【読売新聞】 熊本県八代市の球磨川下流で、江戸時代に初代熊本藩主の加藤清正が造り、昭和の河川改修で姿を消した「八の字 堰 ( ぜき ) 」を約50年ぶりに復元したところ、流域で絶滅したとされていた回遊型のカジカが戻ってきた。専門家は
「水曜日のダウンタウン」で柳ヶ瀬(西柳ヶ瀬)がシャッター商店街のワースト一位となってたので、地元出身としてコメントする。 番組の中では、西柳ヶ瀬衰退の理由が「国体開催に合わせた浄化作戦」という声を紹介していたが、これは半分正しくて半分間違っている。 西柳ヶ瀬は柳ヶ瀬の中でも風俗店などが多い歓楽街だが、西柳ヶ瀬のシャッター街化が進んだ本質的な要因は、岐阜市エリアの経済基盤の崩壊である。岐阜は昔から繊維工業が盛んな地域で、工場関連の問屋やアパレルの周旋をやってるような自営業の小金持ちが山ほどいた。彼らが顧客を連れて接待に向かうのが柳ヶ瀬エリアの飲食店で、その後の二次会的な行き先が西柳ヶ瀬であったわけだ。こうした旦那衆以外の工場の労働者連中の利用者も多かったことと思う。上の人間も下の人間も、その周りの人間も、繊維工業で潤った金を握りしめて西柳ヶ瀬に集まっていたというわかりやすい構造である。 90
衣服標本家:長谷川 @rrr00129 ガラスのない美術館【 半・分解展 】を主宰。 Xでは18世紀〜20世紀初頭の個人コレクションを詳しく紹介します。 仕事依頼はリンクから↓ rrr129annex.blogspot.com/p/r3.html 衣服標本家:長谷川 @rrr00129 女性×スーツの元祖【エドワーディアン スーツ】を紹介します 1901年エドワード朝 女性たちは新世紀の幕開けに、男顔負けのテーラードスーツを纏いました 歴史的にみても、女性がここまで本格的なスーツを着た流行は初めてです この魅力的なスーツの歴史と構造を、マニアックにお伝えします↓ pic.twitter.com/V4Wz2tBYWk 2023-08-09 15:27:21
初日の出暴走、通称グラチャンの季節だ。 そこで暴走族の車バイク、通称族車のトンチキなデザインがどっから来てるかを説明しようと思う。 増田は暴走族やヤンキーじゃないがはてなー平均よりはヤンキー文化に近いってくらいだ。 それじゃあ行くぜそこんとこ夜露死苦。 族車デザインは過去の「スピードへの憧れ」の形の寄せ集めまずは「google:image:族車」で画像検索してくれ。 さて全然速く走る事に頓着が無いというか速く走れない族車デザインだが、元はレースカーや街道レーサーの特徴をコピーしていた。 だがそれらの文脈を考えずに合体され、更に右翼ファッションの流入によってスピードの文脈が無くなって形だけが意味を持つようになった。 でもファッションというのはみんなそうであってWWIの塹壕戦防寒軍服がビジネスシーンでの正装になったり、ゴールドラッシュの作業着が反抗の象徴になってカジュアルで定着したり、警官の防
重さ100キロを超す「石」が、人知れず動いていた問題…。騒ぎになって4日目、石を動かした本人が現れ、住民たちが見守るなか人間業とも思えない自慢の力を見せてくれました。富山県小矢部市棚田の神明社で起こった…
フリーランスキャリア生き方 デザイナー、パタンナー、販売員などファッション業界にはさまざまな仕事があります。しかし、その中でも「衣服の分解」を仕事にしている人は世界を見渡してもおそらくただ一人しか存在しないでしょう。その人が、「衣服標本家」の長谷川彰良さんです。 長谷川さんが衣服標本家の仕事を始めたのは、100年以上前の洋服の精巧な作り、品質の高さに感動したことがきっかけです。その構造を解き明かし、魅力を伝えていきたい。そうした想いから独自にアンティーク服の型紙(洋服の設計図)を作成し、「半・分解展」という展覧会を開催しています。 世界にただ一人の「衣服標本家」はどのようにして生まれたのでしょうか? 洋服が教えてくれるフランス革命 東京の郊外、近くに小川の流れる住宅地に、世界に一人しか存在しない「衣服標本家」長谷川彰良さんのアトリエはあります。クローゼットにずらっと並ぶ、普段目にしないよう
