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神道に関するkousyouのブックマーク (22)

  • 「伊勢神宮とは何か」書評 変容続ける聖域、国家との関係も|好書好日

    伊勢神宮とは何か 日の神は海からやってきた (集英社新書 ヴィジュアル版) 著者:植島 啓司 出版社:集英社 ジャンル:新書・選書・ブックレット 伊勢神宮は、いかなる過程を経て成立したのか。世界の聖地を研究してきた宗教人類学者がフィールドワークを重ね、「伊勢の神々は海からやってきた」という興味深い解釈に迫る。写真も… 伊勢神宮とは何か [著]植島啓司 [写真]松原豊 神都物語 [著]ジョン・ブリーン 20年に1度建て替えの儀式を行う伊勢神宮は、いつも新しい現代建築であると同時に古代を想像させる特殊な建築だ。そしてミステリアスな存在ゆえに、各ジャンルの論者を様々な解釈に誘う。建築からは、磯崎新、川添登、井上章一、丸山茂の刺激的な論が登場した。宗教人類学の植島啓司の新刊『伊勢神宮とは何か』は、床下の心御柱(しんのみはしら)をめぐって、機能にこだわる建築学とは異なり、根源的な宇宙軸だという見解

    「伊勢神宮とは何か」書評 変容続ける聖域、国家との関係も|好書好日
  • 火と穢(ケガレ)

    古来より、日では火事は宗教的犯罪の結果とみなされてきた。なんらかの罪がケガレを生み、ケガレが火災を生むという因果関係が信じられており、火はそのケガレを浄化するものと見なされていたが、一方で、火災を起こした当事者は放火であれば重大な罪を犯したと、失火であればケガレの状態に陥るとされてきた。 波平美恵子「ケガレ」によると日社会においては『火というもの、あるいは火の制御、制御の失敗ということを次のように認識してきた』(波平P198)という。 (1)火の制御(コントロール)に失敗すると、社会的かつ文化的な秩序を乱すこととみなされ、社会的に大きな犯罪を犯したことにもなるが、また当事者はケガレの状態に陥り、火事の現場や周囲もケガレの状態になる。 (2)放火によって人や器物、建物や動物を破壊し害することが許されているのは、天皇のような絶対的権力者が、自らの権威(それは神聖視されている)を脅かそうとす

    kousyou
    kousyou 2014/08/30
    blogの過去記事(2012年6月)です。
  • Cathoshin - Powerful Free Spells for Your Love Life

    Feeling unlucky these days? It’s necessary to know bad luck symbols so that you can avoid misfortunes coming to your life. If you wish to get through the day with the bad luck chasing you behind, this is the article for you. Whether you are superstitious or not, have a… Continue Reading 10 Most Bad Luck Symbols: Why I so Unlucky? (Click NOW) If you want to become a good witch, then the priority is

  • 神主だけど、神社の世界ゴミクズ多すぎてワロエナイ・・・・・・ : 暇人\(^o^)/速報

    神主だけど、神社の世界ゴミクズ多すぎてワロエナイ・・・・・・ Tweet 1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/14(木) 01:29:32.29 ID:gIXXatk80 未成年に飲酒の強要当たり前wwwww 休日不定休wwwwしかも休みなのに仕事に呼ばれるwwww 手当無しwwww代休なしwwww 下手すりゃボーナス無しwwwww 雇い主は昼まで寝てるwwwww雇われ神主は朝6時から仕事wwwww 2:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/14(木) 01:30:30.34 ID:EpvDS5mD0 仕事内容 6:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/11/14(木) 01:34:56.78 ID:gIXXatk80 >>2 神社による 普通、朝7時〜8時出社、朝拝(朝のお参り)、掃除 9時頃から社務、お守りの

    神主だけど、神社の世界ゴミクズ多すぎてワロエナイ・・・・・・ : 暇人\(^o^)/速報
  • 「神道には『教え』が無い…?」について(神主・神道学者による)

    Naka51@神道学者 @genshin01 異論はあるんでしょうが、神道の思想や祭祀を研究する身としては「神道に教えがない」という考え方がどうしても理解できません。なぜから「ちゃんとあるから」です。島田裕巳さんなんかは、の題名にまでしていますが、罪深いことをしていると思います。 2013-06-30 08:46:03 Naka51@神道学者 @genshin01 民俗学の中には、神道否定を旨とする流れがありました。大まかに言えば「国学『だけ』が神道じゃないぞ」風の未開拓フィールド開拓型なら穏当ですが、「国学『は』神道じゃないぞ」風の否定型の人がいたりします。このように神道を学ぼうと民俗学をやると、予期せぬ道があったりします。 2013-06-30 08:54:31

