親父の正則です。「ブックスペースという場所をつくる」プロジェクトが始動しました。親子3人のそれぞれの思いと役割で何とか面白いものにしていこうと思っています。プロジェクトの進捗に合わせて思いついたことを綴っていきますのでよろしくお願いします。兄の最初のエントリーでこのプロジェクトが始まったきっかけが書かれていましたが、そのあたりをもう少し詳しく述べておこうと思います。ぼくが生まれた鎌倉の藤沢に近い端っこは深沢地区という名で呼ばれています。昔は鎌倉郡深沢村と言っていましたが、昭和23年に鎌倉市に併合されて鎌倉市の一部となりました。ですから、人によっては7つの切り通しの内側である旧市街地を旧鎌倉、深沢や大船、玉縄、腰越を新鎌倉と呼ぶ人もいますが、何となく上から目線を感じて好きではありません。ということで、ロケーションとしてはテレビなどに登場する鎌倉ではなく観光ガイドブックにも載ることが少ない鎌倉
こんにちは、ワディット代表 、 兄の 裕介です。ここで「兄の」と宣言したのは、弊社は家族でやっている会社だから一応の断りです。後ほど「親父」や「弟」がこのブログにも出てくることでしょう。さて、そんな 兄、親父、弟 が3人で新しいプロジェクトにチャレンジしようとしています。元々我々は「IT」特にWebのシステム制作を生業にしているのですが、今回は「リアル店舗」がターゲットです。ぶっちゃけ経験したことのないマジ未知の領域です。ちなみに以下は昨日の打ち合わせの様子。ビール飲んでたりします。 とある事情で、僕らの会社が、とある「鎌倉の端っこ」の近くの「つぶれた本屋」を借りることになりました。それは宿命的でもあるのですが、まー「面白そうだから」という理由で使ってみようという超楽観的感覚でその場所を手に入れたのです。今までの名前は「 栄和堂 」です。 聞いた話によると40年ほどの間存在し続けていた町の
大船 ランチガイド 大船のランチ情報をお届けします! 今後は、OFUNA NETにて大船情報を更新していきます。 https://ofuna.net/ https://twitter.com/ofunanet 大船ランチガイドを見ていただいている方の中でも、 大船駅に来る時に、自転車 や 原付 を 利用される方も 多いのではないでしょうか!? 皆さん、どこの駐輪場を利用していますか? 天気のいい昼間など、満車になっている駐輪場も多いですよね しかも、最近の子供乗せのついた自転車は 大きくて、狭いラック式の駐輪場には、停めにくいです 私の自転車も、カゴ&子供乗せが大きく、いつも停めるのに苦労して・・・ ちょっと憂鬱な気分になってしまいます 最近、とても停めやすく & 大体空いている駐輪場を見つけたので、教えちゃいますね 大船の仲通り商店街の奥側にある駐輪場です。 自転車 & 原付(中型バイク
www.asahi.com おれの断りもなしに湘南モノレールが売却されるという。……と書いたところで、おれは大人の世界や大規模な企業の話のことなどてんでわからぬので、この売却がどういう意図のもとで決定され、今後湘南モノレールがどうなるのかについてさっぱりわからない。ただ、おれの湘南モノレールがおれの断りなしに誰かから誰かに売却されてしまうというのである。 おれの湘南モノレール。といっても、おれはもう横浜市中区の住人であって、一番よく使う交通機関はJR京浜東北線、次に横浜市バスという人間になってしまった。けれど、だ。おれは物心ついたときから湘南モノレール片瀬山駅徒歩2分、走って1分の家に住み、小学5年生から大船の日能研にモノレールで通いはじめると、中学高校の6年間も一貫して大船までモノレールを使い、2年で辞めた大学も大船までモノレールを使い、ニートになって大井競馬や川崎競馬に通うのも大船まで
