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戦国に関するkousyouのブックマーク (50)

  • 直虎は「女城主」ではなかった? 別の男性とする新史料:朝日新聞デジタル

    NHK大河ドラマの主人公としても描かれている井伊直虎(なおとら)。井伊家の史料を収集する井伊美術館(京都市東山区)は10日、「直虎」の名が登場する文献が新たに見つかったと発表した。直虎は、女城主と伝えられてきた次郎法師とは別人の男性だったことを示す史料だとしている。 通説では、今川家の支配下にあった井伊谷(いいのや)城主・井伊直盛(なおもり)の娘、次郎法師(?~1582)が直虎を名乗り、後に徳川家の重臣となる井伊直政の養母になったとされてきた。だが、同館が昨年12月に発表した史料には、次郎法師のいとこにあたる「井伊次郎」という男性に井伊谷の領地が与えられたとあったことから、「井伊次郎=直虎」ではないか、としていた。 今回発見された「河手家系譜」は、直政時代の重臣家の歴史を幕末期にまとめた史料。河手家の先祖・景隆(かげたか)が「井ノ直虎」を補佐した▽景隆が属した「井伊次郎」は井伊家ではなく今

    直虎は「女城主」ではなかった? 別の男性とする新史料:朝日新聞デジタル
  • 石田三成腹心の書状2通発見 島左近、他武将との交渉役 - 共同通信 47NEWS

    戦国武将、石田三成の腹心だった島左近が記した書状2通が初めて見つかり、東京大史料編纂所と長浜城歴史博物館(滋賀県長浜市)が1日までに発表した。 豊臣秀吉が「三成に 過ぎたるものが二つあり 島の左近と 佐和山の城」と評価するほどの人物だったが関係史料は少なく、同博物館の太田浩司館長は「島左近の動向や実像に迫ることができる画期的な発見」と話している。 2通は、いずれも天正18(1590)年7月に書かれていた。秀吉が小田原北条氏を滅ぼした後に、秀吉に従うことになった常陸(茨城県)の戦国大名佐竹氏との交渉に島が当たっていたことが分かるという。

    石田三成腹心の書状2通発見 島左近、他武将との交渉役 - 共同通信 47NEWS
  • 真田信繁が署名、唯一の「信繁」 清泉女学院大客員教授発見 | 信濃毎日新聞[信毎web]

    NHK大河ドラマ「真田丸」の主人公で、長野県上田市ゆかりの戦国武将真田信繁(幸村)が出したとみられる書状が新たに見つかったことが16日、分かった。清泉女学院大(長野市)の玉城司客員教授(63)が発見し、1590(天正18)年の年号と信繁の署名がある。信州の歴史文書をまとめた「信濃史料」に内容が載っている書状の原とみられる。 玉城客員教授によると、現在伝来している信繁が出した文書は20通で、これまで原が確認されているのは7通。今回見つかったのは信繁が20代前半ごろの早い段階の史料で、「信繁」と署名するのは唯一という。 書状は、豊臣秀吉が相模国(現神奈川県)の北条氏を滅ぼした小田原攻めがあった90年の8月10日付で、「安中平三」宛て。絶え間なく戦い続けてきたことから安中の姓を与え、領地などを与えることを約束する内容だ。 従来の研究では、「安中と主従関係に入った」「小田原出兵に際し関東

    真田信繁が署名、唯一の「信繁」 清泉女学院大客員教授発見 | 信濃毎日新聞[信毎web]
  • 文化審答申:国指定史跡の小田原城跡 2カ所を追加指定へ 「大堀切」隣接地など /神奈川 - 毎日新聞

  • 織田―徳川はいつ「対等」から「従属」になったか?/戦国時代の「天下」って何?~「真田丸」考証者のツイートから

    NHK大河ドラマ「真田丸」で時代考証を担当している丸島和洋氏@kazumaru_cfは、地上波放送の直後あたりに毎回、ちょっとした裏話をツイートされています(フォローを推奨)。その中から個人的に興味のある「織田ー徳川の力関係の変化。いつ『同盟』が『従属』に変化したか」「当時のば「天下」の用法」という2テーマをまとめました。「天下」については、過去に誰かがtogetterを作っていて、それで興味を持ちました。解釈によっては三好も「天下人」と呼んでいいとか、悪いとか・・・

