観光都市・京都のイメージから消された「不都合な真実」 京都大学人文研の共同研究「近代京都と文化」 2023年12月10日 11:00
碁盤の目状に道路が走り、東西(横)と南北(縦)の通り名を組み合わせて呼ぶことが多い京都市内の交差点。京都に住んでいる人ならお気づきと思うが、縦横どちらが前にくるかは場所によって違う。 たとえば四条烏丸(横→縦)があれば烏丸五条(縦→横)があり、四条河原町(横→縦)があれば河原町御池(縦→横)といった具合に。 京都の人同士の会話であれば当たり前の感覚で使っていると思うが、「いちげんさん」の観光客や住み慣れていない人にとっては、どの通りが前にくるのか、後ろにくるのか分かりづらく、不親切なのかもしれない。 実際、主要な通りや道幅の広い通りを優先するといったものを含めて諸説あるが、はっきりしたルールはない。 それを「京都の交差点、東西と南北のどちらが前なのか…
Y字路-。現代美術家の横尾忠則が繰り返し描き、「到達したものではない。向こうからやってきた」(画集「Y字路」)と言わしめたモチーフだ。鋭く二股に分かれた道路が織り成す景色は数々のアニメにも登場し、X(旧ツイッター)には各地の写真が続々と投稿される。 人々を魅了してやまないY字路。その密集地帯が京都市左京区、鴨川デルタの東側にある。なぜ、そんな場所に? 舞台は京都大と出町柳駅に挟まれた吉田、田中の両地域にまたがる半径500メートルほどのエリア。案内役を引き受けてくれたのは、京大の大学院生で地理学を専攻している重永瞬さん(26)=上京区=だ。 ガイドツアーを手掛ける「まいまい京都」(事務局・右京区)で6年前から活動している。事務局によると、「Y字路天国・吉田」と銘打った重永さん考案の町歩きコースは、マニアックなテーマにもかかわらず毎回満員に。京都通をうならす人気プランの一つだという。 さあ、出
京都の穴場、府立植物園 観光客もあらかた回復し、京都に以前のような賑わいが戻っている。祇園祭のニュースなどを見かけて、そろそろ久しぶりに京都に足を運んでみようかという人も多いだろう。 そんな昨今なので「京都の穴場は?」と聞かれることも多い。しかし、そんなときに僕がお寺や神社を挙げることはまずない。もちろん個人的には寺社とのご縁もあるのだが、それらを穴場として来訪者に告げるのは、おそらく僕の仕事ではないだろうという妙な分業意識が自分の中にあるのだ。 そして、しぶしぶ答えることになるのは、だいたいいつも新旧の個性的な喫茶店や宿、鴨川の河原や飛び石、そして、京都府立植物園である。 京都府立植物園は1924年開園の日本最古の公立植物園である。日本最大級の規模を誇る巨大な温室を擁し、植物園としての「地力」となる植物の栽培、品種の保有・展示数も国内最高レベルである。また近年は年間70万人以上にものぼる
京都駅の八条口を出て、駅前を東西に横切る大通りを南へ渡ると、すぐに広がる観光客向けのホテル街。新型コロナウイルス禍が明け、訪日外国人の姿が戻った一帯を歩くと、昔ながらの平屋の長屋が10棟ほど立ち並ぶ路地に行き当たった。 軒先の物干しざおにはタオルやズボンが無造作にかかり、住民の話し声が室内から響く。まるでタイムトリップ。異空間に迷い込んだようだ。2023年6月下旬。午後の強い日差しにふと天を仰ぐと、南側以外の三方をビルが囲んでいた。 近年のホテルの建設ラッシュで、すっかり京都観光の玄関口となった八条口周辺。にぎわいの影で、長屋が軒を連ねた下町風情あふれる町並みは急速に姿を消している。一方、リノベーションで息を吹き返した長屋もある。温故知新の町歩きに繰り出してみた-。 案内してくれた地元の音楽家、朴実(パク・シル)さん(79)=京都市南区東九条=によると、観光ホテル街となった一帯のそばは終戦
