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ブックマーク / diary.uedakeita.net (41)

  • 祝 - 真顔日記

    aikoさんがご結婚されたので、有料noteに移行していた文章のうち5を無料で読めるようにしました。年内はこのままにしておく予定。(追記:終了しました) note.com note.com note.com note.com note.com note.com

    祝 - 真顔日記
    toya
    toya 2021/12/15
  • aiko的なものとミスチル的なもの - 真顔日記

    自分がaikoについて書いた文章を読み返していて、この人は世界とaikoの区別が付いていないんじゃないかと感じた。これは良くない。私は世界とaikoの区別を付けている。私は正気である。 私はあらゆる物事にaikoを見出す一方で、そうして見出されたものを吟味して、aiko的ではないと判断することもある。世界はたしかにaiko的事象にあふれているが、万物をだらしなくaikoと認識することは許されない。aiko的なものは森羅万象へ際限なく拡散していく一方で、一点に凝集する厳密な物としても存在している。 また、こうして語られる「aiko的なもの」というのも私個人の感覚であり、極論してしまえば、aikoの歌詞だって常にaiko的であるわけではない。こうなってくると単なる異常者の発言にも思えてくるが、まあ、熱心なファンは大抵こういうことを言い始める気もします。そしてジョンレノンを狙撃したりする。気をつ

    aiko的なものとミスチル的なもの - 真顔日記
    toya
    toya 2020/09/16
  • 「アルティメット」というスポーツがあるらしい - 真顔日記

    大学時代、知り合いが「アルティメット」という競技をやっていた。どんな競技かは知らない。詳しく聞いたわけでもない。 「おまえ、何のサークル?」 「俺、アルティメット」 それ以上の記憶がない。「そういう競技があるんだ」と言われて、「へえ」と答えて、会話は終わった。しかし、ずっと記憶に残っている。たまに寝る前に思い出してしまう。ちゃんと内容を聞いておけばよかった。アルティメットとは何なのか。一体、どんなスポーツなのか。 とにかく名前だけでものすごそうである。私のイメージだと、一試合で五人は死んでいる。なんたってアルティメットである。究極なのである。フィールドの各地に地雷が埋まっていて、それをかわしながらやる競技なんじゃないか。地雷をかわしつつ、相手のゴールにボールを投げる。いや、ボールではなく手榴弾かもしれない。ちなみに反則行為は即座に射殺。なんたって、アルティメットなんだから。 ウィキペディア

    「アルティメット」というスポーツがあるらしい - 真顔日記
    toya
    toya 2019/09/14
  • aikoにとって言葉とは何か? - 真顔日記

    「あたし」の身体に「あなた」の言葉が侵入してくる。それがaikoの歌詞世界である。aikoにとって、言葉は器用に使いこなすことのできる便利な道具ではない。言葉があまりに強く肉体と結びついているからだ。『LoveLetter』の歌詞を見よう。 何度も何度も何度も読み返そうか だけどそんなに読んだらあなたは嫌かな 何度も体に入ってくる言葉が苦しい 「あなた」の手紙にまったくうっとりしていないところが、いかにもaiko的な描写だと言える。aikoにとって「あなた」の手紙を読むことは、言葉をみずからの体内にいれて苦しむことなのである。むろん、「苦しいなら読むなよ」というツッコミもありうるが、それはaiko的世界への無理解から起こる。「好き」という感情が苦しみと結びつくことを知らない人は、端的に言って、いまだaikoを知らないのである。 『彼の落書き』という曲では、「あなた」への想いが、「あたし」の

    aikoにとって言葉とは何か? - 真顔日記
  • 最近の仕事まとめ2018年春 - 真顔日記

    最近の原稿仕事をまとめておきたい。定期的にこういうことをしたほうが絶対にいいからである。まとめをさぼるのはよくない。ということで、今年の一月から四月にかけてブログ以外に書いていたものをまとめます。よろしくお願いします。 GINZA まず、GINZAの五月号にファッションに関するコラムを書いた。発売後、「なんであんなおしゃれな雑誌におまえの文章が載ってるんだ」と各方面から問い合わせがあったが、その理由をいちばん知りたいのは私なんですよね。ほんとなんで? なお、「ファッションに関するコラムを書いた」とかごまかしてるが、「黄色のパンツに白のシャツを着ると配色がソフトクリームと同じになるので大変だ」みたいなことを書いただけだ。ほんといいのか。知的な服ってなんだろう、って書いてあるのに。 GINZA(ギンザ)2018年5月号[WHAT IS INTELLIGENCE 「知的な服」ってなんだろう] 出

