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あとで読むと青空文庫に関するtakahiro_kiharaのブックマーク (7)

  • 九鬼周造 「いき」の構造

    [#横組みで、ページの上部、左右中央に] La pense doit remplir toute l'existence. MAINE DE BIRAN, Journal intime. [#改ページ、ページの左右中央に] 序 この書は雑誌『思想』第九十二号および第九十三号(昭和五年一月号および二月号)所載の論文に修補を加えたものである。 生きた哲学は現実を理解し得るものでなくてはならぬ。我々は「いき」という現象のあることを知っている。しからばこの現象はいかなる構造をもっているか。「いき」とは畢竟(ひっきょう)わが民族に独自な「生き」かたの一つではあるまいか。現実をありのままに把握することが、また、味得さるべき体験を論理的に言表することが、この書の追う課題である。 昭和五年十月 [#改ページ、ページの左右中央に] 目  次 一 序  説 二 「いき」の内包的構造 三 「いき」の外延的構造

  • 芥川竜之介 歯車

    一 レエン・コオト 僕は或知り人の結婚披露式につらなる為(ため)に鞄(かばん)を一つ下げたまま、東海道の或停車場へその奥の避暑地から自動車を飛ばした。自動車の走る道の両がわは大抵松ばかり茂っていた。上り列車に間に合うかどうかは可也(かなり)怪しいのに違いなかった。自動車には丁度僕の外に或理髪店の主人も乗り合せていた。彼は棗(なつめ)のようにまるまると肥った、短い顋髯(あごひげ)の持ち主だった。僕は時間を気にしながら、時々彼と話をした。 「妙なこともありますね。××さんの屋敷には昼間でも幽霊が出るって云うんですが」 「昼間でもね」 僕は冬の西日の当った向うの松山を眺めながら、善い加減に調子を合せていた。 「尤(もっと)も天気の善い日には出ないそうです。一番多いのは雨のふる日だって云うんですが」 「雨の降る日に濡れに来るんじゃないか?」 「御常談で。……しかしレエン・コオトを着た幽霊だって云う

  • 森鴎外 山椒大夫

    越後(えちご)の春日(かすが)を経て今津へ出る道を、珍らしい旅人の一群れが歩いている。母は三十歳を踰(こ)えたばかりの女で、二人の子供を連れている。姉は十四、弟は十二である。それに四十ぐらいの女中が一人ついて、くたびれた同胞(はらから)二人を、「もうじきにお宿にお着きなさいます」と言って励まして歩かせようとする。二人の中で、姉娘は足を引きずるようにして歩いているが、それでも気が勝っていて、疲れたのを母や弟に知らせまいとして、折り折り思い出したように弾力のある歩きつきをして見せる。近い道を物詣(ものまい)りにでも歩くのなら、ふさわしくも見えそうな一群れであるが、笠(かさ)やら杖(つえ)やらかいがいしい出立(いでた)ちをしているのが、誰の目にも珍らしく、また気の毒に感ぜられるのである。 道は百姓家の断(た)えたり続いたりする間を通っている。砂や小石は多いが、秋日和(あきびより)によく乾いて、し

  • 萩原朔太郎 日清戦争異聞 (原田重吉の夢)

    日清(にっしん)戦争が始まった。「支那も昔は聖賢の教ありつる国」で、孔孟(こうもう)の生れた中華であったが、今は暴逆無道の野蛮国であるから、よろしく膺懲(ようちょう)すべしという歌が流行(はや)った。月琴(げっきん)の師匠の家へ石が投げられた、明笛(みんてき)を吹く青年等は非国民として擲(なぐ)られた。改良剣舞の娘たちは、赤き襷(たすき)に鉢巻(はちまき)をして、「品川乗出す吾艦(あずまかん)」と唄(うた)った。そして「恨み重なるチャンチャン坊主(ぼうず)」が、至る所の絵草紙(えぞうし)店に漫画化されて描かれていた。そのチャンチャン坊主の支那兵たちは、木綿(もめん)の綿入(わたいれ)の満洲服に、支那風の木(きぐつ)を履(は)き、赤い珊瑚(さんご)玉のついた帽子を被(かぶ)り、辮髪(べんぱつ)の豚尾を背中に長くたらしていた。その辮髪は、支那人の背中の影で、いつも嘆息(ためいき)深く、閑雅

  • 宮沢賢治 山男の四月

    山男は、金いろの眼(め)を皿(さら)のようにし、せなかをかがめて、にしね山のひのき林のなかを、兎(うさぎ)をねらってあるいていました。 ところが、兎はとれないで、山鳥がとれたのです。 それは山鳥が、びっくりして飛びあがるとこへ、山男が両手をちぢめて、鉄砲(てっぽう)だまのようにからだを投げつけたものですから、山鳥ははんぶん潰(つぶ)れてしまいました。 山男は顔をまっ赤にし、大きな口をにやにやまげてよろこんで、そのぐったり首を垂れた山鳥を、ぶらぶら振(ふ)りまわしながら森から出てきました。 そして日あたりのいい南向きのかれ芝(しば)の上に、いきなり獲物(えもの)を投げだして、ばさばさの赤い髪毛(かみけ)を指でかきまわしながら、肩(かた)を円くしてごろりと寝(ね)ころびました。 どこかで小鳥もチッチッと啼(な)き、かれ草のところどころにやさしく咲いたむらさきいろのかたくりの花もゆれました。 山

  • 中谷宇吉郎 比較科学論

    科学が今日のように発達して来ると、専門の分野が、非常に多岐に分れて、研究の方法も、千差万別の観を呈している。事実、使われている機械や、研究遂行のやり方を見ると、正(まさ)に千差万別である。しかしそれらの研究方法を概観すると、二つの型に分類することができる。 その一つは、今日精密科学といわれている科学のほとんど全分野にわたって、用いられている研究の型である。問題を詳細に検討して、それを分類整理し、文献をよく調べて、未知の課題を見つける。このいわゆる研究題目が決まると、それについて、まず理論的な考察をして、どういう実験をしたら、目的とする項目についての知識が得られるかを検討する。そして実験を、そのとおりにやって、結果を論文として報告する。 こういう種類の研究で、一番大切なことは、よい研究題目を見つけることである。それが見つかれば、あといろいろと工夫をして、その問題を解いて行けばよい。比較的簡単

  • 菊池寛 恩讐の彼方に

    一 市(いち)九郎(ろう)は、主人の切り込んで来る太刀を受け損じて、左の頬から顎へかけて、微傷ではあるが、一太刀受けた。自分の罪を――たとえ向うから挑まれたとはいえ、主人の寵妾と非道な恋をしたという、自分の致命的な罪を、意識している市九郎は、主人の振り上げた太刀を、必至な刑罰として、たとえその切先を避くるに努むるまでも、それに反抗する心持は、少しも持ってはいなかった。彼は、ただこうした自分の迷いから、命を捨てることが、いかにも惜しまれたので、できるだけは逃れてみたいと思っていた。それで、主人から不義をいい立てられて切りつけられた時、あり合せた燭台を、早速の獲物として主人の鋭い太刀先を避けていた。が、五十に近いとはいえ、まだ筋骨のたくましい主人が畳みかけて切り込む太刀を、攻撃に出られない悲しさには、いつとなく受け損じて、最初の一太刀を、左の頬に受けたのである。が、一旦血を見ると、市九郎の心は

    takahiro_kihara
    takahiro_kihara 2011/01/28
    とりあえず、一節だけ読んだ。
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