深い馬でした。名馬と呼ぶにふさわしい馬だと思います。ファンの多い馬でしたし、本当に残念なニュースです。ご冥福をお祈りします」とコメントした。 同馬は北海道静内町のカントリー牧
おれが山の中の喫茶店だったかレストランだかの屋根の写真を撮っていると、声をかけられた。 「こういう苔とかを撮るのが人気ブログの秘訣ですね?」 おれは急にこっ恥ずかしくなって、しどろもどろに「いや、そんなことは、べつに、人気なんて、ないです」などと答えたと思う。 たぶん、脚力、体力は彼が一番だったし、それゆえに一番最後を走っていた。が、その彼がほかの三台から遠く遅れてしまった。自転車を止めて待った。追いついてきた彼いわく、「口の中にカナブンが飛び込んできた」。みんなで笑った。 おれのロードバイクが重装備だという話になった。 「クロスバイクを買ったばかりの、初心者のころ読んだ本に、前照灯2灯、後方赤色灯2灯と書いてあったので」 とおれ。 「それ、絶対エンデューロの本だわ!」 と言われた。そうだったのか。おれは笑った。 おれが、以前乗っていたクロスバイク、GIANT ESCAPE 2で江戸川サイ
ネット上で知り合い、リアルで飲みに行くことになったので作ったLINEグループがある。同世代ばかりなので自嘲気味に「おっさんず」という名前にした。そこではネットには書かないプライベートなことも共有したり、実際に会うのは年に1度か2度くらいだけどLINEでしょっちゅうどうでもいい話をしたり、全員がIT系なのもあってネットで話題なことをああだこうだと言い合ったり、突然遊びに行くぞと宣言してどこか行ったりしている。大人になってからできる友人というのは得難い存在で、それが同世代なら尚更だ。 彼と初めて会ったのはいつの頃だったか。Twitterで知り合った友人に「あの人とよくやり取りするようだから是非紹介してほしい、一度会ってみたい」と伝えて紹介してもらった。2011年くらいの事だろうか。そのようにして彼は「おっさんず」最後のメンバーとなった。 彼はブログを書くといつも感想を伝えてくれるし、褒めてくれ
【お知らせ】篠原栄太さん @raf00 は、去る1月15日、事故のため急逝されました。ご遺族に代わりまして友人を代表し、生前故人に賜わりましたご厚誼に対し心から御礼申し上げます。なお共有いただきました故人との思い出につきましては、… https://t.co/uTrWvhUKF3
山と雪を愛し、いつも明るい笑顔の美しい人でした。三連休中の2月10日日曜日、2014年のトランスジャパン・アルプスレース(TJAR)完走をはじめ、トレイルランニングの第一人者として活躍してきた西田由香里 Yukari Nishidaさんが中央アルプスでの登山中に滑落して亡くなりました。 (写真・2018年のウルトラトレイル・マウントフジのスタート直前の西田由香里さん。Photo by Koichi Iwasa) 報道によれば、西田さんは5人のグループで前日から一泊二日の予定で中央アルプスへ入り、この日の朝8時過ぎに仙涯嶺(標高2,734m、南駒ケ岳の南にある岩尾根のピーク)で足を踏み外して岩場に滑落した、とのこと。登山道には雪が残っていた、といいます。 西田由香里さんは1974年生まれ。山に囲まれた松本市出身ながら山に親しむようになったのは社会人となってスノーボードを始めたのがきっかけ。以
天地総子さん(あまち・ふさこ=歌手、俳優、本名岩澤総子〈いわさわ・ふさこ〉)が6日、脳梗塞(こうそく)で死去、78歳。葬儀は近親者で行った。喪主は夫岩澤竹次郎さん。 東京都出身。「パンシロンの歌」など多数のコマーシャルソングを歌い、「CMソングの女王」と呼ばれ活躍した。「マーチング・マーチ」でレコード大賞童謡賞を受賞。アニメ「オバケのQ太郎」でQ太郎の声も演じた。
テレビアニメ『一休さん』の一休役、『キテレツ大百科』のキテレツ役など数多くのキャラクターを演じた声優・藤田淑子(ふじた としこ)さんが浸潤性乳がんのため、28日に亡くなった。68歳。所属する青二プロダクションの公式サイトで同日伝えられた。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く