    「神道には『教え』が無い…?」について(神主・神道学者による)
  • 『吉田神道の四百年』 “神使い”の人びと - HONZ

    書は、室町時代後期より400年に渡り神道界に大きな影響を及ぼした “神使い” 吉田家の歴史を描いたものだ。吉田家は、亀卜を行う神職の家系卜部(うらべ)氏の系統で、『徒然草』の吉田兼好もこの一族になる。吉田神道は、京都の神主であった吉田兼倶(かねとも)によって構想された。「唯一神道」「卜部神道」とも言われる。 1468年、応仁の乱の戦火で吉田神社が焼け落ちた後、兼倶は動き出す。 まずは、自邸内にあった「斎場所」を吉田山に移転した。兼倶はこの斎場所を「日最上神祇斎場」と呼び、神武天皇が橿原に都して以来、代々日中の神を祭ってきた「神社の総山」であると宣言した。移転に際しては、後土御門天皇からは「日国中三千余座、天神地祇八百万神」と記した勅額を頂いた。 そんなことができたのは、兼倶が朝廷の祭祀を担う役所である「神祇管」の最高位の祭官(神祇管領長上)だったからだ。兼倶は、自らの神道を「元

    『吉田神道の四百年』 “神使い”の人びと - HONZ
  • 紀元節復活の経緯と当社の紀元祭 - 西野神社 社務日誌

    平成21年2月10日付の記事で詳しく説明させて頂きましたように、2月11日は、皇紀元年に大和・橿原の地(現在の奈良県橿原市)で神武天皇が初代天皇として御即位されたと伝わる日で、日書紀に書かれている神武天皇御即位についての記述『辛酉年(かのとのとりのとし)の春正月の庚辰(かのえたつ)の朔(ついたちのひ)に、天皇(すめらみこと)、橿原宮に即帝(あまつひつぎ)位(しろしめ)す』を日という国の誕生の瞬間と捉え、その「辛酉年庚辰の朔」を西暦年に換算した紀元前660年(皇紀元年)2月11日を日の誕生日としてお祝いする祝日です。戦前・戦中は「紀元節」として、現在は「建国記念の日」という名前でお祝いされています。 以下は、昭和23年に一旦廃止された紀元節が、昭和41年に建国記念の日と名称を変えて復活した当時の、神社新報(12月17日発行、第981号)の論説からの転載で、紀元節復活の感激と、紀元節復活

    紀元節復活の経緯と当社の紀元祭 - 西野神社 社務日誌
    kousyou
    kousyou 2012/02/24
    昭和41年の「建国記念の日」復活経緯。神社新報記事ノリノリだ。
  • 神の御前の労働基準法 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

    POSSE川村さん経由で、 http://happism.cyzowoman.com/2011/11/post_262.html(トータル労働時間17時間! ナメてかかると痛い目を見る巫女バイトの実態) >「巫女さんのバイトをしていました」と言うと、決まって「萌える!」と興奮される。断言する、あれは「萌え」だなんて生半可なものではない。赤と白の装束を身に纏う巫女さんたちのつつましやかな笑顔は、並々ならぬ忍耐の上に成り立っているのだ。 >筆者が応募した近所の某神社のバイト期間は、12月31日~1月7日まで。このうち、初日は12月31日22:00~1月1日18:00までのぶっ通し勤務。途中許されている休憩は、仮眠のための3時間のみ。トータル労働時間は17時間と、労働基準法の「ろ」の字も見当たらないハードボイルドっぷりだ。神の御膝元の前には、法律は無力なのか。 川村さんは、 http://twi

    神の御前の労働基準法 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
  • 江戸時代まで日本の「神道」で最大勢力誇ってたのは稲荷信仰だよねとか

    江戸時代まで日の「神道」で最大勢力誇ってたのは稲荷信仰だよねとか、いわゆる国家神道(伊勢派)系の創世神話と全然関係ない菅原道真(天神様)が信仰されまくりとか、そもそも明治の強制改宗まで日全国神道といったらわけのわからん土着信仰だらけだとか、明治に入ってから政治的に神道が再編されるにあたっての伊勢派と出雲派の争いとか、神道を歴史の観点で見るのもそれはそれで面白いけど、宗教としての神道的には黒歴史とまでは言わないにしろ割とアレじゃないですか。都合悪いっつーか。 だからこう、神道側の人はとりあえず古事記(創世神話)→居宣長→国家神道みたいにホップ・ステップ・ワープで扱うのがお約束になるし、反神道側の人からすりゃわざわざ扱うほどのことでもないし、第三者的な視点でおもすれーとか言ってるのって民俗学者くらいじゃないですかね。

    江戸時代まで日本の「神道」で最大勢力誇ってたのは稲荷信仰だよねとか
    kousyou
    kousyou 2011/09/30
    "宗教としての神道的には黒歴史とまでは言わないにしろ割とアレじゃないですか。"
  • 出雲大社は怨霊の神社?

