「時論公論」のこれまでのエピソード一覧です
父親は統一教会トップ、義祖父は文鮮明 統一教会(現・世界平和統一家庭連合)との関係で、自民党は窮地に立たされている。山際大志郎経済再生担当相は、旧統一教会との深すぎる関係への疑惑と、それに対するブレブレの説明が原因で、10月24日、ついに辞任した。 「表向きは辞任だが、実質的には解任だよ。山際は数年前のことを『資料がない、わからない。覚えていない』と繰り返したが、そんな記憶力では大臣は務まらない」(自民党閣僚経験者) だが、自民党と統一教会の「ズブズブ」の関係は、そんなレベルでは済まされない。「現代ビジネス」は、今回の問題の発端となった故・安倍晋三首相と統一教会の密接な関係を示す、決定的な証拠を入手した。 2014年3月3日、非公開のFacebook上で【がんばれ安倍さん! at 自民党会館 第二次安倍政権発足1年前】という文言とともに、下の写真を投稿したのは、大塚洪孝なる人物。この大塚氏
anond:20220718185726 ↑に色々お返事的な物書いておいたよ。はてな記法よくわからないので読みにくかったらごめんなさい🙇 一連の事件で、創価あたりと一緒に佼成会の名前もでてきてるのでさすがに一緒にされるのは厳しいなーと思ったので軽く。 俺本人は無神論者だが、祖母が一世母が二世。子供の頃や親と一緒に住んでた時は行事にたまに顔を出したくらい。 会員綱領の「立正佼成会会員は本物釈尊に帰依し、在家仏教の精神にのっとり云々」とかはうろ覚えかな。 基本熱心ではない会員として時々参加してただけなので、その範囲で。 大正生まれの祖母はまさに佼成会が拡大した昭和20年代からの信者で支部長とかもしてたらしい。会員ではない祖父の葬儀には100人以上の会員の人がきて、3間ふすま取り払ったぶち抜きにも収まらなかったくらいだったかな。 で、金と政治に関して。 まず会費は月100円。あと親は教会に行く
お寺での参拝時は、神社と同じように二礼二拍手一礼をすればよいのでしょうか。お寺の正しい参拝順序や作法の意味を知ると、より清々しい気持ちでご本尊と対面できます。参拝のよいタイミングや服装のマナーも確認しておきましょう。 お寺参拝の基礎知識 お寺はブッダを開祖とした『仏教の教え』に基づいて建てられたもので、『神社』とは違います。「どんな目的で参拝するのか?」を考えてみましょう。 神社との違いと参拝の意味 日本人にとってはお寺も神社もなじみ深いものですが、そのルーツは全くの別物です。 神社は『神道』に基づいた建築物で『八百万の神様が住む場所』と考えられています。神社参拝の目的はご祭神である神様に感謝と畏敬の念を示し『現世でのさらなる幸せ』を願うことです。 一方、お寺は『仏教』の宗教建築で、もとは出家した修行僧が寝泊まりする場所でした。現在は大日如来や薬師如来などさまざまな仏様が安置されており、『
〈問い〉マルクスが言った「宗教はアヘン」とは、どんな意味で、なぜ今も話題になるのですか? 〈答え〉マルクスは、25歳の時の論文「ヘーゲル法哲学批判・序説」のなかで、「宗教上の不幸は、一つには現実の不幸の表現であり、一つには現実の不幸にたいする抗議である。宗教は、なやめるもののため息であり、心なき世界の心情であるとともに精神なき状態の精神である。それは民衆のアヘンである」と書いたことがあります。 この文脈からも明らかなように、アヘンを単純に毒薬という意味で使っているのではありません。アヘンは乱用すれば有害ですが、アヘンの成分から作られるモルヒネは、鎮痛剤として使われています。 アヘンという言葉には、宗教に対するマルクスの批判もこめられています。宗教は民衆にあきらめとなぐさめを説き、現実の不幸を改革するために立ち上がるのを妨げている、という意味です。ここには、当時のヨーロッパで宗教が果たしてい
安倍晋三が祖父から3代にわたって統一教会との関係が深いことは事実 安倍晋三が別に統一教会の信者ではないことも事実 統一教会が過去現在にわたって霊感商法などで信者を搾取しているのも事実 統一教会が安倍政権下で公安の監視対象から外され(第一次安倍政権時)、名称の変更を許され世間の警戒を逃れられるようになった(第二次安倍政権時)のも事実 山上の母親が統一教会に所属しているのも事実 山上の家庭が統一教会によって崩壊したのも事実 山上が統一教会を恨んでいたのも事実 山上が統一教会との関係をもって安倍に対して憎しみを抱いたのも事実 ここに事実無根なことなど何もない 陰謀論陰謀論言ってなんでも適当に馬鹿にしてるから単純な事実関係も把握できないんだろうが 統一教会のような詐欺団体は批判されて当然なんだよ、それを「ヘイトクライム」とは言わない 山上の凶行はテロでもヘイトでもなく個人的な怨恨で、安倍を標的にし
