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ブックマーク / story.engaru.jp (2)

  • えんがるストーリー | 金八峠

    開山当時、この峠は体を隠すほどの大きな熊笹が生い茂る道なき道でした。また、そんな道をさらに熊よけの笛を吹きながら、ふところにピストルを入れ持ち歩くという状態が続いていました。 大正末年、名寄線の開通とともに流れは紋別経由となっていましたが、旭川・野付牛間の石北線施設工事が進行し鴻之舞からこの鉄道線に通じる交通路が整備されることとなった昭和2年、鴻之舞鉱山からの路線選定をめぐり、遠軽と丸瀬布がしのぎを削り合いました。道庁からは調査官が数度にわたって現地へ派遣され、丸瀬布に通じる路線を選ぶべきか、それとも遠軽に出る道を選ぶべきかと検討されました。 道路ができればその地域の産業・開発が促進され、将来の町の発展にも大きく関わるということで、丸瀬布側では期成会を設け、道路誘致の猛運動を展開しました。 ここで登場するのが、丸瀬布の東町(後に遠軽町)にあった料亭「美濃家」の“金八”という芸者です。日頃

  • えんがるストーリー | ミステリアスな話「6000万円の埋蔵砂金」

    丸瀬布地区には今も「砂金沢」の名称が残っているように、その昔、この地区は面白いほど砂金が採取できた土地で、これは今から77年ほど前、当にあった話です。 1917年(大正6年)の夏、60歳前後の老鉱山師が、砂金を求め渚滑方面から丸瀬布川上流にやって来ました。 「こりゃすげえ。どんどん採れるぞ!」 老鉱山師は大量の砂金に大興奮。持参した4号瓶3に砂金を詰めたほか、入らない分は身に付けていた胴巻きにもいっぱい入れて、山をくだることになりました。 ところが…。 「ん?いててて…。なんだ?急に腹具合が…」 胴巻きに詰めた砂金で体を冷やしたためか、腹が痛み出してしまったのです。木陰に座り込んでしばらく休憩したものの、治る気配はまったくなく。こんな腹痛の身で、50㎏に近い砂金入りの瓶を持ち歩くのは、到底困難に思われました。 「まいったな、置いていくこともできんし…、そうだ!」 老鉱山師は、休憩場所の

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