過去を生きた人々の遺骨に、技術革新が新たな価値をもたらしている。骨のゲノムを調べる最先端の人類学研究は、従来の考古学や歴史学に基づく定説を続々と書き換える一方、国内外で民族や先住性を巡る新たな争いも引き起こし、研究倫理や成果の悪用が問題化している。遺骨を巡る「ゲノム革命」の光と影を追う。 「日本人の起源」再考 「日本人の起源」を示す、最も有力な仮説とされる「二重構造モデル」。まず南方系の縄文人が日本列島にいて、弥生時代に北方系の集団が渡来し、徐々に混血して成立したとする考え方だ。人類学者の埴原(はにはら)和郎博士(1927~2004年)が説を発表して30周年となる2021年11月、博士が生前在籍した国際日本文化研究センター(京都市)で、モデルを問い直す会合が開かれた。
有機農業に関する講演の機会を得た間宮さん。その内容を要約して紹介します。 日本の有機農業50年史を50分で振り返る、というテーマで講演の機会をいただいた。 1年あたり1分しかない。 客層としては若い方が多く、必ずしも有機農業事情に精通していない。 そういう人にも、2022年の自分たちの立ち位置が見えるようなまとめ方をしてほしい、ただし安易にキラキラした希望を語らず、シビアな現実を突きつけてほしい、とのオーダーだった。 後者はともかく、前者はなかなかの無茶ぶりである。 そんなテーマなら僕よりふさわしい話し手がいるでしょう、と何人かのお名前を挙げたのだが、イデオロギー的な偏りのないフラットな話が聞きたいのだ、と主催者に押し込まれて、結局引き受けることになった。 基礎知識のない方でも全体像をぼんやりとつかめるよう心がけたが、詰め込み感は否めなかった。 まだまだ工夫の余地があったのではないかと悔や
「その神社の当番になった人は1年間、牛肉食べたらあかんらしいで」―。始まりは知人から寄せられた情報だった。聞けば兵庫県丹波篠山市犬飼にある「大歳神社」のことらしい。興味をそそられ、深く調べていくと、牛肉の話は神事の一部に過ぎないこと、そして、神やもののけに人間をいけにえとしてささげる「人身御供伝説」と、集落名にある「犬」の存在が見えてきた。さらに背後には、ある大物の名も見え隠れする。夜も明けない12月4日午前5時、今年も神事が営まれた神社に足を運んだ。 ◆生きた魚ささげ 子孫繁栄を祈る 闇の中に灯籠と焚き火、ちょうちんの明かりがぼんやりと浮かぶ境内。数人の氏子がいそいそと準備を進めている。 拝殿には11種類の供物が並んでいた。餅や神酒、塩などオーソドックスなものの中で、ひときわ異彩を放っているのが水鉢だ。中を覗き込むと、赤と黒のコイが1匹ずつ泳いでいた。 「なんでか分からんけど、生きた川魚
平安宮内裏にあった後宮建物の登華殿(写真手前)と弘徽殿(奥)の遺構。平安文学の舞台だったことで知られる(京都市上京区)=市埋蔵文化財研究所提供 平安宮内裏にあった後宮建物の登華殿(写真手前)と弘徽殿(奥)の遺構。平安文学の舞台だったことで知られる(京都市上京区)=市埋蔵文化財研究所提供 平安文学を代表する「源氏物語」「枕草子」の舞台になった内裏の後宮建物跡が、京都市埋蔵文化財研究所が上京区で行った発掘調査で見つかっていたことが8日、京都新聞社の取材で分かった。建物跡や溝跡は中宮らが暮らした登華殿(とうかでん)と弘徽殿(こきでん)に関わるとみられ、平安時代の内裏殿舎遺構が見つかるのは初めて。 登華殿は平安中期、一条天皇の中宮定子が暮らした。関白の父・藤原道隆らとの語らいが、枕草子にはつづられている。また、弘徽殿は源氏物語において光源氏が朧月夜に出会う場になっている。両殿とも内裏北西部にあった
この3月に駒澤大学仏教学部を定年退職しましたが、コロナ禍ということもあって最終講義はやらず、感染がおさまってきたところで学部の公開講演会での講演という形でやることになっていました。 しかし、いつになっても感染者が減らず、また他の事情も重なったため、Web会議の形でやらざるをえなくなりました。そこで、本日19日に、学部の仏教学会の第2回定例研究会でのリモート発表という形で聖徳太子に関する重要な発見の紹介をおこない、資料をPDFで配布した次第です。 この研究会は会員中心ですが、一般にも公開されていましたので、聖徳太子研究に関わっている他大学の研究者の方たちや、太子関連の特集をしている新聞、関連番組を作成しているテレビ局の方なども、多少参加されていました。ただ、リモート会議室は入れる人数の制限があるため、このブログでは告知していませんでした。 発表の題名は、 聖徳太子は「海東の菩薩天子」たらんと
