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戸籍と歴史に関するtoyaのブックマーク (3)

  • 人名用漢字の源流(第1回) | 人名用漢字の新字旧字(安岡 孝一) | 三省堂 ことばのコラム

    今月24日に『新しい常用漢字と人名用漢字』が発売されます。三省堂ワードワイズ・ウェブでの3年3ヶ月に渡る連載が、ようやく書籍の形で結実することとなりました。でも、実際に書籍として執筆してみると、ウェブ連載では書かなかったアレやコレやのネタを盛り込みたくなってしまい、結局、第1章「常用漢字と人名用漢字の歴史」は完全に書き下ろしとなりました。出版記念と言っては何ですが、第1章の内容を要約したり、あるいはちょっと脱線してみたりしながら、人名用漢字の源流を、昭和26年まで追ってみたいと思います。 名のつけ方委員会と『標準名づけ読』 昭和13年7月11日、国語協会が主催した第1回国語運動懇談会では、漢字制限に関する様々な議論がたたかわされました。中でも東京高等学校の宮田幸一は、子供の名づけに関して、以下のような提案をおこないました(『国語運動』昭和13年9月号671頁)。 私は国語協会が命名問題に

    人名用漢字の源流(第1回) | 人名用漢字の新字旧字(安岡 孝一) | 三省堂 ことばのコラム
  • 人名用漢字の源流(最終回) | 人名用漢字の新字旧字(安岡 孝一) | 三省堂 ことばのコラム

    市町村長は、出生の届出において子の名に前項の範囲外の文字を用いてある場合には、届出人に対してその旨を注意することができる。但し、届出人がこれに従わなくともその届出を受理しなければならない。 議院運営委員会の決定に驚いた文部事務次官の日高第四郎は、即座に、官房副長官で元国語審議会委員の剱木亨弘に泣きつきました。剱木は、昭和26年6月5日のその日のことを、のちにこう回想しています(『西日新聞』昭和61年5月14日朝刊5頁)。 日高次官の話を聞いた私は「いまとなってはどうしようもない」とは思ったが、文部省を見殺しにもできない。最後の努力をしてみようと、自由党国会対策委員長の小沢佐重喜先生のところへ走った。衆院会議が開会される直前だった。 「先生、戸籍法一部改正案の上程を何とか取りやめて下さい。これが成立すると文部省の国語政策は根から崩れます。当用漢字制度の危機です」 「君、もうだめだ、全会

    人名用漢字の源流(最終回) | 人名用漢字の新字旧字(安岡 孝一) | 三省堂 ことばのコラム
  • WEB特集 戦後75年 母と信じた人は別人だった | NHKニュース

    戦争孤児は、どこまで翻弄され続けるのか。親の手がかりを求める旅を70歳をすぎてから始めた女性がいる。おととし、母の名前を知った時には、その存在を初めて実感できて心が震えた。さらに詳しく知りたいと、個人情報の壁を乗り越え手にした行政の記録には、母だと信じていた人は別人という事実が記されていた。戦後75年の夏に、立ちすくむ戦争孤児。しかし、専門家は指摘する。 「戦争孤児の人生の空白を埋める責任は国にある」 (ネットワーク報道部記者 大石理恵) 旅の主人公は、北海道江別市に暮らす谷平仄子(ほのこ)さん(75)。幼い頃、戦争孤児を保護する埼玉県の施設で過ごし、5歳で里親に引き取られて北海道で育った。実の親の記憶は、ない。戸籍の父母の欄も、空欄のままだ。 「私はどこの誰なのか。わからないままでは死ねない」 70歳をすぎてからその思いにとらわれるようになり、2018年11月から親の手がかりを探し始めた

    WEB特集 戦後75年 母と信じた人は別人だった | NHKニュース
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