1945年8月6日、原子爆弾が投下された広島では広範囲に真っ黒な雨が降った。この「黒い雨」は人々に何をもたらしたのか。当事者たちに取材した毎日新聞記者の小山美砂さんの著書『「黒い雨」訴訟』(集英社新書)より、旧亀山村(現広島市安佐北区)に住んでいた森園カズ子さんの体験談を紹介しよう――。 青い空に太陽が輝く、夏の朝の出来事 森園の家は、旧亀山村の中で西綾ヶ谷と呼ばれた地域のほぼ入り口に位置し、農業を営んでいた。5人きょうだいの4番目に生まれた彼女は、豊かな自然の中で元気いっぱいに育った。家の前には小川があった。ウナギやカニ、エビが生息する清らかな流れは、洗濯や炊事のための生活用水をまかなう水源であり、子どもたちの遊び場だった。 あの日の朝は、いつもより早起きだった。出征兵士の見送りのため、学校の裏手にある神社に集められた。国民学校2年生だった森園も、「日の丸」を描いた布を結びつけた竹棒を、