タグ

ローマに関するkousyouのブックマーク (35)

  • 「第九軍団のワシ」ローズマリー・サトクリフ著

    「第九軍団のワシ(“The Eagle of the Ninth”)」(1954)は英国を代表する児童文学作家・歴史小説家ローズマリー・サトクリフ(1920~1992)がローマ帝国時代のブリテン島の歴史を題材にして描いた、サトクリフ初期の代表作である。続く「銀の枝(”The Silver Branch”)」(1957)、「ともしびをかかげて(”The Lantern Bearers”)」(1959)、「辺境のオオカミ(”Frontier Wolf”)」(1980)はいずれも作の主人公マーカス・フラビウス・アクイラの末裔たちを主人公にして描いており、あわせて「ローマ・ブリテン四部作」と呼ばれている。 サトクリフは作を執筆する上で二つの歴史をもとにしたという。第一に、ブリテン島に配置されたローマ帝国の第九軍団ヒスパナの消滅である。第九軍団はカエサルによって創設され、ブリテン島が支配下に入っ

    「第九軍団のワシ」ローズマリー・サトクリフ著
  • nix in desertis:世界史上の諸君主の出題頻度グレーディング:古代ローマ皇帝編

    ブログの歴史系記事の目的は,専門家・市井の歴史ファン・高校世界史(受験世界史)の距離の接近にある。もちろん私は専門家の歴史家ではないので専門知識の普及については他の方にお任せしているが,高校世界史は専門家や歴史ファンにとってもそうかけ離れたものではないということについては,ある程度貢献できているのではないかと思う。 そういう活動をしていて,Twitter等でたまに聞かれる・驚かれることナンバー1が,これだ。 「◯◯朝の◯◯って高校世界史だと教えないの!?」 そう,皆,歴史ファンや専門家にとっては高名な人物や事項が高校世界史だと途端にマイナーになるという現象に驚きを隠せないのだ。特に君主。そこで,私の独断ながら,その乖離を整理し,理由を可能な範囲で付していけば面白いのではないか,と前々から思っていた。思いついてからなかなか腰が上がらなかったのだが,試しに一番需要がありそうなローマ皇帝でやっ

    kousyou
    kousyou 2018/04/21
    そんなに違和感はなかった。ビザンツ皇帝はドゥーカス朝以降Eの嵐なのでは・・・カペー朝・ヴァロワ朝王様の出現頻度気になります。まぁ想像はつきますが(笑)
  • カエサル英侵攻の初の証拠か、英大学チームが発見

    英ケント州サネット島南部沿岸のエブスフリートで見つかった防御用の場所の入り口(2017年11月28日公開)。(c)AFP/UNIVERSITY OF LEICESTER/Andrew FITZPATRICK 【11月29日 AFP】古代ローマの将軍・政治家ユリウス・カエサル(Julius Caesar)が現在の英国を侵攻した初めての証拠とみられるものを考古学者らが発見したと、英レスター大学(University of Leicester)が28日、発表した。 研究チームは、カエサルの艦隊が英ロンドンの南東約110キロに位置するケント(Kent)州サネット島(Isle of Thanet)のペグウェル湾(Pegwell Bay)から上陸したことを示唆する新しい証拠を発掘した。 レスター大によるとペグウェル湾の位置と風景は、紀元前54年に行った上陸についてのカエサル自身による説明と一致するとい

    カエサル英侵攻の初の証拠か、英大学チームが発見
  • 「嘆きの壁」で初の古代ローマの建造物発掘、円形劇場か エルサレム

    【10月17日 AFP】イスラエルの考古学当局は16日、エルサレム(Jerusalem)旧市街(Old City)のユダヤ教の聖地「嘆きの壁(Western Wall、西の壁)」で、同地で初めて発掘された古代ローマ帝国時代の公共建造物を公開した。 2年間にわたる発掘作業を指揮したイスラエル考古学庁(IAA)の考古学者によると、発掘されたのは円形の劇場のような建造物。放射性炭素年代測定などから2世紀から3世紀ごろに造られたもので、未完成とみられるという。 IAAによれば、 史料にはこのような建造物の存在が示唆されていたが、過去およそ150年間同地で行われてきた近代の考古学的調査で、そのような建造物は発見されていなかった。 約2000年の歴史を持つ嘆きの壁の新たに発掘された部分は、幅約15メートル、高さ約8メートルで、用いられた石の保存状態は非常に良いという。IAAによれば、約1700年の間、