鎌倉のカフェ・ヴィヴモン・ディモンシュのマスター、堀内隆志さんの自伝ともいえる「鎌倉のカフェで君を笑顔にするのが僕の仕事」を読んだ。日本史だけが得意科目の歴男で、大学時代はテニスサークルに所属していた“ミーハー大学生”(本人談)であった堀内さんが、歴史ある町・鎌倉でフランス語の店名のカフェをなぜ始めたのかから、グッズを販売する理由やコーヒーと音楽の関係、20年以上お店を続けてきて感じたことが、堀内さんのお話し方と同じように丁寧で、穏やかな文体で記されている(実は趣味がプロレス観戦の熱い魂を持った方なのだが)。 僕が初めてディモンシュに行ったのは1995年ぐらいだと思う。クラブを借りてDJをやっていた頃にフライヤーのデザイナーをしてくれていた娘が「鎌倉に好きそうなカフェがあるよ」と教えてくれ、遠足気分で行ってみようということになった。鎌倉に行ったのは小学生の遠足以来だったので、普通電車で行け
三菱重工業など三菱グループ3社は、神奈川県鎌倉市と藤沢市江の島を結ぶ「湘南モノレール」を、経営共創基盤(東京、冨山和彦・最高経営責任者)に売却する方針を固めた。利用者数が伸び悩む中、バスや鉄道の立て直しで実績がある会社の下で再生を目指す。 湘南モノレールは1970年に運行を開始。JR東海道線と接続する大船駅と湘南江の島駅の6・6キロを結ぶ。線路にぶら下がる懸垂式の公共交通のモノレールとしては国内では最も古い。株式の9割超を三菱重工と三菱商事、三菱電機の3社が握っている。 通勤通学や観光の足になってきたが、利用者の数は頭打ちになっており、2013年度は1009万人。そうした中、設備が老朽化し、多額の費用がかかる大規模な補修が課題となっていた。 経営共創基盤は09年の福島交通グループを手始めに、茨城交通グループなど経営が苦しくなった東日本の計五つの地方交通企業の経営に参画。従業員を維持しつつ、
地方公務員に実際の役職に見合う額よりも高い給与を支給する、いわゆる「わたり」制度。神奈川県内で唯一残った「わたり」の廃止をめぐって今秋、鎌倉市議会と、同市・同市職員労働組合との間で激しい攻防が繰り広げられた。短期間での大幅な給与削減を避けるため、緩和措置導入をもくろむ組合側と市に対し、即時廃止を主張する市議会が真っ向勝負を挑んだ展開は、かつて「日本一高額な退職金」を誇り、“お役所天国”と呼ばれた鎌倉市の「負の遺産」を改めてクローズアップさせた。(川上朝栄) ■全国の組合から“支援”、檄文続々 「ブラック企業と同じ」「市議会議員は無能だ」-。9月下旬、同市役所2階にある市長室近くの掲示板にこのような張り紙が掲示された。「わたり」の即時廃止に抵抗する市職員労働組合を支援する全国の組合から届いた「応援ファクス」が、市民が行き交う通路の掲示板に張り出されるという“暴挙”が、古都の9月議会に波乱を巻
海はひろいな大きいな。 でも海の家は人が多すぎて、ちょっと敬遠気味なんだよな。 ハズレのない安心ド定番の食事したいな。 ちょっと昨日飲み過ぎちゃったんだよな。 そんな時には、「盛華園」。 実は西鎌倉・極楽寺・材木座と3店舗ある、隠れた有名店。 シャレオツな雰囲気は期待するにはほど遠く、しかし家族経営の良さが満載。 Regain夫婦は、普段は極楽寺店に大変お世話になっているのですが本日、久しぶりに西鎌倉店にお邪魔してきました。 <安心の定番メニュー。鳥うまにラーーメン・からあげ・チャーハンが最高> <そしてこれまた定番メニュー:半チャンラーメンと、冷やし中華> ああうまかった。 西鎌倉店は駐車場も完備。これぞ地元の名店! 盛華園 関連ランキング:中華料理 | 西鎌倉駅、片瀬山駅
