島薗 進(しまぞの すすむ、1948年12月10日[1] - )は、日本の宗教学者。大正大学地域構想研究所客員教授。グリーフケア研究所客員所員。東京大学名誉教授。上智大学神学部特任教授。グリーフケア研究所元所長。世界平和アピール七人委員会委員。 人物[編集] 東京都出身。父方の祖父は東京大学医学部教授等を務めた島薗順次郎[2]。母方の祖父は衛生学者の田宮猛雄[2]。父は国立精神・神経センター総長や日本学術会議会員を務めた精神科医の島薗安雄[2]。父方の伯母・正子は地球物理学者で随筆家の坪井忠二に嫁ぎ[2]、坪井忠二・正子夫妻の娘すなわち進の従姉は安川第五郎の四男で医師の幾島明に嫁いでいる[2]。 宗教を基盤に社会的・文化的事象への興味を持つ。多数の著書・論文等があり、フィールドワークも積極的に行っている。 略歴[編集] 東京大学理科三類に入学するも医学部への進学を選ばず[3]、1972年東
ジョン・W・ダワー (英語: John W. Dower、1938年6月21日 - ) は、アメリカ合衆国の歴史学者。マサチューセッツ工科大学名誉教授。専攻は、日本近代史。米国における日本占領研究の第一人者であり、1970年代の日本近代化論の批判でも知られる[1]。 来歴[編集] 1938年、ロードアイランド州プロビデンス生まれ。アマースト大学卒業。アマースト大学時代はアメリカ文学を専攻したが、1958年に来日し、金沢市滞在を契機に日本文学に関心を移した。その後、アメリカ空軍勤務。1961年に森鷗外の研究で修士号を取得。1962年より金沢女子短期大学の英語講師をつとめ、1963年より東京の出版社ウェザーヒル社の編集助手を務めた。 1965年に米国に帰国し、ハーヴァード大学大学院に進学。博士課程では日米関係を専攻した。後に刊行される『吉田茂とその時代』の前半部分に相当する戦前の吉田茂の研究で
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