今年で25周年を迎えるゲーム『MYST(ミスト)』。セガサターン版やプレイステーション版をクリアできなかった人も多いのでは? 販売したサンソフトに制作秘話や裏事情などを聞きに行きました! iPhoneアプリ版もあるので、プレイしながら読んでほしい! こんにちは、ジモコロライターのもりれいです。 みなさんは『MYST』という、伝説のゲームソフトを知っていますか? 不思議な島に迷い込んだプレイヤーが、様々な謎を解き明かしていくアドベンチャーゲームです。 20年以上前、その不思議な魅力に取り憑かれた私は、プレイステーション版を何周もクリアしました。 『MYST』(ミスト)とは… 1993年、アメリカのゲームメーカー・Cyan(サイアン)が制作。サンソフトが全世界の家庭用の権利を取得し、セガサターンやプレイステーションなどでも販売された。 このゲーム、とにかくハチャメチャに難解。 なんせ一切説明が
河村奨さんの「30代から始めるYouTube入門」がとてもためになるのだが、その中でも YouTube のジャーナリズムとして見逃せないと紹介されている Vox チャンネルの Earworm シリーズで取り上げられている「オーケストラ・ヒット」の歴史の話が面白い。 The sound that connects Stravinsky to Bruno Mars - YouTube そもそもワタシは「オーケストラル・ヒット」として記憶していたのだが、原語では Orchestra hit が正しいらしい。 要は、オーケストラが一斉に「ジャンッ!」とやる感じの音を指すのだが、アフリカ・バンバータが1982年に「プラネット・ロック」で採用し、以降80年代にやたらと流行した手法である。 Vox の動画でも出てくるが、再結成イエスの「ロンリー・ハート」が、個人的には当時もっともインパクトがあったな。
スコッチテープはなんでスコッチ? その由来2014.12.07 18:0012,171 satomi 名前はスコッチテープだけど、発明したのはスコッチ(スコットランド人)ではありません。米ミネソタの大学を中退して小さなサンドペーパーの会社に就職したリチャード・ドルーという青年です。 会社は1902年創業の「Minnesota Mining and Manufacturing」、略して3M(スリーエム)。「スコッチ」という名称の由来は、発明秘話と同じぐらい面白いんですよ。 バンジョー弾きの苦学生 リチャード・ガーリー・ドルー(Richard Gurley Drew)は1899年、ミネソタ州セントポール生まれ。バンジョーを弾いて稼いだお金でミネソタ大学機械工学科に1年学んで中退し、その後も演奏しながら通信教育で機械設計の勉強を続けていました。 3Mの研究所が技師者を募集してると知ったドルーは、
先日、実家に帰った際に亡くなった祖父の残した戦争時の手記を父が書き起こしたものを見せてもらいました。父がその手記をまとめた時に私はまだ小学生で、全く興味を持たなかったんですが、今見てみるととても面白く、手記の主人公である「俺(祖父)」(昭和十六年当時二十八歳)に感情移入して一気に読み終えてしまいました。 内容は祖父が戦争で大活躍をするわけでもなければ映画で描かれるような戦場に居合わせるわけでもありませんが、(だからこそ孫である私が存在しているわけですが)現地の意外といい加減な雰囲気や食べ物の美味さや匂い、仲間との失敗談などがとても身近に感じられ、それと同時に戦争時の過酷な状況にも驚きました。 祖父は筆まめな人で戦争から戻ってからこれを書いたそうですが、元々他人に見せるものではなかったのか、今読んでも軽い文体で読み易く、このまま消えてしまうのは勿体無いので、たいした量ではないんですが、少しず
最近のタレントが経営するお店といったら「焼肉・小倉優子」など飲食店が多いですが、1980年代~90年代にかけて、そのタレントさんのオリジナルグッズがとにかく大量に売られているタレントショップというのが大流行した時代がありました。 そんなタレントショップが特に集中していたのが、原宿の竹下通り! ボクが中高生の頃は「竹下通り=タレントショップ」というイメージがありましたけど、あれだけ大量にあった原宿のタレントショップ、今はどうなってるんでしょうか? 1975年群馬生まれ。ライター&イラストレーター。 犯罪者からアイドルちゃんまで興味の幅は広範囲。仕事のジャンルも幅が広過ぎて、他人に何の仕事をしている人なのか説明するのが非常に苦痛です。変なスポット、変なおっちゃんなど、どーしてこんなことに……というようなものに関する記事をよく書きます。(動画インタビュー) 前の記事:色んなものを炭酸にしてみよう
