タグ

ブックマーク / qana.hatenablog.com (7)

  • 約束は嘘の味がする - Qana’s diary

    あることに誘われたけどちょっと気乗りがしなくて、その日は大事な予定があると嘘をついて逃れる。嘘をついたから、その日はうっかりインスタに矛盾する内容を投稿するわけにはいかない。他の人に週末の予定を話すときも、嘘をついた相手につながる可能性があるかを考えて慎重に答えないといけない。むしろ実際に大事な予定を作った方が楽な気がしてくる。 嘘は約束とほとんど同じものだと思う。噓がばれないようにするのと、約束を果たすのと、どちらも同じように責任を負うし、失敗すれば信頼を失う。どちらも、世界のあり方へコミットする行為だ。嘘は虚構へのコミット。約束は事実へのコミット。実はたいして変わらない。 むやみに嘘をついてはいけないし、同様にむやみに約束をしてはいけない。すればするほど、自由を失うから。逆に言えば、嘘を絶対につかないというのは、世界の現れ方に対する責任を一切拒否することだ。意思がなく、貫く筋もなく、勝

    約束は嘘の味がする - Qana’s diary
    toya
    toya 2024/04/27
  • 関係性は作るもの - Qana’s diary

    あるときこんな問いに出くわしました。「あなたが当に素直に頼ったり相談できる人は何人いますか」見当もつかない。周りに人はいるけれど、当に頼れるのでしょうか。 あるいは、ある人を形容するときに「友達」と呼ぶか「知り合い」と呼ぶかで迷います。向こうはどう思っているのかな。 だれかが自分のことを第三者に紹介するとき「この人は親友」みたいに言う。そうなのかな、と胸の中で思う。悪い気はしないけれども。 ……これらはいずれも、ある弱さの表出なのだと思います。拒絶されて傷つきたくない心の弱さ。他者との関係を自分の意思で決めようとする勇気の欠如。 人と人の関係性は、先にどこかに規定されている正解を発見するものではありません。そうではなくて、相互に築くものなのです。例えるなら池に浮かぶ二艘の舟。その動きは常に相対的で、相手も動くし、自分も動くことができる。そしてどの程度の距離にするかにはお互いに責任がある

    関係性は作るもの - Qana’s diary
  • 感謝されることに気をつけなさい - Qana’s diary

    感謝されることに気をつけなさい。それはあなたがあなた自身の人生ではなく、他人の人生を生きた印だから。 感謝されるのは、危険なことだ。だれかのために時間を使って、いたく感謝されて、それで他のことはたいしてしないままで日が暮れて、ああいい一日だったなと心地よい疲労感に浸る。なんとなく、それでいいような気がしてしまう。うん、今日は有意義な一日だった。よかったよかった。 「でも、当にそうだろうか?」 人に感謝されたら、必ずそう問い直すように気をつけなさい。あなたが助けたその人は、今日その人の生きるべき人生を生きた。あなたは、その人に負けないくらいあなたの人生を生きただろうか。その人助けは、あなたの人生にどういう意味を持つだろうか? その経験は、あなたの将来の糧になるだろうか? あなたは、あなたの時間を安売りしていないか? もちろん、人のために何かをすることを否定するわけではない。困ったときはお互

    感謝されることに気をつけなさい - Qana’s diary
  • ニセモノの人生 - Qana’s diary

    人生というものは、大海原を自由に航海し、大樹海を泳ぎ、大草原を駆けることだと思っていた。無限に冒険が広がっているのだと思っていた。 そういうふうにして人生を送っている人もいないことはない。だけど、ほとんどの人はそんな人生からは程遠い。わたしたちのほとんどにとって、人生とはできあいのテーマパークの順路をめぐるようなものだ。忘れられない出来事があり、運命的な出会いがあり、涙を流す悲しみがある。でもそういうものがすべて、色褪せて見える。ぜんぶ、仕組まれて、作られたものでしかない。 人生の順路を歩いているうちは美しく見えるかもしれない。だけど、見える景色すべてまがいもので、薄っぺらい板に描かれた虚構でしかない。道を外れて歩くと、その舞台装置の裏側が露になる。 大人になって、就職して、結婚して、子どもを育てて。そういう順路を忠実にたどれば、美しい場面の思い出に彩られた、素敵な人生が送れるかもしれない

    ニセモノの人生 - Qana’s diary
  • 人生に高速道路を探すのはやめよう - Qana’s diary

    「レールから外れると人生は自由になる」という言説がある。これは、まちがっている。レールから外れれば外れるほど、「遅れを取った」分を取り返さなければいけない気がして、人一倍、一直線な道、いわば「人生の高速道路」を走ることに必死になってしまうから。 少なくともわたしにとってはそうだった。 実際のところ、わたしの「レールから外れる」度合いがどの程度だったのかを客観的に評価することはできない。たぶん、する意味もない。主観の上では、首の皮一枚で生還したように感じていた。 だから、ふたたび歩き出してからは、脇目も振らずに走り続けてきた。学歴もつけなきゃいけないし、スキルも必要だし、課外活動だってあくまで将来のために役に立ちそうなことをしていた。高速道路を全速力で進むことだけが、自分に許された道筋だと思っていた。 いや、当はそこまで真面目な性格でもないから、足が進まないことはあった。でも、わき道にそれ

    人生に高速道路を探すのはやめよう - Qana’s diary
    toya
    toya 2018/11/10
  • よい先輩になるために - Qana’s diary

    何もしなくても気を遣われてしまうことを自覚する。非対称な関係だから、遠慮すべきところは遠慮するようにする。たとえいやでも、向こうからそうは言いづらいのだから。勘違いしてはいけない。あなたと後輩との距離は、あなたが思うほど近くない。あなたは、あなたが思うよりも先輩だ。過去の記憶を思い出すのだ。そしてこの感覚の非対称性を理解するのだ。良い先輩になることは、とりもなおさず「自分の感覚は正しくないと自覚するプロセス」にほかならない。 後輩のメンツをつぶしてはいけない。後輩がさらに後輩に対して何かを教えている時、あるいは単に先輩風を吹かせている時、たとえ言っていることが間違っていたとしても否定しない。きみが優秀なら、きみの後輩も優秀なはずだ。たまに間違ったことを言ったとしても、おおむねよい指導をしている(なんたってきみの後輩なのだから!)はずだから。きみの責務は後輩の後輩を直接指導することではなく、

    よい先輩になるために - Qana’s diary
    toya
    toya 2018/04/21
  • 尊敬されることは、孤独になること - Qana’s diary

    先日、ある先輩にひさしぶりに会う機会があった。その人はこれまでに私が出会ったことのある人の中で一番と言っていいくらい尊敬する人だ。だから素直に言うことにした、「とっても尊敬しています」と。きっと喜んでくれると思って――。 しばしの沈黙ののちに返ってきた言葉は予想とは異なるものだった。「尊敬してるとか言わないでほしい。さびしいから。」 ――尊敬されることは、孤独になることなのだ。遠ざけられることなのだ。異質な存在として扱われることなのだ。川の対岸にいる存在、最初から異なる生き物として生まれた存在、「私たち」の一員ではない人間。そうやって見られてしまうのだ。どんなに対等で、何も特別じゃないただの弱い人間として見てほしくても、それはかなわないのだ。尊敬とはそういう意味だ。 尊敬されることは、高い期待をもたれ、それを裏切れなくなることだ。尊敬されているゆえに自分の居場所があるのなら、尊敬に値しなく

    尊敬されることは、孤独になること - Qana’s diary
    toya
    toya 2018/04/10
  • 1