毎日新聞社と大日本印刷は15日、新型コロナウイルス感染症の対応に当たった医療機関ごとの「コロナ記録集」の制作を始めると発表した。診療体制や保健所との連携など、この3年余の対応を記録する活動を支援することで、次のパンデミック(世界的大流行)への備えに資するのが狙い。 両社はこのほど、企業・団体のさまざまな…
紙くずのように丸まった道路案内標識や地震発生直後に止まった時計。やかんの中で温められていた缶入りのお茶――。2月下旬、福島県の南相馬市博物館で開かれた展示を見て、「こんな、よう集めてくれた」と、地元の来場者が感嘆の声を上げた。 これらは福島県立博物館(会津若松市)など8団体で構成する「ふくしま震災遺産保全プロジェクト」による収集物だ。いずれも震災前、住民たちの生活の場にあったものだ。写真や映像では伝えきれない地震や津波の激しさ、奪われた日常生活を雄弁に物語る。 福島県立博物館の高橋満学芸員(45)は「小さなものでも発見場所や関わった人たちの話が加わると貴重な記録になる。大震災を永遠に語り継ぐことが出来るはずです」と指摘する。 東日本大震災から4年が経過した被災地では壊れた建物の解体や、がれきの撤去が進む。復興への足音が聞こえ始めたが、震災の痕跡は次々と消えていく。 実物を残すことが難しい建
なんでも書き残す愚直な“記録屋”が語った、東日本大震災で忘れがちなこと Reconstruction from Kirokuya's viewpoint #1/2 東日本大震災の「風化」が進む中、人々は震災とどう向き合っていけばいいのか? 人生の記録をこと細かく書き残してきたという佐々木敦斗氏は自身を「記録屋」と称し、記録屋の観点から震災を伝える活動を行う。メディアによる報道の多くが現地の「人」が捨象された内容となっていることに疑問を呈する同氏が、被災地で生きる人の「生の記録」を残していくことの重要性を訴えました。(TEDxUTokyo) 「どうにかするぞ」 (「どうにかするぞ」と書かれた前掛けを会場にアピールしながら登場) 「どうにかするぞ」 今日はこの前掛けをつけてしゃべります。今日はこの前掛けを家からずっと付けてきました。 (会場笑) 今日は丸ノ内線に乗ってきたのですが、これまでこれ
東京電力福島第一原発の9割もの所員がなぜ、所長の待機命令に違反して現場を離脱したのか。「吉田調書」などをもとに当時を再現する。■公開を覚悟し証言 吉田調書には、第一原発所長だった吉田昌郎氏が第1回聴取で「お話しいただいた言葉はほぼそのままの形で公にされる可能性がある」と通告され、「結構でございます」と即答したことが記録されている。吉田氏は自らの発言が公になることを覚悟していたのだ。 2011年3月14日午後6時28分、吉田氏は免震重要棟の緊急時対策室にある円卓の自席で、2号機への注水に使っていた消防車が燃料切れで動かなくなったという報告を聞いた。 原子炉の圧力がやっと下がり、冷却水が入れられるようになった矢先のトラブル。原子炉格納容器が壊れる恐れがあり、吉田氏は「1秒1秒胸が締め付けられるような感じ」と聴取で振り返っている。廊下に出て誰もいないことを確認し、PHSの番号を押した。 「910
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