2021年7月1日、国際図書館連盟(IFLA)の環境・持続可能性と図書館に関する専門部会(ENSULIB)は、歴史的な建物を図書館として再利用することに関する書籍“New Libraries in Old Buildings — Creative Reuse”を、オープンアクセスで出版したことを発表しました。 同書は、ENSULIBとIFLAの図書館建物および設備分科会(Library Buildings and Equipments:LBES)の協力により作成されたものです。古い建物や放棄された建物を図書館として再生する際の困難さと機会に焦点を当て、元々は別の目的を持っていた建物の変革について調査した内容となっており、公共図書館・学術図書館を対象としたケーススタディーを収録しています。 New publication from IFLA ENSULIB and LBE: “New Lib
京都市が京町家の保存の一環で開発した独自の木製雨戸が、建築基準法に基づく防火設備として認められた。木造建築の京町家に合う外観を維持しながら一定の防火性能を持っており、市は今年秋ごろまでの実用化を目指している。 建築基準法は隣の家や道路に近い窓について、炎に一定時間耐えられる性能を求めている。そのため、京町家であっても耐火性のあるアルミサッシや金属製のシャッターが取り付けられることが多い。木造以外の建具が混在して外観が損なわれることから、市は景観と耐火の両立を目指し、府建築工業協同組合や早稲田大などと共同で2018年から火に強い木製雨戸の研究を進めてきた。 開発した木製雨戸は近隣から延焼した際、炎が建物内部に入り込む隙間をなくすことに重点を置いた。熱で膨張する化学素材を組み込むなどの工夫で内側に火が到達するまで約20分間耐えることができ、屋外に逃げる時間を確保しやすくなるという。枠の縦の長さ
レトロモダンな建物でテレビドラマの撮影などにも使われた旧佐伯郵便局舎(京都府亀岡市薭田野町)が、14日から解体される。電話交換や電報業務など、戦前から戦後にかけ地域に欠かせぬ施設だったため所有者は活用も検討したが、傷みがひどく、87年の歴史に幕を閉じることとなった。 局舎は1934年に完成した。2階建て約150平方メートルで、当時としては珍しいコンクリート基礎の上に、鎧(よろい)戸のように板を並べた「下見板(したみいた)(鎧)張り」の壁に縦長の窓を配置する一方、屋根は瓦ぶきとし、「〒」マークを入れた鬼瓦も使用。設計者は不明だが、和洋入り交じった独特な外観を誇っていた。 建物の所有者で、自身も含め代々佐伯郵便局長を務めた大石昌弘さん(75)は「戦後の苦しい時も、24時間態勢で電報の受け付けや配達をし、ここから手紙や小包を届けてきた。小さいけれど地域の中で誇りを持って働いた建物だ」と懐かしむ。
古い建物を今の時代に建てられる建物と同じ耐震性や快適性とすることは難しい。絶対にできないかと言われればできるかもしれないけれど、古い建物を新築同様にするためには新築以上にお金がかかる。 まず耐震性能はないに等しい。耐震という考えが建物に活かされはじめたのは半世紀ほど前で、建物も揺れに弱く、場所によっては地盤も弱い。工事中に建物が倒壊しないように補強を入れて維持しつつ、地盤を補強することになる。 石の上に土台が乗っているところも多く、新しくコンクリートで基礎を作り直したり、土台は湿気の影響で腐り、柱や梁はシロアリに食べられていれば取り替えた上で筋交や合板などで耐震性を確保していく。 小さな地震、近隣の開発などにより地盤は傾斜し建物は傾き、風雨や太陽により劣化した瓦や外壁の隙間からは雨水が進入してしまっていることもあり、劣化した部分は取り替え補修することになる。そして、そこから断熱性などを求め
1974年に図書館としての利用が開始された加古川図書館。加古川町公会堂だった頃は音楽会などが催され、地域の文化拠点だった=加古川市加古川町木村(撮影・笠原次郎) 作家の三島由紀夫が徴兵検査を受けた場所として知られる加古川市立加古川図書館(兵庫県加古川市加古川町木村)が、存廃の岐路に立っている。築85年を過ぎた建物は老朽化して雨漏りがあり、耐震診断もしていない。改修には多額の費用が見込まれ、10月のJR加古川駅前への図書館移転後について、市は「解体も選択肢」とする。兵庫県景観形成重要建造物に指定されており、市民からは保存、活用を求める声も上がっている。(斉藤正志) 兵庫県建築士会の初代会長を務めた建築家、置塩章(おしおあきら)の設計で、1935(昭和10)年に加古川町公会堂として建築された。 鉄筋コンクリート造り2階建て。正面の半円形の窓を幾何学模様のステンドグラスで飾るなど、アールデコ調を
道路沿いに延々と続くかのような町家の重厚感に、「洛中にいる」と感じた。四条通のひと筋南、綾小路通で異彩を放つ杉本家住宅(京都市下京区)だ。国重要文化財に指定されている。 「今の大丸や高島屋の建物も元々は2階建ての町家だった。その気になれば、そうした施設が建てられたような大きな住宅だ」 国際日本文化研究センター所… ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も --
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江戸時代から薬問屋が軒を連ね、現在も日本を代表する製薬会社が本社を置く大阪市中央区の道修町(どしょうまち)に、ひときわ目を引く明治建築「旧小西家住宅」(国重要文化財、同区)がある。合成接着剤のボンドで知られるコニシ(同区)の社屋としても使われてきたが、昨年、企業ミュージアム「旧小西家住宅史料館」に生まれ変わった。空襲や震災をくぐり抜けた建物は銘木を集めた丈夫な造り。無駄を省きながらも、必要な投資を惜しまない大阪商人の暮らしぶりを伝えている。 (北村博子) 50人の大所帯、火鉢も50個 大阪の中心を南北に貫く堺筋沿いの建物に入ると、思わず外の喧騒を忘れさせてくれる、落ち着いた雰囲気に包まれた。 建物は、明治3年に薬種商として創業した「小西屋」(現コニシ)の店舗と小西家の住居を兼ねて36年に完成した。敷地面積は約1060平方メートルにも及ぶ。 改修で、かつて店舗として使用していた建物の前方は展
血縁のない近所の高齢者から、歴史的価値のある邸宅と広大な敷地を譲り受けることになったらどうしますか。売却すれば莫大(ばくだい)な資産を手にできる−。こんな皮算用をしたくもなる。ところが、国分寺市の主婦、久保愛美(なるみ)さん(53)は私財を投じて邸宅をカフェに改修し、保存することにした。邸宅の名は「沖本(おきもと)邸」。「地域のシンボルになってほしい」という久保さんの望みに応え、市は国の有形文化財に申請する。 JR国立駅から東へ徒歩約十分。竹垣に囲まれた竹林の奥に、洋館と和館の二棟が姿を現す。洋館は一九三二年に貿易商の土井内蔵(くら)の別荘として建てられた木造二階建て。土井のおいで国登録有形文化財の「旧松本邸」(兵庫県宝塚市)などを手掛けた川崎忍が設計した。三七年に海軍少将の沖本至に渡り、四〇年に洋館の隣に木造平屋建ての和館が建てられた。 沖本の死後、次女京子さんと三女智子さんの二人が住み
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