    「嘆きの壁」で初の古代ローマの建造物発掘、円形劇場か エルサレム
  • なぜ沖縄でローマ帝国のコインが見つかったのか 識者3人の視点 | 沖縄タイムス+プラス

    沖縄県うるま市教育委員会(栄門忠光教育長)が26日、世界遺産の勝連城跡の発掘調査で、ローマ帝国とオスマン帝国の金属製の貨幣(コイン)計5点が出土したと発表した。4点は3~4世紀のローマ帝国、1点は17世紀のオスマン帝国で製造された貨幣であることが判明。背景について3人の識者が解説した。

    なぜ沖縄でローマ帝国のコインが見つかったのか 識者3人の視点 | 沖縄タイムス+プラス
  • 沖縄の遺跡から古代ローマの硬貨 - 日本経済新聞

    沖縄県うるま市の勝連城跡(国史跡、12~15世紀)で、3~4世紀の古代ローマ帝国のコインとみられる銅貨4点が見つかり、市教育委員会が26日発表した。市教委によると、遺跡からの出土は国内初。勝連城が海外交易によって栄えた14~15世紀の地層から発掘されており、東アジアを経由して持ち込まれた可能性がある。市教委は「西洋との接点もうかがえ、当時の流通や交流の実態を考える上で貴重な史料」としている。

    沖縄の遺跡から古代ローマの硬貨 - 日本経済新聞
  • 古代ローマ帝国の銅貨か 沖縄「勝連城跡」で発見 | NHKニュース

    14世紀から15世紀にかけて当時の中国やタイなどとの交易で栄えたとされる有力者の拠点で世界遺産になっている沖縄県の「勝連城跡」で、3世紀から4世紀ごろの古代ローマ帝国のものとみられる銅貨が見つかりました。専門家は当時の琉球と外国との交流を知るうえで貴重な資料だとしています。 このうち、古代ローマ帝国のものとみられる銅貨は大きさが直径1.6センチから2センチで、表面に人物の姿やローマの文字がほどこされています。調査した教育委員会や専門家によりますと、古代ローマ帝国やオスマン帝国のものとみられる銅貨が見つかったのは国内の遺跡では初めてではないかということです。 「勝連城跡」は14世紀から15世紀にかけて当時の中国やタイなどとの交易で栄えたとされる有力者の拠点があった場所で、世界遺産に登録されています。 銅貨の年代測定などに携わった沖縄国際大学講師の宮城弘樹さんは「江戸時代の琉球が中国と交流して

    古代ローマ帝国の銅貨か 沖縄「勝連城跡」で発見 | NHKニュース
  • ローマ帝国の金貨、エルサレムで出土 表に皇帝ネロの肖像

    エルサレム(CNN) エルサレム旧市街の近郊で21日までに、考古学者らがローマ皇帝ネロの肖像を表面に刻んだ金貨を発見した。ネロは古代ローマで起きた大火災の最中に弦楽器を弾いていたとの逸話で知られている。 金貨はエルサレム旧市街の南郊にあるシオンの丘の発掘現場で発見された。現場ではこの夏、米ノースカロライナ大学シャーロット校のチームが発掘調査を行っていた。 研究者らによれば、金貨は紀元56~57年にかけて鋳造された可能性が高い。ローマ人は紀元前63年、エルサレム攻囲戦として後に知られるようになった戦いの後、エルサレムの支配権を掌握していた。 発掘の共同責任者であるシモン・ギブソン氏によれば、科学的な発掘の過程でこうした硬貨が出土するのはエルサレムでは初めてで、今回見つかった金貨は例外的なものだという。この種の硬貨は通常、私的なコレクションの中にしか見つからない。その場合、硬貨の作られた場所に

