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ブックマーク / asay.hatenadiary.jp (41)

  • 忘却と回顧の夜 - 紺色のひと

    残業が続いて遅くなった夜。職場を出て、空気を大きく吸い込んだ。 車のエンジンをかけると、往路で聞いていたスピッツが流れ始めた。「ウサギのバイク」だ。乗り込み、窓を開けて走り出すと、初夏の冷たく、どこか花粉くさいような風が車内に吹き込んできた。 唐突に、今がいつなのかわからなくなった。学生の頃、まったく同じ瞬間があったような――あの時は自転車にヘッドホンで聞いていたのだったか、それとも友人から譲り受けた古い車で聞いていたのだったか――、有り体に言えば、あの頃に戻ったような心持ちになって、ひどく動揺した。 いろいろな決断を経て、僕は今、学生時代を過ごした町で再び暮らしている。家族構成や自分の立場、変わったものはとても多くて、今こそが自分の生きている場なのだと思う。それでも、同じ町の同じような夜に生きていることを、時間を超えて認識したということを、ふいに実感したのだ。10年以上前の僕も、「ウサギ

    忘却と回顧の夜 - 紺色のひと
    toya
    toya 2017/06/27
  • 転換点 - 紺色のひと

    自分のこれまでの生活に――あまり好きではない言葉なので使いたくないのだけれど有体に言えば“人生”に――おいて、大きな転換点というのは確実に存在する。僕の場合、数年前に生まれ故郷を離れる決断をしたのがそれで、その転換によって僕の生活のかなりの部分はリセットされた。リセットしても変わったのは仕事や暮らす土地や周囲の人間といった外的環境で、僕と家族という内的な部分、ごく近い部分はそのままだ。もちろん、外的環境が自身にもたらす影響はものすごく大きいし、それを今更否定するつもりもないのだけれど、例えば家族と別れ身ひとつで新しい暮らしを始めるとか、そういうたぐいのリセットではなかった。 例によって、年が過ぎるのに伴って僕の生活もまた変わってゆく。今年もそうだし、今後も子供たちの成長や職場が変わったりすることで分かりやすい変化は生まれるはずだし、そういうのをひとつひとつピックアップして、分かりにくい部分

    転換点 - 紺色のひと
    toya
    toya 2017/03/23
  • SUUMOタウンに、山形県への移住記事を寄稿しました - 紺色のひと

    株式会社リクルート住まいカンパニーが運営するwebメディア「SUUMOタウン」に、山形県庄内地方への移住に関する記事を寄稿しました。タイトルは「あたたかな川をさかのぼるように、山形へ」です。 SUUMOタウンの記事編集にははてなが関わっている*1とのことで、そちらからお声がけいただいた次第です。編集部の方には大変丁寧に対応していただきました。この場を借りてお礼申し上げます。 はてなと一緒に書き手を巻き込んで成長 オウンドメディア「SUUMOタウン」の狙いとは - はてなビジネスブログ この「SUUMOタウン」ピックアップ記事(一覧)は個人的にとても好きなものが多く、並んで掲載されることが嬉しいです。2017年2月現在、関東近辺がほとんど(一部神戸や滋賀、愛媛など関西圏)で東北以北の記事は僕のみですが、これから増えてくるのではと期待しています。仙台とか札幌とか、たぶん来る気がする。(※2/2

    SUUMOタウンに、山形県への移住記事を寄稿しました - 紺色のひと
  • 2016年、足元のソフトパレード - 紺色のひと

    転職・引っ越しというイベントの後、いかに生活を安定させるかということに尽力した年だった。長男が生まれ、四人と一匹になったわが家もより騒々しくなり、夜の時間の使い方が難しくなってきた。 いつものように一年を振り返ってみる。 ◆一月◆ 引っ越し後、初めて過ごす冬。雪が積もる時期が今までの土地と違い、別の場所なんだなという思いを強くする。 年明け早々にバルミューダ・ザ・トースターを入手した。たかがトースターと思っていたのにべてみると全然違ってびっくりして書いたのが以下のエントリだが、これはステマだと思われても仕方がない書きっぷりだった。もちろんどこからも金は出ていない。 バルミューダ スチームオーブントースター BALMUDA The Toaster K01A-KG(ブラック) 出版社/メーカー: BALMUDAメディア: ホーム&キッチンこの商品を含むブログ (8件) を見る ◆二月◆