    神道が日全域へ浸透するように Uncategorized Hello world!Welcome to WordPress. This is your first 続きを読む… 投稿者:admin 投稿日時:2年前

  • 神社本庁総長へのインタビュー - 西野神社 社務日誌

    先日「日文化チャンネル桜」で放送された、皇室ジャーナリストの高清水有子さんによる田中恆清神社庁総長(京都府神社庁長、石清水八幡宮宮司)へのインタビューが、動画投稿サイトの「YouTube」にアップロードされています。 東日大震災で改めて明らかになった神社の役割や、天皇陛下の「お言葉」の意味、神社と皇室と国民との絆、マスコミで取り上げられた諸問題について等が、神社庁の公式見解として田中総長によって判り易く語られています。興味のある方は是非御覧下さい。 ちなみに、神社庁とは、当社を含む全国約8万社の神社を包括する宗教法人で、総長とは、神社庁庁規の第七条及び第八条によると、宗教法人神社庁の代表役員として法人を代表し、庁の事務を総管し、統理に事故あるときはその職務を代理する、と規定されています。 (田頭)

    kousyou
    kousyou 2011/07/18
    大半が災害復興に関して天皇がいかに素晴らしいか、重要な役割を果たしているかという話で、現在の神社神道における天皇制の位置づけが感覚的にわかる感じ。興味深かった。
  • 『国家神道と日本人』の革新的な知見の整理 | 島薗進・宗教学とその周辺

    拙著『国家神道と日人』(岩波書店、2010年7月)については、分かりやすいだったという感想を多くちょうだいしましたが、他方で著者の意図がよく分からないといった類の感想にもしばしば出会いました。 これはこの書物が政治的な主張に主眼を置いたものではなく、数十年単位の長期的なスパンで通用する宗教史理解を示そうとしたため、また新書という形態の都合上、現在通用している理解に対してどこに革新性があるかを分かりやすく提示しなかったことによると思われます。 来年中に刊行を目指している国家神道研究の研究書においては、そのあたりをもっと明確に示すつもりですが、ここでこのの革新性の概略についてまとめておきたいと思います。参考にしていただければ幸いです. (1)皇道論の系譜として水戸学、津和野国学、そして長谷川昭道を関連づけ、そこから「大教宣布の詔」、および「教育勅語」が出て、ある種の寛容性をもちつつ、諸宗

  • 『国家神道と日本人』への批評について(2)――子安宣邦氏の再論に応答する | 島薗進・宗教学とその周辺

    10月10日に子安宣邦氏の「怒りを忘れた国家神道論――島薗進『国家神道と日人』」という論説(第1論説)が、「ちきゅう座」(http://chikyuza.net/n/archives/3705)というサイトに掲載され、私はそれに対する応答を「『国家神道と日人』への批評について――とくに子安宣邦氏の論説に応答する」と題して、私自身のこのブログ「宗教学とその周辺」に掲載した(第2論説)。これについて「ちきゅう座」から掲載の要請があり、私はそれに応じた。続いて、10月29日づけで「ちきゅう座」に子安氏の「イノセントな学者的欲求が犯す罪─「怒り」の理由」と題する島薗批判の再論が掲載された(第3論説)。この第3論説は私の論旨への誤解、無理解、および現在の国家神道をめぐる論争状況への誤解、無理解が顕著に見えるので、この論説で応答しておきたい。 子安氏は、「国家神道」概念の見直し論が問題なのだと書い

  • イノセントな学者的欲求が犯す罪─「怒り」の理由 - ちきゅう座

    <子安宣邦(こやすのぶくに):大阪大学名誉教授> 私の批判への島薗氏による卑小な反論に釣られて卑小な回答の言葉を連らねる愚を避けて、端的にまず私の「怒り」の理由をのべよう。 現在、「国家神道」をめぐる問題があるとすれば、「国家神道」概念の見直し論としてある。この見直し論とは、アメリカの対日占領政策にもとづくいわゆる神道指令が廃止を指示した国教としての神道、すなわち「国家神道」の定義の見直しを要求するものである。神道指令はこの「国家神道」を「非宗教的ナル国家的祭祀トシテ類別セラレタル神道の一派(国家神道或ハ神社神道)ヲ指スモノデアル」と規定している。したがって見直し論はこの規定中にある神社神道の側から、「国家神道」概念の見直すことの要求として出されてきた。 だがこの見直し論は、ただ「国家神道」概念の見直しを求めるだけのものではない。現行憲法を占領軍の押しつけとして、それを見直し、自主的な改訂