    ローマ帝国の金貨、エルサレムで出土 表に皇帝ネロの肖像
  • めちゃくちゃ珍しい2000年前の「暴君ネロの金貨」が出土

    Rare Ancient Roman Coin, Gold, Sestertius, Nero c 64 AD (Photo by Hoberman Collection/UIG via Getty Images)

    めちゃくちゃ珍しい2000年前の「暴君ネロの金貨」が出土
  • 日本・世界の歴史&エンタメ | THE HISTORY CHANNEL JAPAN ヒストリーチャンネル

    新番組 世界はオモチャで回ってる 南北戦争や世界大恐慌、激動の背景に知られざるオモチャ産業のドラマが有った! 予告編を見る

    日本・世界の歴史&エンタメ | THE HISTORY CHANNEL JAPAN ヒストリーチャンネル
    kousyou
    kousyou 2016/09/19
    ヒャッハー感あってよい
  • ローマ帝国の興亡を描く歴史ドキュメンタリードラマ『バーバリアンズ・ライジング』、9月19日(月)より放送スタート!

    ローマ帝国の興亡を描く歴史ドキュメンタリードラマ『バーバリアンズ・ライジング』、9月19日(月)より放送スタート! 反逆者の視点からローマ帝国の興亡を描いた歴史ドキュメンタリードラマ『バーバリアンズ・ライジング~ローマ帝国に反逆した戦士たち~』が、ヒストリーチャンネル 日・世界の歴史&エンタメにて、9月19日(月・祝)~9月22日(木)23:00~25:00、4夜連続で放送となる。 作は、歴史ドキュメンタリードラマの国際共同制作作品として、世界各国のヒストリーチャンネルが参加し、緻密な時代考証、最新映像技術をもって作り上げた作品だ。圧倒的な権力で人々を支配し、他の民族による征服は不可能だと思われてきたローマ帝国。作は、このローマ帝国に屈することなく、自分たちの自由のために絶対権力に抗い続けた実在した勇敢な者たちの姿を描いた作品。ハンニバル、スパルタカス、アルミニウス、ブーディカといっ

    ローマ帝国の興亡を描く歴史ドキュメンタリードラマ『バーバリアンズ・ライジング』、9月19日(月)より放送スタート!
  • 謎の古代モザイク画、秘められたユダヤ人への伝言

    古代シナゴーグで見つかったモザイク画。これは最近公開されたものだ。(Photo: Mark Thiessen. Sources: Jodi Magness, University of North Carolina, Chapel Hill; Karen Britt, Western Carolina University) イスラエル、フコックの遺跡で見つかったローマ時代のシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)を飾るモザイク画。その美しく謎に満ちた画の全貌が公開された。(参考記事:「古代シナゴーグで発見された“場違いな”もの」) 5世紀に制作されたこのモザイク画には、位の高い男性ふたりが会談に臨む様子が描かれており、そのうちひとりは軍を率いる将軍のような姿をしている。ところが、ふたりの正体を示す記述がまったくないため、ここに描かれているのがどのような場面なのか、解釈は困難をきわめている。 「古代末

    謎の古代モザイク画、秘められたユダヤ人への伝言
  • 天正遣欧少年使節のフレスコ画、法王の子孫宅で発見:朝日新聞デジタル

    16世紀に九州のキリシタン大名・大友宗麟らが送った天正遣欧少年使節の伊東マンショらが、1585年に当時のローマ法王グレゴリウス13世(在位1572~85)と面会した様子を描いたフレスコ画が、ローマにある法王の子孫の邸宅で見つかった。 絵は19世紀半ばに、法王の子孫のアントニオ・ボンコンパーニ・ルドビジ公爵の発注で、画家ピエトロ・ガリアルディが制作した。邸宅の改築の際に天井裏に隠れ、長い間存在が忘れられていた。米国人研究者が数年前、子孫宅のアルバムから絵の写真を発見。昔の新聞記事や改築記録をもとに天井裏に小型カメラを入れて調査した結果、絵が確認された。 絵の少年らは着物を着て親書を携え、中国風の髪形をしている。描かれたのは日が鎖国を終えて開国した頃で、美術史家の藤川真由さん(43)は「日欧関係の端緒を開いたのはグレゴリウス13世だったと、子孫はフレスコ画に残したかったのだろう」とみる。 子