    最近の仕事まとめ2018年春 - 真顔日記
  • ネコと仲良くするさまざまな方法 - 真顔日記

    月に一度、杉松の家に行っている。そして5匹のネコたちと再会する。ネコは私のことを完全には忘れていない。しかし住んでいた時の態度とも微妙にちがう。少しだけよそよそしくなっている。その態度にショックを受ける。 何度か帰るうちに分かってきた。ネコは私を「○○してくれる人」として認識している。だから久々に登場したときは反応がうすい。しかし住んでいた当時にしていたことを試すと、一気に思い出してくれる。これが、たまにしか会わないネコと関係を維持するためのテクニックなのか。 具体的な方法がネコごとにちがうのも面白い。セツシと菊千代という二匹のネコは棒をふって遊ぶと思い出してくれる。なんとなく小学生男子といった風情だ。ネズミのオモチャを投げてやることも効果的。うれしそうに走っていき、くわえて持ってきてくれる。「オモチャで遊んでくれる人」と認識されているんだろう。 影千代というネコは簡単である。何もしなくて

    ネコと仲良くするさまざまな方法 - 真顔日記
    toya
    toya 2018/05/02
    「飼い主の布団でいきなり放尿したりする。aikoリスナーを代表して言わせてもらうと、こんな行動はaiko的世界に登録されておりません」
  • 突然、ネコはチンピラの顔をする - 真顔日記

    かわいいと思って油断していると、突如、チンピラの顔をする。それがネコという生き物である。肉動物としての根っこが出ると言えばいいのか、透明感で売る女優がのぞかせる元ヤンとしての素顔と言えばいいのか。とにかくネコと暮らしていると、唐突にチンピラの顔をされて驚くことがある。 あるとき、初音が玄関で私のコンバースをいじくっていた。ひもがあるのが面白いんだろう。私のコンバースは定期的にネコたちに蹂躙される。コンバースをクッションにして寝ることもあれば、ひもを噛んでいることもある。私も慣れたものだから、好きにしなさいという態度で写真を撮っていた。 その後、別のネコもやってきた。ヒモで遊ぶのはやめて、二匹でのんびりとしていた。牧歌的な光景がそこにはあった。私はそのまま写真を撮り続けていた。しかし次の瞬間、何のまえぶれもなくチンピラが登場した。 これだ。これが唐突に出てくるチンピラである。何の伏線もない

    突然、ネコはチンピラの顔をする - 真顔日記
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    toya 2018/05/02
  • 自称aikoのどうしようもなさ - 真顔日記

    あいかわらずaikoを聴いている。 というか、この書き出しはもはやこの日記において、「あいかわらず酸素を吸っている」くらいの意味にしかならない気もするが、あいかわらず聴いている。何度聴いても、自分のことを歌っているとしか思えない。私の中にはaikoがいる。 はじめのうち、自己の内側にaikoを感じることは特殊な体験のように思えるが、やがて慣れて気にならなくなる。すると自分がaikoであることはただの常識になる。一月の次に二月が来るように、私の中にはaikoがいる。だからこの日記でも当然のように、俺はaikoだ、俺はaikoだと繰り返してきた。 しかし、人に会うとだめだ。 先日、ブログを読んでいる知人に、「上田さんは自称aikoですもんね」と言われた。ひさしぶりに客観的な立場から自分を見た。これはやばい。自称アイドルや自称クリエイターと比べても、自称aikoのやばさは飛び抜けている。だって自

    自称aikoのどうしようもなさ - 真顔日記
    toya
    toya 2018/04/23
    「それでひさしぶりに客観的な立場から自分を見た。これはやばい。自称アイドルや自称クリエイターと比べても、自称aikoのやばさは飛び抜けている。だって自称aiko、絶対にaikoじゃないでしょ」
  • ゴッホの絵を見るとクレープが食べたくなる - 真顔日記