  • 『国家神道と日本人』への批評について――とくに子安宣邦氏の論説に応答する | 島薗進・宗教学とその周辺

    7月21日刊の奥付をもつ拙著、『国家神道と日人』(岩波新書)が刊行され、3ヶ月ほどがたった。まだまだ内容に立ち入った書評は少ないが、直接間接にさまざまな感想・批評に接し、大いに啓発されている。感想・批評をお寄せ下さった皆さんにあらためて謝意を表したい。 私が敬愛するある宗教哲学者は、「輻輳した歴史の現実態の中に分け入り、しかも山に入って山を見ずではなく、おのづから筋道があらわれて見えて来」、「私にとって最近にない良書」だったとおほめ下さった。私信では日近代史や日思想史の研究者からも概ね好意的な評価をいただいているが、ネットに現れた感想や批評の中に「自己中心的だ」とか「けしからん」とか「新書に合わない」という反応があったのにはやや驚いた。このは論争を踏まえた書物なので、これまでの議論の弱点について批判的に述べて新たな立場を鮮明に示そうとしており、いわば「革新的」な議論を多々提示をして

  • 「怒りを忘れた国家神道論」―島薗進『国家神道と日本人』批判 - ちきゅう座

    <子安宣邦(こやすのぶくに):大阪大学名誉教授:日思想史> 1 村上重良の怒り 村上重良は『国家神道』(岩波新書、1970)を激しい怒りをもって書いた。その怒りとは、日台湾・朝鮮をも含んだ)国民の肉体とともに精神を支配し、抑圧した〈戦争する日国家〉の原理であり、装置であるものに対してである。彼は国家神道こそが、1945年に至るまで国民を支配し、抑圧した国家的原理であり、装置であるとみなした。戦争の終結から四半世紀を経過した1970年に村上は、国家神道の復活の動きに接し、怒りを新たにする形で『国家神道』を書いたのである。私もまた度重なる小泉元首相の確信犯的な靖国参拝に対する怒りを『国家と祭祀―国家神道の現在』(青土社、2004)として表明した。私は村上の国家神道概念をそのまま継承することはなくとも、彼の怒りは正しく継承した。 国家神道批判は日国民のこの怒りに基づくものである。怒り

  • 社会科学者の時評: ■ 天皇・天皇制の歴史・存在・意義・限界 ■

    ◎ 近代明治に創られた天皇のしぐさ・天皇制のしくみ ◎  【山折哲雄『神と王権のコスモロジー』1993年の議論】  ① 天皇は神か?  山折哲雄『神と王権のコスモロジー』(対談者:小松和彦・赤坂憲雄・吉隆明,吉川弘文館,平成5〔1993〕年)という著作がある。書は,昨日〔12月17日〕にとりあげた吉隆明も対談者の1人に登場させている。それはともかく,カバーに書かれている要旨はつぎのようである。 日の王権=天皇制は,常に土俗的な宗教性を内面に抱えながら継承されてきた。書は,複雑な「カミ」概念に彩られた日王権の姿を,それをとりまく独特な宗教的世界を通して,思想の側面から照射する。闇の空間の中に「稲の王」=天皇の実像を浮かず上がらせ,諸外国の王権と対比しつつ,それを生み出した日人の心の深層にメスを入れる。 以下,同書に聞きながら議論をすすめ,天皇・天皇制に対する批判的な考察をお

  • kousyoublog.jp – このドメインはお名前.comで取得されています。

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  • 蕃塀マニア

    蕃塀(ばんぺい)にこだわったブログです。蕃塀は神社の拝殿の前にある衝立状の塀です。 by banbeimania

    蕃塀マニア
  • システムとしての国家神道 - 美徳の不幸 part 2

    今日、恩師の新書を読了。 国家神道と日人 (岩波新書) 作者: 島薗進出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2010/07/22メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 3人 クリック: 63回この商品を含むブログ (24件) を見る先生のこの10年ほどの「国家神道論」を追っている僕からすれば、半ば復習のようなものだが、やはり強調するべきは、神社神道にだけ限定するような国家神道論はよろしくない、特に皇室神道・祭祀を抜きにした国家神道論はダメだということ。僕も先生の顰みに倣って、自分の論文では「国家神道システム」という用語を用いているのは、神職・神社神道の活動以外にも「国家神道」というのは浸透していたと捉えているからだ。具体的には、仏教各宗派や、新宗教も、キリスト教も、積極的に(ここが重要。下支えなくして、あそこまでの「猛威」は振るえない)このシステムに荷担したのである。勿論、教育現場にお

    kousyou
    kousyou 2010/07/30
    よみたい。