    天正遣欧少年使節のフレスコ画、法王の子孫宅で発見:朝日新聞デジタル
  • 『ローマ人の物語』は史実ではない、なら何を読めばいいのか? - 明晰夢工房

    スポンサーリンク togetter.com 何も司馬遼太郎なり、塩野七生氏なりが悪いとかどうとかいう話ではない。小説家の書いた文芸作品として享受して愉しむものだということ。それを学問としての歴史学の成果と混同する人がいるわけで、ようは読み手のリテラシーの問題。 https://t.co/0gebzOP8FR — 丸島和洋 (@kazumaru_cf) 2016年6月4日 司馬遼太郎や塩野七生の著作はあくまで「文芸作品」なのだからそれを当の歴史と混同されては困る、という指摘を最近いくつか見かけました。国家の選良がそんなものを座右の書とするようでは困る、というツイートも。 司馬遼太郎・塩野七生を史実として捉える事についてTLが賑やかなので思い出したけど、10年以上前にテレビで最高裁判官のプロフィール紹介してた時、半数近くの裁判官の座右の書が「坂の上の雲」か「ローマ人の物語」だったのはさすがに

    『ローマ人の物語』は史実ではない、なら何を読めばいいのか? - 明晰夢工房
    kousyou
    kousyou 2016/06/23
    本村氏の本はいくつか読んだが個人的にどうもあわない。南川著は面白いけど色々筆が滑ってる感がある。井上著は漢との比較で漢についてすでに疑問が呈されている古い説に全面的に依拠してるのが玉に瑕。
  • ハンニバルの侵攻ルート解明か、古代の馬糞がカギに

    第2次ポエニ戦争でアルプス山脈を越えるハンニバルを描いた絵画。Leemage提供。(c)Leemage 【4月7日 AFP】カルタゴ(Carthage)の将軍ハンニバル(Hannibal)は、現在のイタリアへと侵攻する際にアルプス(Alps)山脈を越えたが、その際に選んだルートをめぐっては、2000年にわたり議論が続いている。しかし、このたび見つかった古代の馬糞(ふん)により、科学者らはその答えをようやくつかんだかもしれない──。 紀元前218年、ウマ1万5000頭あまりとゾウ37頭を伴った総勢3万のカルタゴ軍が共和政ローマ(Roman Republic)に侵攻し、長年にわたる血みどろの戦いが勃発した。 これほど大勢の兵士と動物を引き連れてアルプス山脈を越えるのは並大抵のことではないため、歴史学者らや古典学者らは長年、ハンニバルが取った正確なルートをめぐり議論を繰り広げてきた。 そうした中

    ハンニバルの侵攻ルート解明か、古代の馬糞がカギに
  • ローマの放射線量が突出しているのは古代ローマ帝国の栄華が原因!?

    袋小路茶犬 @fukubrowndog 久々に参考出品。羽田→ドバイ→ローマ往復旅行。上段グラフ:1日線量推移、下段:上段と同日の1時間線量(補助線が各日0時)。高値はセキュリティ(滞在前半は美術館、後半は不明)。緑線は自然放射線量目安(GB相当)、赤線は+1mSv目安。 pic.twitter.com/ks7JSZLeOe 2015-12-07 15:01:56 袋小路茶犬 @fukubrowndog 追記:もちろん個人線量計はDシャトル。飛行機内での線量は絶対値として正確ではないが、北回り欧州線より低め(より赤道に近いため)。緑線の補足:千代田テクノルのGB運用として現在福島では0.54mSv/年相当を一律に引いているため、その1日量目安として緑線を引いている。あくまで目安。 2015-12-07 15:06:34