    織田―徳川はいつ「対等」から「従属」になったか?/戦国時代の「天下」って何?~「真田丸」考証者のツイートから
  • 金箔瓦の破片発見、濃姫御殿か 岐阜城の織田信長居館跡:朝日新聞デジタル

    戦国武将の織田信長が一時拠点にした岐阜城(岐阜市)の居館跡で、新たに多数の金箔(きんぱく)瓦の破片が見つかった。岐阜市教育委員会が19日発表した。文献などを参考に調べた結果、屋根を金箔瓦でふいた信長の正室・濃姫の御殿があった可能性がある。築城工事で御殿の敷地が拡張された跡も確認。破片はそこから見つかったという。 庭園遺構や金箔瓦片約30点などが出土。1567年に美濃(岐阜)を攻略した信長が入城直後に工事を始め、途中で設計を変更し庭園に隣接するよう御殿の敷地を拡張したとみられる。 その2年後に城を訪れたポルト… この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。

    金箔瓦の破片発見、濃姫御殿か 岐阜城の織田信長居館跡:朝日新聞デジタル
  • 「幸村のキャラ設定受けた」 戦国BASARA10周年:朝日新聞デジタル

    歴女ブームの火付け役とも言われるゲーム「戦国BASARA」。生みの親であるカプコンの小林裕幸プロデューサーに、10周年を迎えたBASARAの歩みや、真田幸村の魅力について聞きました。 ――戦国BASARAシリーズが昨年で10周年を迎えました。 2005年7月に、プレイステーション2で1作目を発表して以来10年。ファンのお陰もあり、派生作品も含め、28ものゲームを出し続けることができました。最初はこんなに続くと思っていませんでしたし、とにかく1作目を成功させたいという思いだけでした。 ――当初は社内ですら「こんなゲームは売れない」という声があったとか。 そうでしたね。若かったから何とか頑張れた。今だったらできなかったかも(笑)。 ――ゲーム中では、かなり大胆に武将をデフォルメしています。 このゲームならではの特徴を出したかった。ずっと一緒にやってきたディレクターの山真とは、「武将を登場さ

    「幸村のキャラ設定受けた」 戦国BASARA10周年:朝日新聞デジタル
  • 戦国大名の「好き・嫌い」とか「常識人度」をめぐるあれこれの談議

    有名どころのツイートを回っていたら、自然と形になりました(笑)。でも、「研究と好き嫌い」の話とか「常識人度で見る戦国武将」とか、けっこう重要な話が、雑談風のやり取りの中に見え隠れしています。 大きく、二つのテーマに分かれているように見えたので第一部、二部の区切りを入れました。

    戦国大名の「好き・嫌い」とか「常識人度」をめぐるあれこれの談議
  • 前田慶次:屋敷跡発掘調査 「無苦庵間違いない」 - 毎日新聞

  • 家康の「しかみ像」は三方原の戦いとは無関係?<家康編13>  : 中部発 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    家康の人物像を象徴する「しかみ像」は三方原の敗戦とは無関係なのか(「徳川家康三方ヶ原戦役画像」を模写、絵・富永商太) 徳川家康は、派手好きな織田信長や豊臣秀吉とは違って、地味で我慢強いという人物評が一般的だろう。 城郭考古学が専門の千田嘉博・奈良大学長と全国の家康に関係した地を歩くうちに、当に家康はそんな人物だったのだろうかと疑問に思うことがあった。例えば、秀吉政権の「首都」だった伏見城(京都市)城下にある御香宮(ごこうのみや)神社に晩年の1605年に家康が建てた殿(重要文化財)は非常に派手な極彩色で、「これが家康の趣味なのか」と驚いた。 ◎嫁入り道具と判明 我慢強い家康像として、近年、テレビドラマやマンガなどだけでなく、学術書にも取り上げられているのが、徳川美術館(名古屋市)が所蔵する「徳川家康三方ヶ原戦役画像」、通称「しかみ像」だ。 1572年に武田信玄に三方原(みかたがはら)で大