    先日、杉松とふたりでゴッホ展に行った。京都国立近代美術館でやっていた。それで実感したが、ゴッホのなまの絵を見ることはものすごく疲れる。すさまじく疲労した。昼をとってから絵を見たのに、美術館を出た後、二人とも甘いものがべたくなっていた。 なぜこんなに疲労したのか、杉松と話し合った。杉松は「頭のおかしい人の話をずーっと聞いたあとみたいな気持ち」と言った。たしかに、と思った。ガーッと脳の処理能力を使わされた感覚。この世でなにが危険かって、伝達能力をぎりぎりのところでそなえた狂人ほど危険なものはない。 アントナン・アルトーに「ヴァン・ゴッホ」という文章がある。アルトーのこの文章も、脳の処理能力を要求してくるという意味で、ゴッホの絵に似ている。たまにそういう類の文章がある。なお、私の手元にあるのはちくま学芸文庫のものである。 河出文庫の『神の裁きと訣別するため』にも同じ文章が収録されていて、こち

    ゴッホの絵を見るとクレープが食べたくなる - 真顔日記
  • 発声と健康 - 真顔日記

    現在、日常において声を発する機会がない。文を書くことが生活の中心にある。人と会わなければ声は不要である。そして分かったのは、声を出すことは健康によいという単純な事実だ。失なってはじめてわかる、声を出す機会の大切さ。 コンビニ店員と最低限のやりとりをする。あたためますかとたずねられて、はいと答えるとき、自然と声が出ないことにおどろく。「はい」と言ったつもりが、「すぁい」みたいな、かすれ声しか出ない。声もまた筋力と同じように衰えるのだ。 そのことに気づき、次はすこし大きめに声を出してみるんだが、今度は極端に元気のよい声が出てしまう。「ハイッ!!!」というふうに。声量のコントロールがバカになっている。あんなものは、新兵が上官に命令されたときのハイだった。おまえは上官に弁当をあたためてもらうのか。 接客業をしていた頃は、毎日大声で挨拶していた。私がちゃんと接客をする人間であることも大きい。接客用の

    発声と健康 - 真顔日記
  • しかも「アウター」の使い方をまちがえるのか - 真顔日記

    前回の文章がたいへんだ。 ちなみに、ジャンパーおよびブルゾンを現代の人間として恥ずかしくない形で表現するならば、「アウター」らしいです。 この部分なんだが、「アウター」はおかしいと指摘された。「アウター」だと、ジャケットやカーディガンまで含まれてしまうという。「ファッション関連の言葉は地雷だらけだ」と言っている瞬間、またしても別の地雷を踏んでいたという事実。これは相当に恥ずかしい。しかも爆発したことに気づいていない。タフガイですね。 整理しておくと、「アウター」はトップスに羽織る衣類全般をさしている。ジャケットだろうが、カーディガンだろうが、「アウター」である。その意味ではジャンパーも「アウター」ではあるが、言葉の意味する範囲がずれているため不自然である。「ブルゾン」はべつに古くないので、「ジャンパー」は「ブルゾン」と言い換えればよいのではないか。 ということみたいですよ!(もう地雷を踏ん

    しかも「アウター」の使い方をまちがえるのか - 真顔日記
  • もうテレコという言葉から逃げない - 真顔日記

    関西人は「テレコ」という言葉を当然のように使う。これは以前から思っていた。知り合いの関西人も使うし、関西芸人のトークを見ていても普通に出てくる。いちいち意味を説明する必要のないほど浸透しているようだ。しかし私はずっと意味を知らなかった。 今日、同居女性(奈良出身)に「テレコ」と言われた。ぷよぷよのアプリのルールをたずねたとき、「ここがテレコになっててね」と言われたのである。それで思った。向き合わねばならない、と。 知らない言葉を放置しておくこと。これは人を落ち着かない気分にさせる。人生が長くなるほど、微妙な距離感の言葉は増える。たまに耳にするが意味を知らない言葉は、たまに顔を会わせる仲のよくない知り合いのようなものだ。毎回、少しの緊張がある。 今こそ、テレコの意味を知るときだ。私は聞いた。テレコとは何なんだと。教えてくれと。俺はもう、テレコから逃げないからと。 「"逆"ってことだよ」と女性

    もうテレコという言葉から逃げない - 真顔日記
    toya
    toya 2018/01/24
  • aikoを聴きすぎると人はどうなるのか? - 真顔日記