    ローマの放射線量が突出しているのは古代ローマ帝国の栄華が原因!?
  • 「帝王切開」が「帝王」なのは、とても複雑な事情があるのです - 最終防衛ライン3

    帝王切開って、何が帝王なんだろうと気になって調べてみた… 「ドイツ語で胎児を取り出す手術方法を「Kaiserschnitt(切開切除)」と書くのだがこれを和訳する際、「Kaiser」を「皇帝」、「Schnitt」を「切開」と誤訳してしまったのである」 誤訳だったら、直そうよ…— whiteflicker (@whiteflicker) 2015, 11月 30 残念ながら、その俗説は誤りです。「Kaiser」は現代のドイツ語では皇帝以外の意味がありませんし、「Schnitt」は英語の「section」にあたり、日語訳するならば「切開」、「切除」、「切断」に当たります。 恐らく、 帝王切開 - 語源由来辞典 を参考にしたのでしょうが、「帝王切開」がそのように呼ばれるに至ったのは、とても複雑な経緯があるのです。 Kaiser : Dictionary / Wörterbuch (BEOLIN

    「帝王切開」が「帝王」なのは、とても複雑な事情があるのです - 最終防衛ライン3
  • 「交路からみる古代ローマ繁栄史」中川 良隆 著

    「すべての道はローマに通ず」の言葉通り、ローマ帝国は最大版図五百万平方キロメートルもの広大な領土に十五万キロメートル(うち八万キロメートルは舗装道路)ものローマ街道が張り巡らされていた。ローマ帝国はその広大さ故に隅々まで行き渡る水陸の交易路を使ったヒトと物資の移動流通網があって初めて成り立っていた。書はシビル・エンジニアリング(土木技術、構造工学などの総合的な概念)の観点から、ローマ帝国を支えた陸の道と水の道を解説した一冊である。著者は工学博士。 目次 第一部 すべての道はローマに通ず 第一章 ローマ街道の意義 第二章 ローマ帝国以前の諸外国の道路網 第三章 ローマ街道を使った国家統治・防衛と旅の安全・楽しみ方 第四章 ローマ街道の建設技術 第二部 河川・海上交通がローマの繁栄をもたらした 第五章 何を、どこから運んだのか 第六章 船と運航者 第七章 航海で必要なインフラ(港と灯台、地図

    「交路からみる古代ローマ繁栄史」中川 良隆 著
  • 古代ローマの石棺出土、「特筆に値する」装飾 イスラエル

    イスラエル・ベトシェメシュの倉庫で、石棺に施されたメドゥーサの装飾をみがくIAAの職員(2015年9月3日撮影)。(c)AFP/MENAHEM KAHANA 【9月4日 AFP】イスラエル考古学庁(Israel Antiquities Authority、IAA)は3日、建設現場で出土した後、作業員らが隠蔽(いんぺい)しようとして傷つけた古代ローマ時代のサルコファガス(石棺)を回収したと発表した。 1800年前のものと推定されているこの石灰岩製のひつぎは先週、沿岸都市アシュケロン(Ashkelon)の新周辺地域での現場作業中に発見された。元IAA考古学者で古代ローマ時代の専門家のガビ・マゾール(Gabi Mazor)氏は、これを「類まれな」石棺と表現した。 IAAによると、石棺を思いがけず発見した建設業者らは、けん引車を使って自分たちで地中から引き出そうとして傷つけた末、金属板や板材の山の

    古代ローマの石棺出土、「特筆に値する」装飾 イスラエル
  • 「ローマ五賢帝 『輝ける世紀』の虚像と実像 」南川 高志 著

    帝政ローマの最盛期を現出したのがネルウァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌス・ピウス、マルクス・アウレリウス・アントニヌスの五人の皇帝、通称「五賢帝」である、とされる。トラヤヌス帝の時代に最大版図を実現し、政治的にも経済的にも安定して、何かと理想化されるこの時代――紀元九六年から一八〇年までの約一世紀――を統治した五人の皇帝について、近年の研究動向と様々な史料を元にその光と陰を読み解いた非常に面白い一冊。 五賢帝時代に関する一般的な理解は、書によれば「徳望ある理想的な君主が元老院と協調して政治を行い、また元老院の優秀な人材を養子にして帝位を継がせるシステム(養子皇帝制)が機能して帝位をめぐる内乱が生ずることもなく、国の内外が安定した平和な時代」(P229)とされるが、書で明らかにされるのは五賢帝時代の実態はその説明と相容れないということだ。「『養子皇帝制』なるものは、実際には見出し

    「ローマ五賢帝 『輝ける世紀』の虚像と実像 」南川 高志 著