    家康の「しかみ像」は三方原の戦いとは無関係?<家康編13>  : 中部発 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
  • 「軍需物資から見た戦国合戦」盛本 昌広 著

    戦国時代に限らず戦争について多くの人が興味を惹かれがちなのは戦国武将の戦術指揮や、勇猛な武士たちの活躍などだが、現在も今も戦争には人員や兵糧だけでなく大量の物資が必要となる。その戦国時代の合戦で必要とされた軍需物資特に竹と木材の調達や用途についてまとめた。記事書き終えてから気付いたけど品切れの様ですね。(2019年12月13日追記。吉川弘文館「読みなおす日史シリーズ」で復刊されました) 当時の戦争で必要不可欠だったのが竹と木材であった。弓矢・刀・槍・鉄砲・鎧など武具をはじめとして防衛陣地構築のための柵、鉄砲を防ぐ竹製の盾、篝火、炊事用の薪、旗指物、川を渡る際には橋を架けなければならないし、鋤や鍬などの作業用具も必要だ。そのいずれにも木材は使われることになる。 戦国大名にとって木材の確保は戦争継続のための最重要課題であり、そのために領国内の森林管理に力を注いだ。とはいえ必要に迫られれば大

    「軍需物資から見た戦国合戦」盛本 昌広 著
  • 「アジアのなかの戦国大名: 西国の群雄と経営戦略」鹿毛 敏夫 著

    戦国時代を戦国大名の分立的状況から天下統一へと至る過程として捉える一国史的立場に対して、東アジアの中に日の戦国時代を位置づける見方も、近年非常によく見られるようになってきている。書では、天下統一という志向とは一線を画した、大内、大友、松浦、島津、相良など西国大名のアジア志向について、彼らの交易と人々の流れの中で描こうとした一冊である。 室町時代に行われた日明貿易、合計十九回の遣明船が送られたが明応の政変(1493)以後幕府権力が弱体してからは、細川氏と大内氏の主導権争いを経て遣明船は大内氏が独占、大内氏の滅亡以後日明貿易は絶えた、ということになっているが、書ではこれを「狭義の遣明船」とし、十六世紀以降、細川・大内氏だけでなく有力西国大名が次々と遣明船を送っていることを明らかにする。 各大名、とりあえず遣明船を送り、現地で明政府から朝貢貿易・公貿易として認められれば良し、そうでなければ

    「アジアのなかの戦国大名: 西国の群雄と経営戦略」鹿毛 敏夫 著
  • 「天下統一とシルバーラッシュ: 銀と戦国の流通革命」本多 博之 著

    十六世紀初頭の石見銀山の発見と開発は日列島だけでなく東アジア全体に大きな影響を及ぼした。その石見銀山の発見を契機として広がった「シルバーラッシュ」が戦国時代の日を、そして東アジアをどのように変貌させたか、銀の流通をたどることで全体像を明らかにしようとする一冊である。 石見銀山で採掘された銀は博多商人によって列島へ、大内氏の遣明船によって東アジアへと持ち込まれ、1550年代、後期倭寇の活動を活発化させ、1560年代以降、福建商人、ポルトガル商人の来航を促進、列島内でもヒト・モノの広域的な流れを生み出した。まず西国大名によって交易を通じて日産の銀が東アジアに広がったことで国際通貨として確立、遅れて国内でも貨幣として流通していったという流れであるらしい。 戦国時代という、中央政府の弱体化による権力の分散と旧来の荘園制市場構造の解体した状態の中で大名、国人、商人、海賊の共生関係を通じた経済活

