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ブックマーク / ttt414141.hatenablog.com (8)

  • 救われちゃったひと - 斎藤はどこへ行った

    小中学校の同級生に、斎藤くん(仮名以下略)という男の子がいた。 小学二年生のクラス替えで、私と斎藤くんは同じクラスになり、出席番号が近かった私たちは、なんやかんやで、他愛もない話をしたり、一緒に遊ぶようになった。 斎藤くんは、大家族の長男で、小柄なおとなしい男の子だった。 色が白く、発話がどこか舌足らずで、縄跳びが上手くて、クラスの縄跳び四天王で、リコーダーを吹くのが好き。勉強はあまり得意ではなくて、担任の大島先生に授業中指されるたび、はにかみながら、舌足らずな声でよくこう言った。「わかんない」。 私たちは、斎藤くんと、出席番号の近い佐々木くん(仮名以下略)を交えて、三人でたまに遊んだりした。 私はそこで、キン肉マン二世というめちゃおもしろアニメがあって男の子たちはみんなそれを見てるらしい、ということを学んだ。駄菓子屋へ行ったりもした。佐々木くんから仙台のおばあちゃんちにいってきたからと笹

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  • 2種のチーズ入りパンという私 - 斎藤はどこへ行った

    徒歩20分かけて来たヤオコーのパン売り場、おつとめ品30円引きシールが貼られたパンの中から、彼がおもむろに1つのパンを取った時に私は思わずあっ、と声を漏らした。 フランスパンのような硬めの生地、十文字に切られた中心には角切りのチーズが詰め込まれ、切り口から溢れたチーズはこんがりと焼きあげられて、パンの表面を覆っている。 小学生の頃の私は、このパンのことを《限界パン》と密かに呼んでいた。 密かに、というからには実際に声に出していっていたわけではない。 私が幼い頃から職を転々としていて、ついに職を転々とすることも諦めた父が、あたりまえのように無職になって。社会にも家族にも自分にももうすべきことなど何もないはずなのに、律儀に近所の24時間営業のスーパーの売り場で毎日毎日明け方に買ってきたのがこのパンだった。朝、卓に乱雑に置かれていたこのパンをみるにつけ、私は誰にも気づかれないように頭の中で、あ

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    toya
    toya 2019/09/22
  • 髪をおろした女の子のはなし - 斎藤はどこへ行った

    金曜日の池袋だった。 池袋西武沿いの大通りを、スマホの地図片手にのそのそと歩いているときに、横から、見知った声に囁かれた。 「今日上がる前給湯室よったらさ」 同じ部署の同期Yちゃんだった。いつのまにか隣に来ていたことに驚きながら、スマホをスーツの内ポケットにしまいつつ、潜めた声に倣って体をそれとなく、彼女の方へ傾ける。 少し先を行く幹事役が、スマホ片手に新入社員の集団を先導しているのが見えたり、見えなくなったりしていた。雑踏の切れ間から浮かんだり消えたりする、少しだけシワの目だってきたリクルートスーツの集団や、浮き足立った足取りが、どことなく視界からぼんやり霞んで行くような気がする。彼女は前方の集団を一瞥すると、いくぶんか声量をあげて、続けた。 「大川さんに声かけられて」「へーなんて」「これからお出かけなのって。研修中の新入社員と懇親飲みですっていったらさ」 そこで彼女は一息置いて 「なん

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    toya
    toya 2018/04/28
  • まさかと人生 - 斎藤はどこへ行った

    2017年3月3日正午前、弊大学の卒業確定者の告示がインターネッツの片隅にて行われた。 告示ページには、8桁の学籍番号だけがつらつらと表示されていた。番号順で。個人情報保護のためである。 先日の入社前研修から帰宅後、サイズオーバーで垢抜けないスーツを脱いで速攻、風呂にも入らず眠り込んでいた。痒い頭をポリポリと搔きながら、スマホを起動し、告示ページを開き、さっさと私は自分の学籍番号を数字の列から見つけ出す。「まーじで4月から働きたくないんですけど」などと思いながら、雨戸をあけもせずに二度寝をした。 二度寝をして、しばらくたったころである。 枕元でLINE通知が鳴り、目が覚めた。 「○○の番号なかったんだけど大丈夫かな」 友人からだった。共通の友人(○○)の番号が見当たらないという。 そんなまさかなことがあるんかいなと思い、その子の学籍番号を調べ、もう一度告示ページに飛ぶ。番号を探す、探す、も

