【読売新聞】 熊本県八代市の球磨川下流で、江戸時代に初代熊本藩主の加藤清正が造り、昭和の河川改修で姿を消した「八の字 堰 ( ぜき ) 」を約50年ぶりに復元したところ、流域で絶滅したとされていた回遊型のカジカが戻ってきた。専門家は
能登半島地震で、被災地は救助やインフラ復旧の遅れ、不十分な医療や支援物資、孤立状態など、さまざまな苦境に直面している。それらの目詰まりの主因は、半島の道路寸断だ。政府は道路を切り開く作戦を急ピッチで展開している。 能登半島地震の被災地で道路の復旧が遅れているのは、地域交通の核となる道路を含め、半島全体の道路が大きなダメージを受けたためだ。国は東日本大震災で実施した、復旧活動の軸になる道路を起点に緊急輸送道路を確保していく「くしの歯作戦」を進めている。しかし、被害は広範囲に及んでいて復旧の見通しは立っていない。 国土交通省によると、石川県内の高速道路や国道・県道など主要道路は、8日時点で87区間が通行止めになっている。各地で道路の陥没が確認された他、道路脇の山から崩れてきた土砂が路面を塞いでいるところが多く、政府関係者は「半島全体が大きな被害を受けている」と説明する。 国交省などは地震発生後
福井県の中央部に位置する南越前町今庄では、8月3日から雨が振り始め、24時間降水量が357ミリ、6日までの降水量は426ミリに達し、その降水量は観測史上最多だ。この大雨により河川が氾濫し、山は崩れ、全ての交通網が寸断された。JR北陸本線、北陸自動車道、国道8号をはじめ、その他の国道、県道、林道など全てのルートが断たれ、福井県の北部と南部は完全に分断されたかたちである。 発災から3日が過ぎても断水は続く なお、筆者の義理の両親は福井県南越前町に住んでおり、義母と電話で会話は出来ているが、高齢者の二人暮らしで、義父は耳が聞こえない。義母は雨が収まった後、道路上を横切る濁流を飛び越そうとして転倒し、危うく川へ流されそうになったという。その際、両脚を強打して負傷してしまい、車を運転することができなくなってしまった。
ドイツ北西部、ノルトライン・ウェストファーレン州にある高速道路にかかった大きな橋。長さは約485m、高さは約70mあります。この橋で6日、爆破による解体作業が行われました。 爆発で柱が折れ曲がり、道路だった部分が谷へ落ちていきました。上空から撮影された映像には、橋がゆっくりと崩れていく様子が残されていました。 完成から55年が経過したこの橋は、老朽化により解体されることになったといいます。 少し離れた場所には、爆破の様子を一目見ようと集まった人たちがいました。 解体を見に来た人 「橋が予定通り崩れてよかった。うまくいったことに興奮している」 ドイツは、70mもの橋を爆破したのは初めてで、解体は成功したということです。
「人工の雨でがけ崩れを起こす実験をしていたところ、予想を上回る大量の土砂が崩れ落ち、15人が死亡…」 50年前のNHKニュースで、アナウンサーが緊迫した様子でこう伝えた。東京の多摩地区や川崎、横浜の丘陵地帯で相次いでいた土砂災害のメカニズムを解き明かそうと行われた実験が、一転して大惨事になったのだ。 「川崎ローム斜面崩壊実験事故」はなぜ起きたのか、50年後の今に何を問いかけるのか。 (首都圏局/ディレクター 三島康生) 3.2秒の悲劇 実験は昭和46年11月11日、当時の科学技術庁や建設省などによって、川崎市の生田緑地で行われた。土砂災害を再現して防災対策に生かそうと、実際の斜面に散水ポンプで大量の雨を降らせたのだ。しかし、実験中に予想を超える斜面崩壊が起こり、現場に立ち会っていた15人が犠牲となった。
鹿島は、次世代建設生産システム「クワッドアクセル」の適用拡大に向けて、神岡試験坑道(岐阜県飛騨市)で山岳トンネル工事の全工種の自動化を目指す自動化施工システム「同・フォー・トンネル」の実規模施工試験を開始した。実施工による2年間の実証試験で、同社がこれまで開発した自動化技術を実工事現場と同等の環境で実証し、有効性、実用性を確認する。 神岡鉱業(同)が所有する試験坑道で、自動穿孔(せんこう)から発破掘削までの作業工程を実施し、効率的な穿孔・発破技術を実証する業界初の試みとなる。各作業工程の自動化を進め、順次実工事に導入する予定。また実証試験によりデータに基づく最適化施工を実現できる人材の育成など自動化施工体制の構築も進める。 神岡試験坑道の工事はトンネル掘削が321・3メートル、掘削断面積がアプローチ部43・9平方メートル、自動化施工試験部が73・5平方メートル。 同社は2018年11月、静
