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ブックマーク / note.com/kyotoshimbun (2)

  • 家康家臣団のゆかりの地をたどる 洛中洛外を(もっかい)(一人で)あるく・その伍|京都新聞 note

    2009年4月から1年間、京都新聞市民版で連載した「中村武生さんとあるく洛中洛外」。京都在住の歴史地理史学者の中村武生さんが、京都のまちに残る秘められた歴史の痕跡を紹介する内容だった。連載当時、中村さんと京都のまちを歩いた担当記者が、今度は一人でもう一度、興味のむくままに歩いてみた。 前回の記事はこちら 駒札が好きなんです 先日、いつものように京の街をふらふらと歩いていると、新町通の蛸薬師下ルあたりに駒札を見つけました。駒札というのは、旧所・旧跡に建てられている将棋の駒の形をした札のこと。京都市内には、行政や企業、自治会や市民団体などが地域の歴史を伝えるために建立し、石碑などとともに、頻繁に目にすることができます。 はて、あんなところにあったやろかいな、と思い、近寄ってよく見ると、織豊期から江戸初期にかけて活躍した豪商・茶屋四郎次郎の屋敷跡でした。4月2日に放送されたNHK大河ドラマ「どう

    家康家臣団のゆかりの地をたどる 洛中洛外を(もっかい)(一人で)あるく・その伍|京都新聞 note
  • 洛中洛外を(もっかい)(一人で)歩く 路傍の石仏・後編|京都新聞 note

    2009年4月から1年間、京都新聞市民版で連載した「中村武生さんとあるく洛中洛外」。京都在住の歴史地理史学者の中村武生さんが、京都のまちに残る秘められた歴史の痕跡を紹介する内容だった。連載当時、中村さんと京都のまちを歩いた担当記者が、今度は一人でもう一度、興味のむくままに歩いてみた。 前回の記事はこちらから その肆 洛中に出現した石仏群の話・後編 京都市中京区のビルのはざまの一画に、真新しい基壇にまつられた30数体の石仏群がある。四条通に面した複合ビルを建設する際、同敷地内にまつられていた石仏を、彌榮自動車が新たにまつりなおしたものだということが、わかった。同社内には「焼け焦げたようなものもあることから、『能寺の変』で焼けた仏様では」という話も伝わっていたという。江戸時代までは、久留米藩の京屋敷だった場所。果たして、石仏たちの由来は。どの時代のものなのか。 紙のこの記事をより詳しく紹介

    洛中洛外を(もっかい)(一人で)歩く 路傍の石仏・後編|京都新聞 note
    egamiday2009
    egamiday2009 2023/02/19
    「文化財的な価値を問うのも物差しの一つかもしれないが、一方で、路傍の石仏やお地蔵様にはそこにあり、人々が参拝してきたというもうひとつの事実がある」」
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