    去年はaikoを聴き続けた一年だった。今年も聴き続ける一年になるのだろう。 日常的にaikoを聴いていると、世界の見え方が変わりはじめる。aikoの歌詞世界をもとに世の事象を眺めるようになる。さっきも地下鉄のホームでカップルが見つめあっているのを見て、「いやいやaikoじゃないんだから」と思っていた。しかし、これは自分のほうがおかしい。aikoじゃないんだからも何も、実際にあれはaikoじゃない。aikoとして認識するハードルが下がりすぎている。 先日、aiboに関するネットニュースを見て、反射的にaikoと読み間違えた。同じように間違えた人はけっこういるようだった。なので私のような人間は、そりゃ間違える。むしろ間違えないほうがおかしい。間違えたことを誇りにすら思う。aiboとaikoを簡単に見分けられるような男にはなりたくない。そのときはヘッドホンを置いて、aikoを聴くことから引退する

    aikoを聴きすぎると人はどうなるのか? - 真顔日記
    toya
    toya 2018/01/08
  • プリクラで美化される顔面について - 真顔日記

    いつのまにか、写真は美化されて当然になっている。あれはなんなんだろう。プリクラにしろ、スマホのカメラアプリにしろ、顔面をみごとに美化してくれる。人々は美化された画像を堂々と公開している。そこに後ろめたさもなさそうだ。 私は写真を撮られることが好きではない。長く同居していた杉松もそうだった。そんな二人で暮らしていると、写真を撮る機会は一切おとずれない。われわれを置き去りにして時代は美化のテクノロジーを発展させていった。 われわれはネットで人間の美化された顔を見るたびに話し合っていた。これは何なのか。いったい何が起きているのか。日常的にこういうことをしている人間のアイデンティティはどうなるのか。画像と実物のギャップで自己同一性が崩壊したりしないのか! ある時、二人で二条のシネコンに行った。映画を観たあと、エスカレーターを降りるとゲームセンターがあった。プリクラコーナーと書いてある。われわれは目

    プリクラで美化される顔面について - 真顔日記
  • ハトの配色は奇をてらいすぎ - 真顔日記

    去年の夏、河川敷に座って、鴨川の流れをながめていた。川というのは見飽きない。作為がないからである。周囲にはハトがたくさんいた。まじまじとハトを見た。ハトもまた見飽きない。やはり作為がないからである。 と、言いたいところだが、ハトを見て思ったのは、首まわりの配色が奇をてらいすぎだということだった。全身は地味な灰色なのに、首のあたりだけ、蛍光のパープルとグリーンがざっくりと塗りたくられている。これはかなり大胆な色使いだろう。企画会議なら非常に揉めそうなもの。けっこう長いこと見ていたが、いっこうに納得がいかなかった。 ハトというのは日常的な鳥だし、そこらの公園に行けば一山いくらでポッポポッポやっているから、ついつい普通のものだと思ってしまうが、あらためて観察すると、こんな妙な鳥はない。そもそも、この歩き方はなんなのか。一歩進むごとに頭を前後に動かしている。 どんなお調子者も五分で恥ずかしくなりそ

    ハトの配色は奇をてらいすぎ - 真顔日記
  • 知らない言葉を当然のように使われるとゾクゾクする - 真顔日記

    自分の知らない言葉を当然のように使われるとゾクゾクする。ほとんど性的興奮の域に達している。自分が聞いたこともない言葉を当然のように使われて、「もちろん知ってますよね?」という態度を取られること。これがたまらない。 だから私は電車の中で女性誌の吊り広告を見るのが好きである。自分と無関係な言葉、無関係な表現、無関係な欲望があふれているからだ。たとえば数年前に見かけて、いまだに覚えている女性誌のコピー。 今年こそ、パンツスタイルを極めたい! これだけでゾクゾクする。私はパンツスタイルを極めたいと思ったことがない。人生で一度もない。しかしこのフレーズには「何年も挫折してきた」というニュアンスさえ読み取れる。「今年こそ」である。世の中にはパンツスタイルを極めようと何年も努力している人間がいるのだ。ゾクゾクする。 昔、ふとした拍子に、知らない女のラジオをきく機会があった。メインは女なんだが、聞き役の男