    2016年、足元のソフトパレード - 紺色のひと
    toya
    toya 2017/01/29
  • 冬来たりなば冬支度 - 紺色のひと

    冬が来ている。12月中旬に一度積もった雪は融けつつあり、と「この時期に15℃とかどうなってんの」などと言葉を交わしている。雨が夜更け過ぎに雪へと変わったのはクリスマスイブの朝方で、一日早かったねと笑いあった。 気温はそこまで低くならないとはいえ室内は寒いし、重たい雪に対する備えをしなければいけないので、冬支度をした。二年目でなんとなくルーチン作業に落とし込めたので、メモがてらまとめておく。 寒さのために 借りている家に暖炉が設置できるレンガ部分があったので、安い薪ストーブを取り付けている。近所の方や大家さんから分けてもらった端材や杉の丸太なんかを、和斧で割って使っている。昨年は何も考えずにどんどん燃やしていたのだけれど、1月途中で薪の在庫がなくなってしまって、灯油ストーブとエアコンに切り替えた。今年は昨年から少し乾かしているものを含め、もう少し多めに用意している。とはいえ、メインが火持ち

    冬来たりなば冬支度 - 紺色のひと
  • 皿洗いと妻の撮る写真が好きな話 - 紺色のひと

    このところ、やれ「あいつの考え方が気にくわない」「あの団体のトンデモ主張が我慢ならない」などという批判的思考ばかりをアウトプットしているように思う。それらの憤りが僕にとって必要だというのもわかっているし、批判的思考の表明を止めるつもりもないのだけど、もうちょっと好きなものの話でもしてみようかと思って以下を書く。 皿洗いとご飯支度のこと 皿洗いが好きだ。事の支度の途中で洗い場を片づけ、べ終わってすぐにきれいに洗ってしまうとすっきりする。何より、休日の晴れた午前中にサニーデイ・サービスなんか流しながら明るい台所で皿洗いをしていると、「おれ生活してる!」という気持ちが体中に溢れてきて、うきうきとした気分で昼ご飯の支度に繋げられるものだから、休日の前の日は意図的に洗い物を溜めてしまう。 サニーデイ・サービス「恋におちたら」 おしごとの都合上、晩御飯の支度はほとんどがやってくれている。夕後に

    皿洗いと妻の撮る写真が好きな話 - 紺色のひと
  • 秋田でのクマによる死亡事故:中間まとめと雑感 - 紺色のひと

    2016年5月から6月にかけてニュースを賑わしている、秋田県鹿角市から青森県境周辺でのツキノワグマによる人身被害事故について、6月15日現在での状況を一旦まとめるとともに、報道や関連団体等の意見について思うところを書いてみます。 当事故によるクマ出没・被害はまだ収束していません。出没情報のある山林には絶対に立ち入らないようにしてください。 もくじ 事故の経過まとめ 日ツキノワグマ研究所の主張 日熊森協会の主張 事故を通じて、僕の雑感 事故の経過まとめ 秋田県の地域新聞、秋田魁新報「さきがけWeb」より、"キーワード:クマ被害|秋田魁新報電子版"から関連記事を抜粋し、その他の報道と照らし合わせて情報を補完しました。6月15日現在、秋田県鹿角市周辺ではツキノワグマによる人身被害として4名の死者、1名の怪我人が出ています。 なお、被害が収束していないこと等を鑑み、被害者に関する情報は最低限と

    秋田でのクマによる死亡事故:中間まとめと雑感 - 紺色のひと
  • ひとりではコーヒーが飲めない - 紺色のひと

    桜が咲いた。が、娘を連れて実家に帰ってしまってから一週間になる。 特に含みを持たせても仕方ないので書くと、里帰り出産の準備のためだ。こちらで産む、だけ地元で産む、娘を連れていって地元で産む……という選択肢があったが、娘マチ子の保育園のことや両親のことなどを含めて相談し、里帰り出産となった。 僕が仕事を終え家に帰ると、愛プッセがトトトと玄関まで出てきて僕にご飯をねだる。最近近所のノラが玄関に押し入ってご飯をつまみいしていくことがわかった。 職場などでその話をした際、かけていただく言葉はだいたい次の3つに分類される。 「ひとり暮らしで羽伸ばせるな」 「遊びすぎんなよ」 「奥さん居なくて淋しいろ?」 1.羽伸ばせるな 無難に「まあそうですね」と返事をする。 と娘との生活にはぜんぜんストレスを感じていないし、むしろ移住転職前よりも3人と1匹で過ごせる時間が増えてとても充実している。ひと