    「天下統一とシルバーラッシュ: 銀と戦国の流通革命」本多 博之 著
  • 柴咲コウさん主演!平成29年 大河ドラマ「おんな城主 直虎」

    大河ドラマ おんな城主 直虎 【作】 森下佳子 【主演】 柴咲コウ 戦国時代に男の名で家督を継いだ「おんな城主」がいた――。 遠江(とおとうみ/静岡県西部)井伊家の当主、井伊直虎(いいなおとら)である。 戦のたびに当主を殺され、ただひとり残された姫が、「直虎」と勇ましい名を名乗って乱世に立ち向かった。 駿河の今川、甲斐の武田、三河の徳川と3 つの大国が虎視眈々と領地をねらう中、資源も武力も乏しいこの土地で、頼るべきは己の知恵と勇気。 そして直虎は、仲間と力を合わせて国を治め、幼い世継ぎの命を守ってたくましく生き延び、その後の発展の礎を築いた。 彼女の原動力となったのは、幼いころに約束を交わしたいいなずけへの一途な愛。 愛を貫いて自ら運命を切り開き、戦国を生き抜いた女の激動の生涯を描く。 主人公 井伊直虎/柴咲コウ 遠江(静岡県)の井伊家当主・井伊直盛の一人娘として生まれる。直盛には男子がな

    柴咲コウさん主演!平成29年 大河ドラマ「おんな城主 直虎」
    kousyou
    kousyou 2015/08/25
    二時間ぐらいの映画でやると凄くおもしろくなりそうな人だとは思うけど
  • 平成28年度 大河ドラマ「真田丸」出演者発表!

    大河ドラマ 真田丸 作 三谷幸喜 戦国時代最後の名将・真田幸村。 その名を、真田源次郎信繁という。 好奇心にあふれ、冒険を好み、戦国の世を駆け抜けた真田信繁は、 いつしか、覇者・徳川家康をも恐れさせる伝説の武将となった。 真田幸村伝説には、もうひとつのストーリーがある。 天才の父、秀才の兄の背を追いかけながら、故郷に住む家族と共に 乱世を生き延びていくために、迷い、悩み、苦しみながら成長していく、 家族愛にあふれた次男坊・信繁の物語。 大坂の陣において真田信繁が、戦国時代最後にして最強の砦 「真田丸」を作りあげるまでの人生は、戦国の荒波に揉まれ続けた 小さな家族船「真田丸」での長い長い航海の道程でもあった。 <真田家の人々> 真田信繁(通称・幸村) …堺雅人 「日の一の兵」とも讃えられた、戦国時代を代表する武将。若き日には、上杉景勝、豊臣秀吉の人質として過ごす。関ヶ原の戦いでは西軍につ

    平成28年度 大河ドラマ「真田丸」出演者発表!
    kousyou
    kousyou 2015/07/10
    “真田昌幸 …草刈正雄”このキャスティングで視聴決定
  • 「刀狩り―武器を封印した民衆」藤木 久志 著

    豊臣秀吉の刀狩令、明治政府の廃刀令、第二次大戦後の占領軍による武装解除の三つの「刀狩り」を通して民衆が武器を封印していく過程を描き出す、日中世民衆史の大家による「刀狩り」概論。とはいえ、論考のほとんどは秀吉の刀狩令と江戸時代の民衆の武装が中心となっている。 このでは、従来の刀狩り観として根強い『刀狩りいらい庶民の武装は禁止され、廃刀令で武士の帯刀も禁止され、ここに国民の非武装が定着した』(藤木「刀狩り」P12(平凡社版「廃刀令」一九八五年の引用))という「刀狩りで武装解除された庶民」という通念は様々な史料をもとに丁寧に否定される。 豊臣秀吉の天正十六年(1588)七月の刀狩令は確かに第一条で「刀・脇差・弓・鑓(やり)・鉄砲、そのほか武具のたぐい」全般の所持を禁止しているが、実際の施行の段階では徴収されたのは刀と脇差が中心でその他の武器は大して集められていない。また、徴収された刀と脇差の

