Online ISSN : 1884-7080 Print ISSN : 1342-3363 ISSN-L : 1342-3363
全国の学校でGIGAスクールが実施されながら、学校で地域学習を計画しようとすると、地域を知る情報源がネット上には極めて少ないことが直ちに顕在化する。特に学校区の情報源は殆どの地域においても存在しないと言って過言ではない。さらには地域資料があっても、教員の経験不足等の理由によりその活用が図りにくい課題がある。 以上の課題を解決するため、これからの学校教育に求められる児童生徒の主体的で探求的な学びを包摂的に支援できる分散型デジタルコモンズサービスd-commons.netを用いた「d-commonsメソッド」により、校内資料のデジタルアーカイブ構築に取り組んだ。校内資料のデジタル化は「やればできる」ことなのに、学校現場ではその課題の気づきや実践が行えない壁がある。その壁を取り除き、DX時代にふさわしい地域学習の環境づくりが全国の学校で進んでいくことを期待したい。
他のものはともかくとして、記録媒体については形のある所有をすることの価値はこの十年で完全に下落したと思う。コンテンツを所有することはなしにウェブを通してサーバから好きな時に好きなものを引き出していると、データをダウンロードして端末に所持するということさえ古くさく思えてくる。 じゃあ人々が所有の後、何に価値を置いているのかというと、おそらくそれは経験の共有で、今はかつてないほど個人がある経験を持つことがステイタスになっている。単純にこのことを要素に分解すると「経験」の「共有」となるのだが、じゃあ世間ではどちらに比重が置かれているのかというと、たぶん圧倒的に「経験」よりも「共有」に寄っていると思う。もはや経験そのものは共有の下位に存在するもので、共有されやすい経験にこそもっとも価値があるということになる。あとはもう共有の先着順と解像度と拡散の広さを競っているだけだ。 それでも共有されない記憶と
各地域・自治体の公共図書館・文化財・史資料担当の方向けに、”おらほ”(各地域・府県・市区町村)の資料・情報を海外に届けましょう、ということを説くんだ、という話の「その2」です。 「その1「日本の地域資料が世界の共有財産になる?」」(http://egamiday3.seesaa.net/article/476452905.html)では、ほら、こんなふうに各地の地域資料が海外でも実際に使われてますよ、あんなものからこんなものまで、あんなふうにこんなふうに、ていう実例を花咲か的に紹介するという感じでした。地方都市の交通統計だったり、地元の公共図書館が収集していないような逐次刊行物だったり、こんなものも使われるくらいですから、ってちょっと煽り気味にですが。 それはわかった、と。 でも、じゃあなんぼ実際に使われてまっせと言うたところで、使われてそれが何になんの?、と。 すなわち、国内ですらよそさ
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