    ひとりではコーヒーが飲めない - 紺色のひと
  • 「楽しく田舎で暮らすために移住するのは質の低い移住者」と言われた気がした - 紺色のひと

    この町では梅が見ごろです。古いレンズをここぞとばかりに引っ張り出して撮ってみています。と娘と一緒にべた花見団子、当においしかった。 こんなブログ記事を読みました。 http://yanodaichi.blog.jp/archives/1054603439.html これを書いた方は矢野大地さん。かの高名なイケダハヤトさんのアシスタント第一号だそうです。矢野さんご人も、自分の出身地ではない高知県への移住組とのことで、ブログには移住に関連した記事が多く見受けられます。 僕がこの記事を書く動機 さて、冒頭の記事。「移住しやすい田舎移住しにくい田舎」というタイトルに惹かれて読んでみた僕の最初の感想は「読みにくいし、記事の結論に空き家関係ないじゃん」でした。別にそれだけであれば、残念参考にはならなかったな、とブラウザを閉じれば済む話だったんです。 正直なところ、記事中の日語にはかなり問題

    「楽しく田舎で暮らすために移住するのは質の低い移住者」と言われた気がした - 紺色のひと
  • おれが山形県に移住して1年が過ぎました - 紺色のひと

    移住しました」「トマトが実際安い」「いいところです」といった移住報告はよく見かけるので、清濁含めての印象をまとめてみようと思いました。ちょうど一年前、「だるろぐ」さんの「愛媛・松山に移住して1年経ちました。 - だるろぐ」という記事を読んで「移住しました、でぶん投げっぱなしじゃなくて、一定期間後にデメリットも含めて振り返るのはいいな」と感じたこともあり、僕もやってみようと思います。 (僕が公開しているのは「やまがた県に移住しました」というところまで*1で、自治体に関する話はあまり具体的には書けないので悪しからず) 移住の理由 理由については一年前のこちらの記事にまとめてあります。 「学生時代を過ごした山形県で、家族と生活したかったから」です。仕事があるからとか、都会暮らしが嫌になったとかではなく、土地ありきの理由ではありました。以前は北海道札幌市に住んでおり、地方都市ながらも一応の都会っ

    おれが山形県に移住して1年が過ぎました - 紺色のひと
    toya
    toya 2016/03/27
    そうそうラーメンすごい。そしておいしい
  • 結婚披露宴の写真を頼まれても、お断りする理由がある - 紺色のひと

    結婚披露宴で、写真撮ってくれない?」 親戚や友人に「写真を趣味にしている」と認識されていると、披露宴などの写真係を頼まれることがあります。結婚おめでとう! 心からお祝いするよ。ただ、頼んでくれること自体は嬉しいのだけれど、こちらにも安易に請け負うわけにはいかない理由があるんですよね。結構悩ましい部分もあると思ったので、この機会に言語化してみました。 ということでエントリは、 (1)周囲に結婚する年齢の親戚や友人がいて (2)写真が趣味だと周囲に認識されていて (3)披露宴などで写真係を頼まれた ひとを想定したものになります。まったく同じ悩みを持つひとの絶対数はあまり多くないかもしれませんが、「社内イベントの撮影係をお願いされて…」「学校行事でカメラ係に決まったけど…」という、似た事例はたくさんあるかとも思いますので、どこかで参考になると嬉しいです。 また逆に、「これから披露宴で、友達

    結婚披露宴の写真を頼まれても、お断りする理由がある - 紺色のひと
  • 梅は咲いたか - 紺色のひと

    通りがかった公園で、梅の花が咲いているのを見つけた。 正直なところ、梅の花にはあまり馴染みがない。 僕らが長く住んでいた北海道では、梅は桜とだいたい同じかその少し後、5月の頭の連休に咲くものだった。その頃には大体みんな花見で浮かれていて、エゾヤマザクラの木の下で寒々しく焼肉やジンギスカンをしてみたりするけれど、梅は郊外の公園に出かけないと見られないし、意識の外だった。「梅は咲いたか桜はまだかいな」というフレーズに聞き覚えはあるけれど、ただ知っているだけだ。 まだ雪に埋もれた公園の枝につぼみが膨らみ、それが開いたところで、信じられない気持ちのままにそれを教えた。 「梅、咲いてたよ」 「……ははは、ウソでしょ? だってまだ雪の中だよ」 は最初笑って信じようとしなかったけれど、教えた僕だってそうなのだ、無理もないと思った。出かけたついでに娘とを連れていくと、娘は「さくらだ! さくらだね!」

