news.com.au @newscomauHQ Working at Uniqlo "gave us PTSD": Australian employees speak out about the “weird, awful, abusive” culture at the Japanese fast-fashion giant. news.com.au/finance/busine… 2019-03-03 08:50:38
シドニーのハーバーブリッジ 「Free!」第11話エンドカード、「Free!-Eternal Summer-」第12、13話の舞台探訪でオーストラリアのシドニーへ行ってきた。進路が定まらない遙は、凛に強制的にオーストラリアへ連れ出され、シドニーに留学した凛の挑戦や挫折を知ることになる。シドニーを訪問して京都アニメーションらしい描写に気がついたので紹介。 国際線ターミナルから外に出た遙と凛。 斜めに撮りすぎた。 シドニー国際空港に到着した遙と凛はバスでシドニーの中心部へ移動する。「Free!-Eternal Summer-」12話を見た直後は「なぜ遙たちは鉄道があるのにわざわざバスに乗ったのか」が気になって仕方がなかった。 中央駅のセントラル。 視聴した時点ではまだシドニーに行ったことがなかったので詳しく調べてみたら、空港からセントラルまでは空港鉄道のエアポートリンクでわずか10分ほど。更に
オーストラリアで1850年代から始まった中国人移民排斥運動は、白豪主義として知られる白人至上主義的潮流を生み出し、1901年のオーストラリア連邦成立以降1970年代まで国家として非白人を排除する人種主義政策を続けることになった。 十九世紀半ばのオーストラリアで起きた中国人移民排斥の原因を、白人社会と中国人との文化的差異に求める見方は適切ではない。まずは当時のオーストラリアの社会構造がはらんでいた矛盾と急激に表面化した経済的要因があり、彼らが直面した問題を説明しうる理由として「中国人の脅威」を見出すようになったのである。 オーストラリアの植民地化オーストラリアの歴史は古くて新しい。先住民アボリジナル(アボリジニ)の祖先はおそらく四万年前にはオーストラリア南部に到達していたと考えられ、以後、西暦1700年代まで外部の侵入もなく独自のアボリジナル社会を形成していた。 1770年ジェイムズ・クック
第1次世界大戦中の連合軍とオスマン帝国軍との激戦「ガリポリの戦い」から100年を記念して、現トルコ領ガリポリの海辺で行われたオーストラリア・ニュージーランド連合軍「アンザック集団(ANZAC)」兵士の追悼式典(2015年4月25日撮影)。(c)AFP/DIMITAR DILKOFF 【4月25日 AFP】第1次世界大戦における連合軍とオスマン帝国軍との戦いで、連合軍が現トルコ西部の半島に初めて上陸した「ガリポリの戦い(Battle of Gallipoli)」から100年を迎えた25日、連合軍側に従軍して命を落としたオーストラリア・ニュージーランド連合軍、「アンザック軍団(ANZAC)」の兵士の追悼式典が、トルコの現地ガリポリ半島で営まれた。 現在はアンザック湾(Anzac Cove)と呼ばれる上陸地点で夜明けとともに始まった恒例の追悼礼拝には、オーストラリアのトニー・アボット(Tony
終わると思っていたものが終わるとき、まあ、予想の範囲だよね、ふーんというだけでなく、微妙な切なさを感じるというのは、失恋とかもそうだけど、いやあ、そういう話じゃないぞ。核拡散防止条約(NPT)の終わりを見て、ああ、終わったなあ、これでいいんか、世界、非核平和日本。と思ったのである。 どういうことかというと、核拡散防止条約(NPT)非加盟のインドに対してオーストラリアがウラン輸出を承認してしまったということ。 これ、やっちゃいけないことなんですよね。ただ、厳密に違反とまで言えるのか、違反とまでは言えないからやっちゃったのか、そのあたりはどうなんだろうかと少し思った。全体的に言うなら、米国が率先してNPTのルールを破ったあたりから、こうなることは予想は付いていた。 報道でちょっと確認しておこう。NHK「NPT非加盟のインドに豪がウラン輸出へ」(参照)より。 NPT=核拡散防止条約に加盟していな
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