寄席は社会生活の維持に必要 コロナ禍の緊急事態宣言による無観客開催の要請に対して、いくつかの演芸場が『寄席は社会生活の維持に必要なもの』として有観客での公演をするらしい。これについてほとんどの人は好意的に受け取っているようだ。有観客で公演しているのに席がガラガラなら「密になるほど客がいない」など、ベタなことを言ってスベる芸人さんが出てくるかもしれないなとか、色々と思うところはあるんだけど、とにかく上手い落し所が見つかれば良いなっていう感想である。 私が理解していないだけかもしれないが、コロナ禍に伴う休業要請はよく分からないところが多い。古書店は休業の対象だけど、書店は対象じゃないなど理由は不明だが、それなりに考えてるんだろうから、感染が抑制されたらいいねぇとは思うものの、ちょっと気になることがある。世の中に余裕がなくなると、娯楽から止めさせようとする人たちが出てくることだ。彼らは真面目なこ
ファンクラブへアップグレードすると、ショップへ戻すことはできません。 ショップをファンクラブにアップグレードすると、ファンクラブの機能が利用できるようになります。 アップグレードすることでできること・プランの開設 ファンクラブでは、無料プランのほか、ご希望の会費でファンの方に限定特典を提供する「有料プラン」を作成できます。また、商品に対してプラン限定で販売することが可能です。 ・投稿機能 誰でも自由に見ることが出来る「公開コンテンツ」と、ファンにならないと見ることができないように設定出来る「限定コンテンツ」を作成できます。 ・コミッション機能 ファンのリクエストに答えて納品することで報酬が得られる仕組みです。条件に合ったリクエストのみ引き受けることができるため、空き時間を利用して無理なくはじめられます。 詳しくはこちらをご覧ください。
19世紀、パリのセーヌ川で少女の遺体が引き上げられました。危害を加えられた痕跡もなく、それは自ら命を絶ったものでした 少女の身元は確認されなかったため、当時の慣習にのっとり「デスマスク」が製作されました。そのうら若き少女の繊細な美しさとうっすらと浮かべた微笑が、彼女の死に謎を残しました。 このミステリーについて、様々な憶測がなされ、ロマンティックな物語が数々出版され、彼女のデスマスクとともにヨーロッパ中に広がっていきました。 後に、口対口の人工呼吸法を実用的且つ効果的に教えるためのトレーニングマネキンを開発しはじめたアスムンド レールダルによって、「セーヌ川の少女」は、再び脚光を浴びることになりました。彼は、この少女の早すぎる死に胸を痛め、悲劇がくりかえされないようにと、心肺蘇生訓練用マネキンに少女のデスマスクを採用。「レサシアン(製品名:レサシアン)」と名づけました。 実物大の人体模型が
最近うれしかったことは、2月に名古屋大学を訪問されたモンゴルのガントゥルム教育文化科学相から感謝の言葉をいただいたことです。「日本の国土特有の急流河川を支えた指導者たちには、三つの資質があった、と考えている。 一つは強い個性と信念だ。沖野忠雄(おきの ただお)、岡崎文吉(おかざき ぶんきち)、宮本武之輔(みやもと たけのすけ)、鷲尾蟄龍(わしお ちつりゅう)、赤木正雄(あかぎ まさお)、橋本規明(はしもと のりあき)、安芸皎一(あき こういち)といった河川技術の指導者たちは大変強い個性を持ち、やることに並々ならぬ信念を持っていた。 二つ目は、こういう指導者たちが高尚な倫理を持っていた。広井勇(ひろい いさみ)は、若いころ小樽にアジアで初めて、外海(日本海)の荒波に抵抗できる北防波堤を建設した。東大教授となって、明治、大正時代に河川のインフラストラクチャー(公共施設)を築いた優れた弟子をたく
【読売新聞】 大津市の天台宗総本山・比叡山延暦寺で12日、織田信長による焼き打ち(1571年)の犠牲者を供養する法要が営まれた。今年は450回忌にあたり、記念行事も検討されたが、新型コロナウイルスの影響で中止に。僧侶らは、敵と味方を
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く