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読書中と大阪に関するtakahiro_kiharaのブックマーク (1)

  • 大正区の渡船

    周囲を水に囲まれた大正区は大正初期まで大部分がのどかな農村地帯でした。 陸路の交通機関の発達は遅く水路を行き来する小船と、木津川や尻無川の渡しが重要な交通機関でした。 水都大阪には多数の河川があり、人々の通行のための渡船は江戸時代から始まり渡船業は代々家業として受け継がれて来ましたが明治24年に府が「渡船営業規則」を定め監督、取締りを行なうようになりました。 明治40年に安治川、尻無川など29の渡船場を市営事業として市が管理することになりました。 大正9年、旧道路法の施工により渡船は無料となり、それまでの請負制から昭和7年、市の直営方式に改められ現在に至っています。 昭和10年には31箇所あった渡船場が橋梁の架設や道路施設の整備に伴って次第に廃止され、特に昭和20年には戦災のためその多くが廃止されました。 昭和23年15箇所で再開されましたが、その後都市整備が進み自動車の利用増加によって、

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