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    toya
    toya 2017/12/26
  • 7/14金曜日に副都心線女性専用車に乗っていたあなたへ - 斎藤はどこへ行った

    女子高生2人がドアにもたれかかって、おしゃべりをしていた。 閑散とした下り方面の通勤電車。けれど席は全部埋まっていて、さっき止まった駅で乗り込んできた2人はいく場がなかったらしい。 2人ともおんなじ水色のタータンチェックのスカートを履いていた。きっと同級生なんだろう。1人は同系色のポロシャツを、もう1人は白いシャツを上に着ていた。 白いシャツの子は色が白くて、柔らかく綺麗な黒髪をさっぱりとしたショートヘアにしていて、頭が小さくて、スラリと背が高く、笑った顔が双子のマナカナに似てた。アイブロウもしていない眉はそれでも綺麗な弧を描いていて、色付きリップも塗っていないだろうなぁというすこし横広の唇は、血色の良いピンク色をしていた。 ポロシャツの子は、白いシャツの子に比べると小柄だった。比べると頭の大きさがやや大きめで、肌もどちらかといえば浅黒く、前髪が異様に重たいセミロングヘアで、とくに何も手入

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  • アルピニスト宣言 - 斎藤はどこへ行った

    わたしは、私たちは、日常のあらゆる場面で意思決定を迫られる。 「夕飯に何をたべるのか」、「休日はどこへ遊びにいくのか」といった些細なものから、進学、職業選択、結婚といった、人生の転機となる重大なものまで、意思決定の内容の幅は多岐にわたる。 これらの意思決定時に、なかなか避けては通れないものがある。 それは「後悔」だ。 私たちは膨大な意思選択をこなしていく中で、常に納得のいく選択をし、自分の望んだ結果を得られるとは限らない。 時には「これでよかったのか」と過去の意思決定を不安に思い、「もっと別の選択肢を選んだ方がよかったのではないか」と決定後の現状を悲観しながら反実仮想を想起することもあるだろうし。 あるいは、「こんなことをしたら後々後悔してしまうのではないか」と未来を想像して怖気づき、なかなか意思決定に踏み切れないこともあるかもしれない。 こうしてみると、後悔とは過去志向的ー未来志向的とい

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    toya
    toya 2016/07/14
  • 私の「彼」 - 斎藤はどこへ行った

    私は異性と親密な関係になったことがないのでわかりかねるけれど、でもきっと愛憎いりまじるというのはこういう感情なのだろうなとは思っている。 彼は三人きょうだいの末っ子として生まれた。 上には姉が二人。おしとやかで体が弱いが頭の良い長姉と、活発でこれまた頭の良い次姉に続いて生まれた待望の男の子であった。彼の父は息子の誕生を大層喜んで、自身の名前から一文字とった猛々しい名前をつけた。 名前負けなのかはたまた名前勝ちなのか。彼はとても健やかに、可愛らしく成長していった。彼の一家が居を構えていた土地は一応は首都圏と言える場所にあったものの、当時はさかのぼること半世紀前の話である。 まだ開発が進まず、葦のおおいしげる野っぱらと畑と田んぼばかり広がるのどかな郊外。郊外といっても、今とは違ってジャスコも、イオンも、しまむらもユニクロもGUもない。そこで、可愛い顔をして元お針子の母お手製の綺麗な洒落た服に身

    私の「彼」 - 斎藤はどこへ行った
  • 私以外も私です - 斎藤はどこへ行った

    今週のお題「20歳」 20歳になったいま、思うことがある。 10代の頃、私は父を軽蔑していた。 父はアル中で、そんでもって無職だった。自室で、昼夜問わずYAZAWAを爆音で垂れ流し、日中はいつもオンボロの自転車に乗ってブックオフに通いつめる父。読みもしない自己啓発書、使いもしない100均のクリアボックスを買いだめる父。祖母のことをクソババアと揶揄する父。俺は自由に生きるんだ、俺は自由に生きるんだと扶養をされる身分の癖に、うわ言のように繰り返していた父。私は父を軽蔑していた。 10代の頃、私は母を軽蔑していた。 父がアル中になるのを止められず、流れ流され生きてきた受動的な母。私が何を聞いても「わかんない、わかんない」と一蹴する無知な母。耳が悪くて、携帯ショップの店員の言葉を何度もなんども聞き返す母。なんてバカなのだろうと軽蔑していた。 10代の頃、私は祖母を軽蔑していた。 落ちぶれている父を

    私以外も私です - 斎藤はどこへ行った
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