漫画家・いしいさやさんの著作『よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話』が話題だ。エホバの証人の母のもとで育った彼女の、壮絶な体験談が反響を呼んでいる。前回記事では、エホバの証人の全容を紹介した。今回は、信者時代の生活を中心に話を聞いた――。 (前編はこちらから http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54011) 取材・文/伊藤達也 同級生の家に勧誘しに行く 「信者の人が宗教勧誘で自宅に訪問に来る」って、みなさんも覚えがあるかと思うんです。でも、私は「来る」んじゃなくて、「行く」側の人間でした。 それも、自分で「宗教を広めたい」と思っているわけじゃなくて、母親に連れられていくだけでしたから、本当に憂鬱でした。イヤでイヤで仕方がなかった。子どもでしたから、本当は休みの日は絵を描いたり、友達と遊んだりしたかったです。 訪問して話を聞いてくれる人なんて、優しいお
母にムチで叩かれる 兄弟姉妹(エホバの証人では信者をこう呼ぶ)でエホバの教えを学ぶ集会も、訪問も、正直に言えば行きたくなかった。でも、うっかり教えに反することを口にしてしまうと、母から「おしおき」をされてしまうんです。 この「おしおき」がかなりキツい。ムチで叩かれるんです。 いまは表向きにはしないように、とはなっているようですけれど、私の子供の頃は当たり前におしおきがありました。エホバの証人は聖書原理主義。つまり、聖書の言葉を隠喩とは捉えず、そのままの意味で解釈します。聖書に「しつけにはムチで叩く」と書いてあるから、本当にムチ、正確にはムチ状のもので叩くんですよね。 人によってはベルトだったり、電源コードだったり。うちの母はベルトを2本用意して「細いムチ」と「太いムチ」のどちらにするか選ばせました。細いムチって、痛いんですよ。おしりをムチで叩かれると、完全にやる気を削がれます。服の上からで
生きる意味とは何か いまの自分に満足できない 人生の価値が分からない 自分は何者かになれるのか、あるいは、何者にもなれないのか これらを考えている人に、「猫を見ろ」とそそのかす。人は猫にはなれないし、猫のように生きることもできない。 なぜこんな悩みを抱えているのかまで掘り下げると、超リアリスティックな解に行き着く。いかに良く生きるかは、猫に学べと。人は、猫のように生きることはできない。だが、猫が生きるように生きることはできるという。 人生に意味を求める理由 そもそも人は、なぜ生きる意味を求めるのか? 自分自身の生活を超えたところに「価値」だの「生きがい」を探すことをやめられないのはなぜか? この疑問に、古今東西の哲学者や文学者を召喚する。プラトン、ピュロン、エピクロス、マルクス・アウレリウス、パスカル、スピノザ、モンテーニュ、ウィトゲンシュタイン、コレット、谷崎潤一郎、ゲイツキル……引き出
いまも若手起業家などから“憧れの存在”として見られることも多いという堀江貴文氏だが、当の本人はそうした人たちに対して意図的に距離を置いている。堀江氏は「別に目指すのは構わないが、イメージだけを追いかけているのは困りものだ」と語る。いったいその真意はどこにあるのか。 堀江氏が最新刊『属さない勇気』で解説している、働き方や生き方の未来についての新たな提言を短期集中連載。第2回は、表層的なライブ体験ではなく、本質を学ぶことの重要性について解説する。 * * * 私は長年、フリーエージェント(組織に雇われない働き方をする人)風の人たちに、教祖のように崇め立てられている。 高級スーツを着た若手起業家を名乗る若者が、「堀江さんの本を全部読んでます!」とか、「堀江さんを目標にしてます!」と、しょっちゅう寄ってくる。もし私の本をきちんと読んでくれているのなら、もっと他のビジネスに目が向くのではないかと思う
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く