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評論に関するdambiyoriのブックマーク (6)

  • 一橋鉄研:一橋祭研究2010「『鉄道趣味』を旅する。」目次

    この文書に関する一切の権利は一橋大学鉄道研究会が保有します。 無断複製・転載を禁じます。 ※全ページPDFファイルによる公開となっております。 全ページ一括ダウンロード (PDFファイル 3.69メガバイト) はじめに (PDFファイル 13キロバイト) 第1部 鉄道趣味とは何か 第1章 鉄道趣味歴史 (PDFファイル 69キロバイト) コラム 鉄道模型の歴史 (PDFファイル 14キロバイト) 第2章 鉄道趣味の分類 (PDFファイル 84キロバイト) 第3章 鉄道趣味界の人物と鉄道趣味誌 第1節 宮脇俊三 (PDFファイル 40キロバイト) 第2節 川島令三 (PDFファイル 19キロバイト) 第3節 鉄道趣味誌 (PDFファイル 166キロバイト) 第2部 鉄道ファンとは何か 第1章 「鉄道ファン実態調査」結果と分析 (PDFファイル 1.9メガバイト) 第2章 鉄道ファンとは何者

  • 「俺の邪悪なメモ」跡地

  • アンパンマンがチビ達に及ぼす深刻な悪影響について

    文部科学省推薦だか何だか知りませんが、アンパンマンが嫌いです。 ばいきんまん派とか、カレーパンマン最強とか、擬人化同人とかそういう事を言ってんじゃありません。 文部科学省推薦のあのアニメに反吐が出そうです。 暴力(アンパンチ)で毎回事を解決するようなアニメが、当に良いのか?という問題については、ネット上でたくさんの方が既に議論されています。 が、少なくとも今の教育は「STOP THE 暴力。ダメ、絶対」を貫いているようですし、「問題解決の為なら暴力OK」なんてのを真に受けて大きくなる子ってそんなにいないと思うんですよね。多分ですけど(少なくとも、最近のU-35が引き起こす傷害事件・殺人事件はアンパンマンのせいではないと思う。ソース無いけど) それよりも私は、アンパンマンがチビ達に植え付けているもっと深刻な思想があると考えています。 それは、 「汚い(汚そう、清潔感が無い)存在は、それだけ

    アンパンマンがチビ達に及ぼす深刻な悪影響について
  • 柴村仁、見下ろす、落語 - 過ぎ去ろうとしない過去

    柴村仁が嫌いである。 いやまあ、人は「会えばいい人」なのかもしれないが、彼女の書いたものはことごとく嫌いなものが多い。 ぼくが読んだ限りにおいて、彼女の小説のスタイルについては次のような印象を持っている。つまり誰かが死んだこと、または何かが失われたことがまず強烈なインパクトとして存在していて、その事実を中心に物語が回っていく*1。『プシュケの涙』がまさに典型的だが、『我が家のお稲荷様』もそうで、あの話の構造は要するに死んだ母親の縁で胡散臭い奴らがわらわらやってきて、死んだ母親の話をして帰っていくというものだろう。死んだ母親が物語の中心にあって、ことあるごとに母親が死んでいるということが思い出さされるのだ。 それで、なぜそういった喪失を中心とした物語(くーきょなちゅうしん、とか言いたければ言えばいい)が嫌いかというと、そうした物語はたいてい「見下ろす視線」というものを構造として保有している

    柴村仁、見下ろす、落語 - 過ぎ去ろうとしない過去
    dambiyori
    dambiyori 2009/05/07
    「あるものは不完全である(だがそれがいい)というとき、必要になってくるのは、その不完全性なるものを上から見下ろす視線である。」
  • 君の脳みそ溶かしつくして〜電波ソングとループの甘いワナ - たまごまごごはん

    (注意!)このエントリにはかなりの量の電波分が含まれておりますので、お読みになる際にはカエルみたいな人によって胸に埋め込まれたピカピカ光るもので受信してください。あとちょっと重いですよ。 ●熱狂!とかちつくちて無限ループ地獄● THE IDOLM@STER アイドルマスター とかちラーメン大盛り 〜望みの限りに〜(ニコニコ動画) 紹介するまでもなく有名なムービー。見る際はできればニコニコの熱狂ぶりの方をご覧になるのをおすすめします。 物はこちら。こちらで聞くとさらに普通にかっこいいです。 無限(といっても当に無限ではないけど)ループ版を聞いてしまうとやけくそに短く感じるのが恐怖です。その上で家まこと版を聞くとよいと思うんだ。 興味ない人はまったく知らない世界だと思いますが、局地的に現在このような「(ほぼ)無限ループ改造音楽」が大人気です。 ほんとに局地的だと思ったら、ネット上では異常

    君の脳みそ溶かしつくして〜電波ソングとループの甘いワナ - たまごまごごはん
  • 「宮崎駿二世」などいない。「宮崎吾朗」がいるだけだ。 - 虚馬ダイアリー

    「ゲド戦記」が不評らしい。という話が出たのはいつごろだったか。「時をかける少女」の公開後だったような気がする。初号試写が7月のはじめ。てことは、まあ、それ以降ということになるか。その辺の推移にはあまり興味がないので詳しくは触れない。 ただ、「ゲド戦記」を見てひとつ確信したことがある。これは断じて「宮崎吾朗」以外には作れない映画である、ということだ。そもそも御大監督の息子の監督作品で主人公が「親殺し」する作品なんである。鈴木敏夫が示唆した、というのは、駿との関係がこじれるだけだからまずない。優秀なスタッフが「息子の名」を借りて書いた、という可能性もあるにはあるが、社員が会社の重役を殺す話書いて通るか、と言えば通らない。粛清されちまわあなw。 つまり、こんなこと書いて許されるのは「監督:宮崎吾朗」以外にはない、ということである。主犯:宮崎吾朗、共犯:スタジオジブリと言ったところか。 ま、それを

    「宮崎駿二世」などいない。「宮崎吾朗」がいるだけだ。 - 虚馬ダイアリー
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