    「刀狩り―武器を封印した民衆」藤木 久志 著
  • ザビエルはキリスト教の矛盾を論破されたのか説得したのか問題

    ザビエルも困った「キリスト教」の矛盾を突く日人 – るいネット 『ザビエルも困った「キリスト教」の矛盾を突く日人』によるミスリードと嘘 – Togetter 『日の各地でザビエルは布教するのですが、出会った日人が彼に決まって尋ねた事があります。それは、「そんなにありがたい教えが、なぜ今まで日にこなかったのか」ということでした。そして、「そのありがたい教えを聞かなかったわれわれの祖先は、今、どこでどうしているのか」ということだった。 つまり、自分たちは洗礼を受けて救われるかもしれないけれども、洗礼を受けず死んでしまったご先祖はどうなるのか、やっぱり地獄に落ちているのか・・・・・当時の日人はザビエルにこういう質問を投げかけた。 元来、キリスト教においては、洗礼を受けてない人は皆地獄ですから、ザビエルもそう答えました。すると日人が追求するわけです。 「あなたの信じている神様というの

    ザビエルはキリスト教の矛盾を論破されたのか説得したのか問題
  • 「ザビエルの同伴者アンジロー―戦国時代の国際人」岸野 久 著

    天文十八年(1549)、イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエル一行が鹿児島に上陸、キリスト教が日に伝来した。有名な歴史上の出来事だが、ザビエルを日に導き、通訳として活躍した日人アンジローまたはヤジロー(二説あり未だ定まっていない)と呼ばれる人物については日側史料が全くなく、海外特に教会関係の史料に当たるしかないため、その人物像には謎が多い。そのアンジロー(ヤジロー)について、丁寧に史料を追い、人物像を浮かび上がらせている一冊である。 アンジローは1511年または12年に鹿児島で生まれた。高貴な出自というから有力武士階級出身か富裕商人といわれる。ルイス・フロイスは海賊だったと書いているが、日在住時からポルトガル語に堪能でポルトガル商人たちとも交流があったらしいから、まぁ当時の貿易商と海賊との境界は非常に曖昧だが、やはり貿易商であったのだろう。子もあった。 彼は1546年から47年

    「ザビエルの同伴者アンジロー―戦国時代の国際人」岸野 久 著
  • 「殉死の構造」山本 博文 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    江戸時代初期、武士たちの間で主君の死に殉じて家臣が切腹して果てる「追腹」とよばれる自殺行為が多く見られるようになった。一般的に殉死は忠義の心から出るものと認識されているが、著者は史料を丁寧に読み解いていくことで「追腹」が忠誠心によるものではないということを浮き彫りにしていく。 史上最初の追腹は明徳三年(一三九二)、管領細川頼之の死に殉じて切腹した三島外記入道であったとされる。戦国時代を通してまれに見られるこの追腹は徳川幕府成立後、急速に流行しはじめる。『流行そのものが江戸時代初期の特質』(P234)であるという。慶長十二年(一六〇七)松平忠吉に殉じて五人の武士が自殺したのを皮切りに、以後、主なものだけでも島津義久の死に一五人が殉じ、鍋島直茂一二人、島津義弘一三人、伊達政宗一五人、細川忠利一九人、鍋島勝茂二十六人と主な君主の死に家臣たちが多く死を選んで行った。 殉死した家臣たちに共通する特徴

    「殉死の構造」山本 博文 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • 天下の名槍「蜻蛉切」、11年ぶり公開 本多忠勝が愛用:朝日新聞デジタル

    天下三名槍の一つとされ、徳川家康に仕えた武将・多忠勝愛用の「蜻蛉切(とんぼぎり)」が11年ぶりにお披露目される。静岡県沼津市の実業家だった故・矢部利雄氏(1905~96)の所蔵品で、三島市中田町の佐野美術館で9日から始まる企画展に出品される。 「飛んできたトンボ真っ二つ」の逸話も 佐野美術館によると、蜻蛉切は刀工・村正の弟子、藤原正真(まさざね)の作品と言われている。美しい刃紋が特徴で、刃長は43・7センチ。戦場で槍を立てていると飛んできたトンボが二つに切れたという逸話が残る。 愛知県岡崎市の岡崎城にある「三河武士のやかた家康館」の蜻蛉切はレプリカ(複製)で、物は矢部氏のもとにあった。 佐野美術館の渡辺妙子館長によ… こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 こちらは有料会員限定記

    天下の名槍「蜻蛉切」、11年ぶり公開 本多忠勝が愛用:朝日新聞デジタル
    kousyou
    kousyou 2015/01/09
    うぉー