    梅は咲いたか - 紺色のひと
    toya
    toya 2016/02/09
  • 2015年、旅立ちのソフトパレード - 紺色のひと

    2015年、僕はいわゆる人生の転換期を迎えた。新卒から9年間勤めた会社を辞め、やまがた県に移住する決断をしたのがそれだ。 心づもりは2014年11月頃の時点でできていて、それを年が明けた1月に上司に伝えたところから旅立ちが始まる。 これを書いているのはそのちょうど一年後、2016年1月半ばだけれど、大きな出来事があったということもあり、遅ればせながら一年を振り返って記録しておく。 ◆一月◆ 仕事は相変わらず忙しいが、年末までに辞める決意をしていたこともあり、精神的にはだいぶ落ち着いていたように思う。働き方がに心配されるレベルだったという自覚はなかった。 上司とさらに上司退職移住の件を報告する。引き止められたが、前向きな理由であることと意志を鑑み、思いのほかすんなりと受け入れてもらった印象。 4月からの生活について、縁のあるひとに相談をしたりし始める。 ◆二月◆ 辞める決意をしたといっ

    2015年、旅立ちのソフトパレード - 紺色のひと
  • 2015年夏休み、はじめての九州南薩紀行 - 紺色のひと

    2015年8月末、初めて九州を訪れた。まとまった文章が書けず、ずいぶん時間が経ってしまったけれど、僕個人にとってもとても大きな思い出が残る時間だったので、言葉と写真として遺しておこうと思う。どこに行った、何をしたというのは一緒に行動したおふたりの記事にも詳しいので、僕は撮った写真と記録メモをつらつら並べてゆく。 同行していただいたゆーくぼ先生 id:yu-kubo による旅行記:再びの悪天候@南九州遠征 - cloud9science 滞在中、大変お世話になったさんことc_Cさんの記録:朋あり。遠方より来たりて飯をう。 : COMPLEX CAT,朋有り。遠方より来たりて水浸し。 : COMPLEX CAT いちにちめ(2015/8/28) 朝5時に起床し、当時飼っていたヒキガエルとのプッセにご飯をやり、空港へ出発。やまがたに引っ越してから、東京などに行くときは庄内空港を使うことが多

    2015年夏休み、はじめての九州南薩紀行 - 紺色のひと
    toya
    toya 2016/01/11
    チコさん……!!
  • 2014年、ソフトパレードの足踏み - 紺色のひと

    あまり振り返りたくない、思い出したくない年になった。「仕事が忙しい」という言葉で片付けてしまえる。別に僕は「ていねいに暮らす」とかそういうことを意識しているつもりはないのだけれど、時間に追われて自分のための時間や家族との時間が削られるばかりの一年だった。ブログの更新が少なくなっているのはそれを反映したひとつではあるけれど、更新が少ないことではなく、キーボードに向かって自分の思考を整理する時間を取れなくなってしまっていた。良くない。 とりあえず、一年の記事を以下にまとめる。 ◆一月◆ 年度末に向け、追い込まれていたように思う。 ◆二月◆ 年度末に向け、追い込まれていたように思う。 ◆三月◆ 家に帰るとべるも娘も寝ていて、台所の電気だけを点けて米を煮てっていた。 米を煮てうだけの日々 - 紺色のひと ◆四月◆ 写真で一言ボケることに特化したサービス「ボケて」を元ネタに、桃太郎の入った桃

    2014年、ソフトパレードの足踏み - 紺色のひと
  • バターサンドだけじゃない!六花亭の底力、喫茶室を知っているか - 紺色のひと

    北海道が誇る定番みやげのひとつ、マルセイバターサンド。この美味しさは六花亭の名を全国に轟かせていますが、どっこい底力はこんなものじゃない。六花亭の真髄はケーキや軽を楽しめるイートイン、すなわち「喫茶室」にあると言っても過言ではありません。豊富な季節限定メニュー、ケーキやパフェ、ピザ、おこわやぜんざいなど多岐に渡るバリエーション……そこには一度では味わいきれない魅力が! 立地上、公共交通機関でさっと行けるところばかりではないのですが、六花亭喫茶室の素晴らしさを紹介し、観光ルートにも加えていただくことを狙いとしてエントリをお届けします。 ◆ドーモ、僕は、六花亭とは一切関係ありません。偶然ここへ来て、ブログを書いています◆ 以下では、メニューをジャンルごとに分け、ひたすら写真と感想を紹介します。 季節限定もの、店舗によって提供の有無などがあったりするので、訪れる際は事前に六花亭喫茶室のweb

