大学の教室で 今から数十年前、ぼくが二十歳前後のときだ。 大学の教室で、ぼんやりと講義の始まりを待っていると、友人がひどく真面目な顔をして近寄ってきた。 彼は小さな声で、同級生のAが自殺したと言った。 その瞬間ぼくは、まるで熱いストーブに手が触れて飛び上がるみたいに、席から腰を浮かして、調子はずれの声で「なぜ」と叫んでいた。 いや、ぼくは自殺の理由を知りたかったのではない。 遺書はあったのかとか、何か事情を知っているかとか、そんな詮索をしたかったのではない。 たとえそのような話を聞いたとしても、自殺の理由などわかるはずがないと思っていたのだから。 もちろん、自殺者の最後の言葉が残されているのなら、それを文字どおりに理解することはできるだろう。 だが、ぼくらが本当に知りたいのは、彼がそのような言葉を残さざるをえなくなる、それまでの過程ではないか。当人にもどうにもとどめようのない、向きすらも変