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ブックマーク / www.pref.aomori.lg.jp (2)

  • 青森りんごの発展に功績を残した代表的な人物

    明治8年、たったの3から始まった、青森りんごの栽培。 農商務統計表によると、明治42年に北海道を栽植数が上回り、全国一位になりました。 130年を経た今、日一の生産を誇り世界一の品質と言われるまでになりました。 もちろん、青森りんごを応援してくれる消費者があってこそですが。 ゼロから始まったりんごをここまで大きくできたのは先人たちの努力があったためです。 代表的な次の5人の方を紹介します。 菊池楯衛(きくちたてえ)(1846~1918) りんご栽培の最初の苗木配布者及び試植者で、青森りんごの開祖といわれています。 青森県にりんご栽培が適することを確かめ、りんごの栽培技術を広めて、県がりんご主産地になる基礎を作りました。 もともと旧藩時代から果樹や花卉の栽培に熱心で経験をもっていたことが、西洋りんごの将来性を見抜き、これに傾倒していく素地になったと考えられています。

    青森りんごの発展に功績を残した代表的な人物
    toya
    toya 2024/01/05
  • 青森県庁ホームページ Aomori Prefectural Government

    「戸(へ)」のつく地名が多いのはなぜ? 青森県には「戸」のつく地名が多いよね。 青森県にある「戸」のつく地名は、三戸町(さんのへまち)・五戸町(ごのへまち)(以上、三戸郡(さんのへぐん))、六戸町(ろくのへまち)・七戸町(しちのへまち)(以上、上北郡(かみきたぐん))、八戸市(はちのへし)の5つだよ。 ほか、岩手県(いわてけん)には一戸町(いちのへまち)(二戸郡(にのへぐん))、二戸市(にのへし)、九戸町(くのへまち)(九戸郡(くのへぐん))の3つがあるよ。 四戸(しのへ)だけがないんだ。 平安時代(へいあんじだい)後期に、現在の青森県東部から岩手県北部にかけて糠部郡(ぬかのぶぐん)がおかれたんだけど、そのとき、郡の中が9つの地区にわけられ、一戸から九戸まで、地名がつけられたんだ。 だから、この「戸」は、「○○地区」や「○○地方」といった意味なんだよ。 お城があった三戸を中心に、

    toya
    toya 2009/05/14
    二、三、五、八は知ってたけどこんなにあったのか
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