1969年、北海道生まれ。京都大学文学部卒。大阪大学大学院文学研究科博士課程修了。京都大学人文科学研究所助教。著書に『柳田国男と民俗学の近代:奥能登のアエノコトの二十世紀』(吉川弘文館)、『民俗学入門』(岩波新書)など エクステンション、そして コンタクト・ゾーン としての左京区 のっけから私事で恐縮だが、人生の過半を左京区で過ごしてきた。 大学進学を機に上洛して左京区生活スタート。大学院進学で一度は大阪(池田)に転居したものの、ここは学生の住む町ではないと悟り1年で左京区に逆戻り。1年間の島流し(留学ともいう)も左京区の下宿はそのまま放置。博士号を取っていよいよプー太郎かと思っていたところ、たまたま左京区の大学に勤めることとなり現在に至る。随分と「左」に偏った京都生活を送ってきたものだと我ながら思う。 そんな左京区暮らしのためか、左京区で活躍した先達の足跡が気になり、いろいろ調べてきた。
京都市中心部で市民に愛されてきた「番組小」の跡地が今、次々とホテルに姿を変えている。校舎の姿を残しながら高級施設へと生まれ変わり、海外機関…
自分のまちのを知り、好きになるきっかけに 「下京暮らしの手帖 -Goodneighbors Note- 」は、下京区のまちについて知る・楽しむきかっけをくれるユニークなカード式の本です。どのようにしてこの本が誕生したのか、発刊元のNPO法人京都カラスマ大学(以下:京都カラスマ大学)学長で文筆家・編集者の高橋マキさんにお話を伺ってきました。 ――本の発行元である京都カラスマ大学の学長を務めていますよね。どんな活動をされているんですか? 京都のまちをキャンパス(学び場)に見立て、「まちとひと」「ひととひと」をゆるやかにつなげる、地域密着型の学びの場を提供しています。子どもから大人までが学び合う生涯学習の場です。ここで出会った人同士が学びをきかっけに仲良くなり、帰り道にお茶でもしましょうっていう風になって、ファンになったり入門したり、友達、恋人、結婚とか、自由に関係を築いてほしいんです(笑)。し
グローバルな社会の中で地方分権を考えるに際して「どう取り組めば京都がより活躍できるのか」を考える日々が続いている。ヨーロッパにおけるEU統合を見て感じるのだが、自由に行き来できるようになると、人材が集まる地域と流出する地域との格差がさらに拡大するのではないかとの懸念が高まっている。 その際目にしたのが、R・フロリダが著した「新クリエイティブ資本論」である。彼は北米の都市のデータを分析し、成長している要因を解明した結果、「クリエーターが集まる地域でなければ成長はない」との結論に達する。彼が言うクリエーターとは、科学、テクノロジー、アート、メディア、カルチャーの各分野で働く方々を中心に構成され、アメリカでは総労働人口の3分の1近くも占めているようだ。 その上で、クリエーターが集まる地域づくりをするために、どのような項目が重要な要素になるかを分析したところ、ダイバーシティ(多様性)が確保されてい
新企画「京都・左京区研究」 新企画は「京都・左京区研究」と題して、京都新聞社のデジタルメディア「THE KYOTO」で展開していきます。 THE KYOTOとともに企画を担う2人は、民俗学が専門で京都大学の人文科学研究所助教を務める菊地暁さんと、芸術学・視覚文化論を専門とする同志社大学文学部教授の佐藤守弘さん。 2人は、1959年に京都市左京区の北白川小学校の4年生たちが地域の歴史や文化を調べてまとめた『北白川こども風土記』を巡る“共同研究”の実績があります。 『北白川こども風土記』と言っても、なじみが薄いかもしれません。 この本は、国立民族学博物館(大阪府吹田市)の初代館長を務め、北白川小の近くに住んでいた民族学者・梅棹忠夫氏(1920~2010年)が当時の書評で「子どもというものが、よい指導をえた場合にはどれほどりっぱな仕事をすることができるか、ということをしめすみごとな見本である」と
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