タグ

中世に関するkousyouのブックマーク (95)

  • 科学データが見せる10世紀に社会が 大きく変化したわけ – 國學院大學

    科学データが見せる10世紀に社会が 大きく変化したわけ ヒトと自然、これまでとこれから(笹生衛 教授 前編) 神道文化学部全ての方向け Tweet 旱魃(かんばつ)、大雨、洪水。そして都市部への人口集中による感染症の大流行。古代の人々の姿と、現代に生きる私たちの姿はほとんど変わらないことが、古代の遺跡調査と文献史料、そして最先端の科学データを突き合わせたときに見えてくるという。 笹生衛・神道文化学部教授(國學院大學博物館館長)への前後編インタビューで伝わってくるのは、古代の話でありながらどこまでもクリアで、そしてリアルな歴史の肌触りだ。 10世紀に、何かが起きたのではないか――。これは私が20代の頃、古代の集落の発掘調査現場に身を置くようになって抱きはじめた疑問でした。古墳時代からの伝統的な集落のかたちが8・9世紀までは残っていたのに、9世紀の末期から10世紀にかけて、その集落が消滅・分散

    科学データが見せる10世紀に社会が 大きく変化したわけ – 國學院大學
  • 中世の英オックスフォードは「殺人街」だった、犯人は主に大学生

    特徴的な柄からボロックナイフ(こうがんナイフ)と呼ばれる14世紀のナイフ。中世ヨーロッパで器、道具、武器として広く使われていた。「キドニーダガー(腎臓短剣)」という別名もあり、英オックスフォード大学の学生の多くが携帯していただろう。そのなかには、明らかに殺意を抱いている者もいた。(PHOTOGRAPH BY THE METROPOLITAN MUSEUM OF ART) 英国オックスフォード大学の学生にとって、中世は死と隣り合わせの時代だった。中世英国のほかの街と比べて、殺人を犯したり、惨殺されたりする確率が約3倍も高かったのだ。 9月28日に「中世殺人地図」プロジェクトにより発表されたこの驚くべき統計は、当時の法的記録に基づいている。殺人が多かったのは、若い独身の男子学生が多かったことと、凶器、アルコール、セックスワーカーが身近だったせいだと研究者は考えている。 プロジェクトの主任調査

    中世の英オックスフォードは「殺人街」だった、犯人は主に大学生
  • 「15のテーマで学ぶ中世ヨーロッパ史」堀越宏一/甚野尚志 編著 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    「中世ヨーロッパ」は現在のヨーロッパ地域における古代と近代に挟まれた概ね五世紀から十五世紀までの千年間を指している。現在の我々の生活にも大きな影響を及ぼしているヨーロッパ発祥の文化や思想、制度の淵源は概ねこの時代に端を発しているが、どんな時代だったのかといざ知りたいと思っても、その幅広く奥深い世界はなかなかにハードルが高い。そんな「中世ヨーロッパ」を知るために入門として一押しなのが書である。 何故一押しなのか。まず、書は通史ではなく、そのタイトル通り、十五のテーマに分けて論じられる分野史である。 かつてはヨーロッパ史も政治・外交・戦争歴史を中心に考察されてきたし、現在でもそれらへの注目は高い。ゲルマン人が侵入してフランク王国が成立し、カール大帝が戴冠し、ドイツとフランスとイタリアに分裂して神聖ローマ帝国とフランス王国とイタリア都市国家がそれぞれ繁栄し、ヴァイキングの侵攻やイスラームと

    「15のテーマで学ぶ中世ヨーロッパ史」堀越宏一/甚野尚志 編著 | Call of History ー歴史の呼び声ー
    kousyou
    kousyou 2020/01/20
    更新しました。中世ヨーロッパ入門としてお勧めの本です。/本書ではトルバドゥール等は第5章3で貴族文化の一つとして紹介されています。
  • 『動物裁判 西欧中世・正義のコスモス (講談社現代新書)』池上俊一 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    十二世紀から十八世紀にかけて、フランス・ドイツを中心とした西ヨーロッパ一帯で盛んにおこなわれていたのが、動物や昆虫を被告として正規の裁判にかけて裁く「動物裁判」という慣習であった。この中世・近世期ヨーロッパに特異な法慣行はなぜ行われていたのか、その実態を浮き彫りにする、1990年の発売以来ロングセラーとなっている一冊である。 書は二部構成で、第一部では史料に登場する多数の動物裁判事例が紹介される。例えば、冒頭に紹介されている動物裁判の例は1457年1月10日、フランス・ブルゴーニュ地方サヴィニー村で起きた、五歳の少年をい殺した雌豚に対する裁判である。前年1456年末、仔豚たちに餌をやっていた被害者ジャン・マルタンに突然襲いかかった母豚がい殺してしまった。これに対し、ブルゴーニュ公の侍臣を裁判官とし、豚の所有者と「実行犯」の母豚および仔豚六匹を被告、サヴィニー村の領主を原告、さらに検察