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    toya
    toya 2017/03/16
  • キャッチーなメロディをすぐに口ずさんでしまう - 真顔日記

    aikoの『恋をしたのは』がずっと頭のなかを流れている。『聲の形』という映画の主題歌になっていた。これがずっと流れている。そして頭のなかを流れるメロディは口に出されることを求めるので、私は小部屋でずっと歌っている。もっとも、「あ~あ~あ~あ~恋をしたのは~」というところだけで、あとはホニャホニャ的ごまかしによってまだ歌詞を覚えていないことを隠蔽している(隠蔽できとらんが)。 aikoの曲で初聴から覚えられるものは意外と少ない。最近の曲だと『合図』は一発で持ってかれたが、基的にじわじわと良さが分かってくる曲が多い。去年出たアルバムに収録されている『蒼い日』なんか、最初のうちはなんとも思っていなかったのに、現在はイントロだけで感極まる状態になっている。 とくに注目していなかった曲に「これめちゃくちゃ良いじゃん!」と気づく。aikoを聴いているとひんぱんに起きることである。そして「俺はいままで

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    toya 2017/01/28
    CMの音楽をすぐに口ずさんでしまう病気があるのでよくわかる(特にセキスイハイム)
  • 近所に大戸屋ができてほしいという祈りにも似た気持ち - 真顔日記

    私はほとんど自炊をしない。だから近所にある飯屋で日々の事が决まる。これは同居人もそうである。行きつけの飯屋を五つほど用意して日々をまわしている。そんな生活である。 しかし近所にふつうの定べられる店がない。中華、牛丼、カレーはある。パンや麺類もある。インドカレーにナンをひたしてべられる店まである。なのに、ごはんに味噌汁、主菜に小鉢という日的フォーマットで出てくる店がない。 自分の住んでいるあたりの問題なのか、意外とそういう場所は多いのか、とにかくそんな日々を過ごしているから、私と同居人のあいだに、「近所に大戸屋さえあれば……!」という祈りにも似た気持ちが生まれている。 もっとも、最後に大戸屋に行ったのは二人とも十年ほど前で、私はむかし東京に住んでいたころ、立川駅近くの大戸屋に通っていた。そして同居人は河原町で働いていたころ、会社の昼休みによく大戸屋に行っていた。 対象が日常から

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    toya
    toya 2017/01/23
  • 談話室におけるネコたちのガールズトーク - 真顔日記

    ネコというのは、気温に敏感に反応する。だからネコを飼っていると、季節のうつりかわりをネコのねむる場所で気づくようになる。木々の色づきでも、風の香りでもなく、ネコの寝場所である。風情があるのかどうなのか。 夏、ネコたちは個人主義者である。それぞれの好きな場所で、腹を出して寝る。くっつくことは少ない。単純に暑いからだろう。家のあちこちに散らばっている。そこで求められるのは冷んやり感である。フローリングが人気である。 しかし秋冬はちがう。肩を寄せ合う。ぬくもりのもとに集まる。人気になるのはコタツである。ホットカーペットのうえで、だらしない姿になるのも日常だ。フローリングの価値は暴落している。このへんは見事に変わる。 冬にネコの身体をさわると、右側面だけぬくぬくしていることもある。左側面はふつうである。そして顔は寝起きである。どちら側をカーペットにつけて寝ていたのか一瞬でバレてしまっている。まあ、

    談話室におけるネコたちのガールズトーク - 真顔日記
    toya
    toya 2017/01/13
  • 真顔日記の2016年人気記事まとめ - 真顔日記

    今年よく読まれた記事をまとめました。Google Analyticsで「2016/1/1〜12/27」に設定して、ページビューの多かった順に並べてます。一位でだいたい30万PVくらい。年末年始のおともにどうぞ。 1位 現実には、いまでもファミリーマートに抱かれる日々が続いています。妄想は問題を解決しないのかもしれません。 2位 パン屋のおばさんの一言だけでよくこんなに書けるな、と思いました。 3位 自分で読み返して後半の展開に感心しました。下ネタではあるんですが、下ネタとしてよくできている。 4位 aikoです。 5位 来年、このへんの話を掘り下げる連載がはじまります。深津をほめるおじさんを掘り下げるおじさん。なかなかの地獄感。 6位 aikoです。 7位 2015年の記事なんですが、今年だけでもかなり読まれている。やはり稲葉浩志という人の圧倒的なキャラ立ちのおかげだと思います。B'zファ

    真顔日記の2016年人気記事まとめ - 真顔日記