⽇本における新たなアート振興の拠点として、「アートをつなげる、深める、拡げる」をミッションに掲げる国立アートリサーチセンター(NCAR)は、2024年3月22日、国際シンポジウム「美術館とリサーチ|アートを“深める”とは?」を国立新美術館(東京・乃木坂)で開催した。 このシンポジウムに先駆け、21〜22日にはキュレーターやアーティスト、研究者ら有識者による4つのセッションを開催(一般非公開)。今回Tokyo Art Beatでは、この4つのセッションとシンポジウムのレポートを全5回でお届けする。 この記事では、前日3月21日に開催された、国際的な展覧会(ビエンナーレなど)に出展するために必要なリサーチについて、キュレーターの視点からプレゼンテーションし、議論を行う「セッション3:キュラトリアル・セッション」をレポート。前半にモデレーターとパネリスト2名のプレゼンテーションが行われ、後半に議
「書店は本を介して主張と主張が正面からぶつかり合って闘う『言論のアリーナ』であるべきではないか」と語る書店員の福嶋聡さん=大阪市北区で2024年4月16日、梅田麻衣子撮影 始まりは10年前のあるイベントだった。 「それでも、書店の人間として『ヘイト本』を書棚から外すという選択はしません」 丸善ジュンク堂書店で働く福嶋聡さん(65)はそう公言してから、「ヘイト本を外さない理由」を自問してきた。隣国への憎悪をあおる、いわゆる「ヘイト本」には批判的な立場だ。だけど、書店人として排除はできない。ならば闘ったら? 悩みながら「言論のアリーナ(闘技場)としての書店」という考え方にたどりついた。 傍観ではなく、中立でもない。「アリーナ」とはどんな場なのだろう。新著『明日、ぼくは店の棚からヘイト本を外せるだろうか』(dZERO)を刊行した福嶋さんに聞いた。 「ヘイト本」規制にNO 2014年12月、大阪市
飯山由貴がイスラエルのパレスチナ侵攻とスポンサーの川崎重工に抗議。国立西洋美術館「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」記者内覧で国立西洋美術館で明日開幕する、「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?──国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」の記者向け内覧で、参加作家の飯山由貴がイスラエルのパレスチナ侵攻ならびに同館スポンサーの川崎重工への抗議を行った。 展開された垂れ幕 今年開館65周年を迎える東京・上野の国立西洋美術館で明日開幕する、「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?──国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」。同展参加作家の飯山由貴が、3月11日に実施された記者向け内覧の会場にて、イスラエルのパレスチナ侵攻と、それに加担する企業としての川崎重工へ抗議行動を行った。 抗議する飯山由貴 担
ホーム / ニュース・記事 / 美術館はこれまでも抗議活動の場であった。国立西洋美術館で起きた抗議を機に、海外の事例や理論的な積み重ねを解説(文:五野井郁夫)
連載「ウィキペディアの歩き方」。トルコのウィキペディアンたちは、ウィキペディアへのアクセス遮断を乗り越え、活動を再開しました。今回の記事では、表現の自由と知識の共有を守るための彼らの努力と、アクセス回復後に展開されたプロジェクトや国際交流の様子を紹介します。 トルコのウィキペディアン、検閲の壁を越えて2017年から2020年にかけて、トルコではウィキペディアへのアクセスが遮断されていました。「トルコ当局に対する組織的中傷が行われている」という理由の下、通信監督当局が禁止していたのです。しかし、 2020年にアクセスが回復すると、トルコのウィキペディアンたちはさまざまな活動を展開するようになりました。 今回の連載では、アクセス遮断の経緯を簡単にまとめたのち、それを乗り越えたトルコのウィキペディアンの現在を紹介します。 2023年1月にウィキペディア22周年を祝ったトルコのウィキペディアンたち
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会話も校内掲示も、「政治の話」を禁止された小学校時代 ――川中さんが「日本中学生新聞」を立ち上げたきっかけを教えてください。 いちばん大きかったのは、小学4年生のときに「政治の話をするな」と学校で叱られたことです。 2020年に大阪都構想が持ち上がり、僕の地元である大阪市内でも議論が活発になっていました。あちこちでチラシが配られていたし、テレビで討論会の特集が組まれていたのを覚えています。自分の住む街に直接関係があることなので、僕もとても興味を引かれました。そこで調べてみたら、2015年にも都構想をめぐって住民投票があったこと、そのときは自民党と共産党が「共闘」して反対していたことなどがわかりました。僕は、この2つの党は仲がよくないと思っていたので、意外でしたがいいことだと思いました。 ほかにも、前回は反対派だった公明党が2020年は賛成に転じていること、公職選挙法に縛られる普通の選挙とは
ハムシャー=ファネット独立学区の広報マイク・カニザレス氏は、教師の一人が学区で承認されていない「アンネの日記:グラフィック版」を授業で生徒に読ませたと地元テレビ局KFDMに説明している。
「日本の警察はめちゃくちゃ友好的です。中国だと勝手にドアを破って入ってきますからね」 2023年春に北京から東京に拠点を移したばかりの郭氏(33歳、仮名)はそう呟く。若きドキュメンタリー映画の監督だ。かつて中国には、当局の審査を受けないインディペンデント映画としてドキュメンタリーを撮った監督が、欧米で賞を獲得しスターダムに登り詰めるというキャリアパスがあった。 だが、2012年に習近平政権がスタートして以降、記録映画業界は徐々に追い詰められて行き、北京、南京、雲南にあったインディペンデント映画祭は2020年までに全て終了となった。 「言論の自由」が移住の理由に 「日本に来たのは、作品の安全のためです。私の作品は未来の人に向けたものなのです」。彼が中国で撮った歴史をテーマとする作品は全て未公開のままで、採算は取れていない。日本に来た最大の理由は、自分が苦労して作った作品をせめて守り通すこと。
メディアとは本来、権力を監視するという重要な役割を担っています。しかし昨今では記者会見で特定の質問者を排除したり、報道機関に圧力をかけるといった行為がまかり通ってしまっているのが実情です。日本のメディアが「報道の自由度」を落とした原因とは? 池上彰氏が解説します。 ※本稿は池上彰著『池上彰の日本現代史集中講義』(祥伝社)より一部抜粋・編集したものです。 メディアへの監視を強めたかつては新聞が目の敵にされましたが、テレビの影響力が大きくなるにつれ、政府は警戒感を強めるようになりました。特に安倍政権は積極的にメディアを監視し、コントロールしようとしました。 選挙期間中、テレビ局は放送法に違反しないように、自ら政治的公平に配慮しています。しかし、安倍政権時代の2014年、自民党が在京テレビ局に対して「選挙報道に偏りがないように」と、わざわざ文書で申し入れを行ないました。 その結果、政治についての
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