    バターサンドだけじゃない!六花亭の底力、喫茶室を知っているか - 紺色のひと
  • 花の名という題名_2014 - 紺色のひと

    ずっと、「あの花の名はなんだ」というタイトルの小説を書きたいと思っている。 ――花の名という題名 - 紺色のひと 仕事の内容や愚痴についてはwebに書かないようにしている。 誰が見ているかわからないから、という理由が第一にあるが、それ以前に自分が感じた不平不満がそもそも自分の能力不足に起因するものであるだろう、という意識が強くて、それを言語化することにあまり意味を見出せなかったのだ。 一方で、僕は中学生の頃から、「文章にすること」を自分の思考整理の手段としてきた。 それこそ好きな女の子に対する感情や、ゲームの感想、ふと思いついた言葉や小っ恥ずかしい激情など、色々なものが当時のノートには書き散らかされている。 その続きとなるノートは、今も僕の鞄にいつも入っているけれど、当時よりも登場の頻度はずっと減っていて、例えばブログや、最近ではtwitterがその役割を果たすようになった。それはいい

    花の名という題名_2014 - 紺色のひと
  • 親になる一年 - 紺色のひと

    僕の仕事がひと段落したのと、一年子守りで篭もりっきりのの慰安をかねて、温泉旅館に一泊してきた。胆振方面の古い温泉街で、今はやや寂れつつあるが、30年前には祖父もよく通ったと聞く。国道沿いの海産物直販所で中国人観光客の皆さんに混じって水槽の中の花咲ガニやホッキ貝の写真を撮りながら、僕とと娘マチ子を乗せた我が家の愛車ザラブ号は旅館へと向かうのだった(うむ、一文が長い。好きで書く文章はこうでなくては)。マチ子の温泉デビューである。 この状態でもさけとばと呼ぶのかは疑問。 夜。 マチ子を寝かしつけてから、物音を立てないように酒盛りの準備をした。広縁のテーブルに、スーパーで買った赤霧島と三ツ矢サイダー、さけるチーズと豆おかきを並べた。ペットボトルの口にタオルをかぶせて封を切った。おかきの袋はトイレで開けた。ひそひそ声で「24年度お疲れさま」と乾杯してから、自分たちのやっていることがなんだかおかし

    親になる一年 - 紺色のひと
  • 2012年、僕たちの、僕と妻と娘のソフトパレード - 紺色のひと

    高校生の頃、12月31日。夕方になると自分の部屋にこもって、「今年も終わるんだなあ」なんてことを考えながら、無理やりに自分を感傷的な気分に追い込もうとした。それが僕の年越しのあり方で、かなりの間その儀式は続いていたのだけれど、ここ数年の年末に書いている一年のまとめ記事を読むと、毎年のように「振り返りができていない」みたいなことを言っていて、多分以前のように年の暮れを迎えることができなくなってきている。 それは僕がひとりで自分の部屋に居ることが許されなくなったということで、結婚しただの子供ができただの、大変わかりやすい理由がいくつかあるのだけれど、その内容はともかく「僕がゆっくりと年末を迎えることができなくなった」と感じている事実は変わらず、僕はその事実をもって、自分がいい加減引き返せない大人になっていることを知るのだった。 僕は大人になったし、親になった。そういう年だった。 仕事が忙しかっ

    2012年、僕たちの、僕と妻と娘のソフトパレード - 紺色のひと
    toya
    toya 2013/01/01
  • 汚れた季節に世界がひらけ、君の名は決まった - 紺色のひと

    三月下旬から四月上旬は、この街が最も汚くなる季節だ。冬の終わりとも春の訪れとも言い切れない、暖かいようなまだ寒いような半端な気温で、道路脇に積もった雪が解け始め、融雪剤を含んだまだらの暗灰色の山があちこちにできる。足元はびしゃびしゃでざりざりしていて、地面が乾くとそれらが舞って埃っぽくなり、大気はかすんだようになる。 僕は昔から、この汚れた季節が大嫌いだった。 - まあ、せっかくだから、一応、言っておこう。 「僕は昔から、この汚れた季節が大嫌いだった。今年までは。」 その日のこと、その後のできごとを時系列で詳細に書くのもなんなので、ぽつぽつと考えたことや周辺のことをメモ程度に残してみる。 - 2012年4月10日、僕に娘が生まれた。 ひとつ前の壬辰の年は1952年で、誕生日と同じ4月10日にはラジオドラマ「君の名は」が始まっている。「真知子巻き」でおなじみのヒロインの名前を借りて、僕たちの

    汚れた季節に世界がひらけ、君の名は決まった - 紺色のひと
    toya
    toya 2012/04/30
    おめでとうございます!