実話BUNKAタブー2023年4月号 2/16発売 通常毎月16日コンビニ・書店で発売 特別定価670円(税込) ▼既婚者だけが優遇され結婚したくてもできない未婚中年男性は見捨てられた日本社会の現実▼TABOO OPINIONスシロー「ペロペロ事件」に改善策なし もはや日本の民度では「性善説ビジネス」は持続不可能▼闇麦わらのルフィ強盗団の背後に潜むブラックマネーが流れ着く先とは▼テレビ追放さようならエセセレブの自称国際政治学者三浦瑠麗▼22年続く志位体制のトンデモ共産党が近いうちに滅びる理由▼岸田文雄の国民の苦しさ知らぬ異次元ボンボン半生▼ジャーナリスト須田慎一郎が切り込むColabo問題で浮き彫りになった女性支援事業の利権化という闇 ほか ●連載中『ロマン優光の好かれない力』は「高橋幸宏、鮎川誠、鈴木邦男が死去」 実話BUNKA超タブー2023年3月号 コンビニ・書店で2/2より発売中
鎌倉の農産物について 鎌倉市の農業は、北部の関谷・城廻地区の農業振興地域の農地を中心に「七色畑」と呼ばれ、きゅうり、トマト、ほうれんそう、だいこん、ねぎ、ルッコラ、バジル等の野菜の生産やシクラメン、花壇苗などの花きが生産されています。 鎌倉ブランドマーク 鎌倉市では、市内農業者とJAさがみと連携し、平成7年から農産物に「鎌倉ブランドマーク」(登録商標)を表示をし、新鮮で安全な農産物の普及促進を行なっています。 「鎌倉やさい」を購入できるところ 鎌倉市農協連即売所 約70年の歴史をもつ直売所で「レンバイ」と呼ばれ親しまれています。新鮮で色とりどりの野菜を毎日、農家が直接販売しています。 「鎌倉市農協連即売所 公式ホームページ」(外部サイトへリンク) 市内の小売店(八百屋)やスーパーでも「鎌倉やさい」を扱っているところがあります。 野菜を束ねるテープや袋に記された鎌倉ブランドマークが目印です。
最近よく耳にする鎌倉野菜とは、「鎌倉市農協連即売所(通称“レンバイ”)」で地元の生産者数十軒が直売する採れたて野菜のことです。 露地栽培の旬のものが中心で、朝採りも多く、長い流通経路を経て並ぶスーパーの野菜とはケタ違いの新鮮さが売りだそうです。 ここで仕入れた野菜を使い“鎌倉野菜”と呼んで出す飲食店が増えたのですが、、このネーミングは東京渋谷区神宮前三丁目のイタリアン『VINO E PASTA』のシェフが付けたのが始まりだそうです。
それは店を始めて間もない明治30年頃のことでした。ある日、店に訪れた異人さんから、見たことのない大きな楕円形のお菓子をいただきました。それを口にした初代店主は、「なんておいしいお菓子なのだろう」といたく感動し、「これからの日本の子ども達に喜ばれるのはこれだ!」と確信しました。でも、人まねは嫌いだった初代は自分で新しい時代のお菓子を創ろうと思い、その日から試行錯誤の日々が始まりました。 味のポイントがバターだと気づいた初代。しかし、当時はバターなどといったハイカラなものが、簡単に手に入る時代ではありませんでした。横浜の異人館に足を運び、なんとか調達した貴重なバターを使って、試作に明け暮れる毎日でした。原材料の配合比、いわゆるレシピのことを「ワリ」と言いますが、試行錯誤の末、ようやく納得のいく「ワリ」が完成しました。 ちょうどこの頃に、欧州航路から帰国した友人の船長が店にやって来たので、試作を
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