静岡県熱海市で発生した土石流の現場を、静岡県がドローンで撮影し4日映像を報道陣に提供しました。 現場を視察する県職員の姿から想定し、道路は数十メートルに渡って寸断され、小規模な崩落が今も続いている状況がみてとれます。 約20人の安否がわかっておらず、現場の下流では朝から捜索が行われています。 捜索は消防や自衛隊警察など約1千人体制で午前6時から始まり海上でも捜索が行われています。 県によると被害を受けた建物は約130棟にのぼり、2人が死亡したほか3人が負傷しこれまでに19人が救助されていますが、いまだに約20人が安否不明です。 土石流の発生地点には小さな亀裂もあり県の職員が目視で常時監視をしていますが、雨のため一旦捜索が中断される場面もあり、慎重な捜索・救助が続いています。
大府市横根町にあるれんが造りの水路が、周囲の開発で年内をめどに取り壊される。明治時代中期に造られたともされるが、本格的な調査はされないままの解体を惜しみ、住民たちが周囲を草刈りし、人目に触れるようにした。四日にはまち歩きのイベントの中でも立ち寄って解説する。 (栗山真寛) 水路は境川にそそぐ明神川の上流、ため池の宝池のすぐ近くにある。幅二・七メートルほどで、二五度の斜面を長さ七・七メートル、その先の平地を一・九メートルほど。石灰モルタルの目地に赤いれんがが敷き詰められている。現地を視察した産業遺産学会前会長の天野武弘さんによると、底面までれんが造りでU字形が珍しいという。
1.タワーエキスカ スラックライン掘削機の一種である。昭和23年度に建設省は日立製2m2タワーエキスカを常願寺川に設置した。当時、河川改修事業用の大形建設機械としてはラダーエキスカがあったが、急流河川における玉石交りの土砂に対しては全く無能であった。またブルドーザは9~10t程度で大型機は無く、現今のような岩場掘削の例もなかった。構造その他に就ては、機関誌や要覧1953年版を参照されたい。 常願寺川での水中玉石掘削が成功したので、北陸の急流河川である庄川、手取川・黒部川などに、また木曾川の支流藪川・雄物川等に昭和25~26年にかけて設置された。更に猿ヶ石ダム・五十里ダム・朝日ダム等における骨材採集用としても利用された。当時は天然骨材の採取が常道であったので、出水に悩まされることなく作業が出来ることが特徴であった。昭和26年頃まではタワーエキスカ・ブームの観を呈し、従来機関車土工では不可能で
太田記念美術館では2020年10月10日~11月8日に「江戸の土木」展を開催。「土木」というキーワードで、江戸の成り立ちの様子を、浮世絵を通して眺めてみようという展覧会ですが、その見どころをご紹介します。 今回はダムの話。ダムは現代の土木ファンの間でも人気のジャンルです。各地のダムには大勢の観光客が訪れ、ダムの形を模したダムカレーなども作られて盛り上がりを見せています。 意外にも、家康が江戸に入府して最初期に行った土木事業に、ダムの造成がありました。ダムが造られた理由は、江戸の町づくりにたずさわる人々の「飲み水」を確保するためでした。 現在では、ダムというと山奥などに造られる巨大な建造物を思い浮かべますよね。もともとダムとは、治水や貯水などのために、河川を横断して堰き止める構造物のこと。家康が造成した江戸初期の「牛ヶ淵」「千鳥ヶ淵」「溜池」などは、貯水を目的とした、まさにダムのような構造物
●都道府県別データ一覧 2024年3月27日更新、 ●遺産の種類ごとのリスト 2024年3月14日更新 都道府県別データ一覧は、各都道府県の市区町村ごとの基本データです(2024年3月27日時点でデータ総数18858件、画像13658点)。 遺産の種類ごとのリストは、全国の土木・産業遺産の評価の一助とするために作成したものです(全85項目のリスト)。 都道府県ごとの特徴の分析は、都道府県別データを見やすくするため、各都道府県の特徴を2~8ページにまとめたものです。 YouTube での内容紹介も一部あります(都道府県別データ一覧より入れます→3都府県分)。 海外版(①街道、②橋)もあります。 ▲更新情報(2017年以降)→ 新着順 ▲出典の詳細 → 都道府県順 ◎画像数は13000点を超えましたが、都道府県により極端なばらつきがあります。ワースト1は、群馬県です。 ↑
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