大きな箱を乗せた自転車に乗り、街角に現れる紙芝居屋といえば、昭和の懐かしい風景のひとつ。とはいえ紙芝居屋の最盛期は昭和初期から30年頃まで。同じ昭和でも40年代以降に生まれた人にとってはなじみが薄いものです。ましてや平成生まれとなると存在自体知らなくても不思議ではありません。 しかし紙芝居屋に触れたことがない世代であっても、間接的に紙芝居の影響を受けている可能性は高いでしょう。紙芝居屋は日本の漫画やアニメ、さらに演劇にも、少なからぬ影響を与えていたからです。 後に漫画界の大御所となる水木しげるや白土三平は、若き日に紙芝居の制作に携わっていました。劇作家の寺山修司や唐十郎は、幼い頃に触れた紙芝居屋に楽しさだけでなく、どこか怪しさや人生の悲哀を感じていことを書き記しています。 街角のエンターテイナーであり、時に世間の裏側をのぞかせてくれた紙芝居屋のおじさんたち。彼らはいったい何者だったのか。そ
by CARL SPENCER 入り口から降ってくる大勢のレミングたちにさまざまな指令を与えてゴールへと導くアクションパズルゲーム「レミングス」でゲームデザインを担当したマイク・デイリー氏が、「The Complete History of Lemmings」と題して当時の思い出を公開しています。 The Lemmings Story - Part1 http://www.javalemmings.com/DMA/Lem_1.htm レミングスはDMA Designというゲーム会社によって開発され、1991年にAmiga用ゲームソフトとしてPsygnosisから発売されました。「レミングス」は売上げ本数2000万本以上の大ヒットを記録し、さまざまなゲーム機やPCなど、多くのプラットフォームにも移植されています。 DMA Designは「レミングス」を開発する前は、AmigaやAtari S
古き良き青林堂をしのぶ。追憶・長井勝一 生前最後のインタビュー 「漫画雑誌『ガロ』会長・長井勝一(現代の肖像)」 『ガロ』編集長・長井勝一「貧しかったけど、心は貧しくなかったよな」 「白土三平さんと会うまで金もうけりゃいいってね、漫画本出してた」 「世の中から差別をなくすことを、底の底に持った雑誌を出版していこう」 南伸坊「渡辺和博がよくいうんですよ、学校みたいだったよな」 漫画雑誌『ガロ』が30年間続いた秘密は 付記「青林堂に関連する一連の報道について」(山中潤) 『ガロ』編集長・長井勝一「貧しかったけど、心は貧しくなかったよな」 漫画家・白土三平に口説かれた。「漫画雑誌をやろう」。忍者漫画を通して人間の本質を描く白土の真摯さに、本気になった。 水木しげる、つげ義春───。思想をもった作品を生んだ『ガロ』は、創刊者長井の度量が人をひきつけ、作家の個性を伸ばした「学校」でもあった。 土曜日
【シリーズ=教養の饗応】(5/16配信第60号) 今は、二十四節気の「立夏(=りっか)(5/6-5/20)」 七十二候の「竹笋生(ちくかん しょうず)(5/16-5/20)」です。 昨日5月15日は、「仏滅(ぶつめつ)」です。 本日5月16日は、「大安(たいあん)」です。 明日5月17日は、「赤口(しゃっこう)」です。 また、陰暦五月の異名は「皐月(さつき)」です。 英語では「May」 フランス語では「mai= (メ)」です。 中国語では『五月』と書いて『ウーユエ』と発音します。 韓国語では『오월』と書いて『オウォル』と発音します。 5月の呼称としては、「早苗月(さなえづき)」 「菖蒲月(あや…
なんかいつもと雰囲気の違うタイトルですが..... 先日コミティアにて笹生那実さんの研究本、はみだしっ子の謎を読みちょっと刺激を受けたので、今回は私なりの大矢ちき研究(以下おおやではなく大矢に統一)をこのブログにてしてみたいと思ったのでした。 しかし私が大矢先生のことを書くのは一体これで何回目になるのやら..... なぜそこまでこだわるのかというと、単純に先生の描かれる漫画が大好きだったからですが、今回は作品についてではなく、 如何にして大矢先生は当時りぼんにて超売れっ子作家だったにもかかわらず、たった4年で筆を折ってしまったのか? これについて当時疑問に感じていたファンは私を含めてかなり多かったのではないかと思います。 回転木馬の連載以降突然先生の名前がりぼんから消えてしまい、大矢先生の次回作はいつですか?と編集部に電話したファンも多かったとか.... 閑話休題 90年にサンリオから出た
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く