    『動物裁判 西欧中世・正義のコスモス (講談社現代新書)』池上俊一 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー
    kousyou
    kousyou 2020/01/06
    更新しました。十二世紀から十八世紀にかけてのヨーロッパで見られた「動物裁判」。現代人から見ると奇妙な法慣行はなぜ誕生したのか?発売以来今年で丁度30年、ロングセラーな名著の紹介です。
  • オモコロ on Twitter: "【急募】中世ヨーロッパの文化などに詳しい方を募集しています。添付画像を見てピンと来た方はDMでご連絡ください! https://t.co/9ot3WRcl0K"

    【急募】中世ヨーロッパの文化などに詳しい方を募集しています。添付画像を見てピンと来た方はDMでご連絡ください! https://t.co/9ot3WRcl0K

    オモコロ on Twitter: "【急募】中世ヨーロッパの文化などに詳しい方を募集しています。添付画像を見てピンと来た方はDMでご連絡ください! https://t.co/9ot3WRcl0K"
    kousyou
    kousyou 2019/08/06
    前期盛期後期で全く変わるしドイツかフランスかイタリア半島かイベリア半島かブリテン諸島かで別物になっちゃうので中世史専攻であればなおさらピンとくる人が果たしているのだろうか
  • 中世ウェールズ文学「マビノギオン」を漫画にしてみた。→「未来に生きてる」「キャラが濃い!」ぶっ飛んだ内容にざわめくTL

    鬼頭えん🏴󠁧󠁢󠁷󠁬󠁳󠁿新作配信中 @kitoen2173 漫画描いてる中世イングランドスキー。命ウェールズ🏴󠁧󠁢󠁷󠁬󠁳󠁿。同人サークル床子屋の中の人。 成人向けアカウント作りました→@kitoen2GO BOOTH…kitoen.booth.pm Ci-en…ci-en.dlsite.com/creator/9077 まとめ…lit.link/kitoen kitoen.fanbox.cc ◆まとめの構成◆ 中世ウェールズ古典・マビノギオンを漫画にしてみた… 【1】猪年なのでイノシシ退治が出てくる《キルッフとオルウェン》を漫画にしてみた。 公式様から反応が!そしてマビノギ談義へ…。 【2】マソヌウイの息子マース【前編】 色々な意味で未来に生きてた中世ウェールズ人のセンスと気を見てくれ。 【3】マソヌウイの息子マース【後編】 スェウの死亡条件は当時の詩人が酒飲

    中世ウェールズ文学「マビノギオン」を漫画にしてみた。→「未来に生きてる」「キャラが濃い!」ぶっ飛んだ内容にざわめくTL
  • 偽ジャンヌ・ダルク事件~中世フランス「自称乙女」騒動の顛末 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    ジャンヌ・ダルクの家族 ジャック・ダルク ジャンヌ・ダルクの父。ジャンヌが生まれ育ったドンレミ村の名士であった。1420年頃、旧領主ブールレモン家の邸宅を村の倉庫兼避難所として使えるよう賃借契約を結んだ記録や、23年に、野武士ロベール・... クロード・デュ・リスと名乗った自称ジャンヌ・ラ・ピュセルは実際のジャンヌ・ダルクとよく似た容姿であったらしい。ジャンヌ・ダルクの事績をよく調べていたし、体も鍛えていて武器の扱いや乗馬技術などにも長け、すぐに乙女の復活と話題になった。オルレアンでも話題となり、使者を派遣して真偽を調査させている。 メスのサン=ティボー教会の主席司祭はこう書き残している。 『この年ラ・ピュセル・ド・フランスと名乗る若い娘が現れ、その人物になりきっていたので、だまされた人も数多かった。特に身分のある人々がそうであった。』(注5) 翻弄される人々自称ジャンヌは、メスの貴族や有

    偽ジャンヌ・ダルク事件~中世フランス「自称乙女」騒動の顛末 | Call of History ー歴史の呼び声ー
    kousyou
    kousyou 2019/01/20
    ジャンヌを騙った当人と言いみんないいかげんですごく好きな事件です。色々調べながらこの事件、いいコメディ映画のネタになりそうだなあと思ってはいました。
  • 「図説 中世ヨーロッパの暮らし (ふくろうの本) 」河原 温,堀越 宏一 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    中世ヨーロッパの人々の姿を豊富な図版をまじえて紹介する一冊。中世ヨーロッパでは「祈る者(聖職者)」「戦う者(貴族・騎士)」「耕す者(農民・都市民)」の三身分の概念が生まれていたが、その中の「耕す者」たちに焦点を当てて、中世の主に西ヨーロッパで生活する庶民の暮らしを描く。 「第一部 農村の暮らし」では「第一章 中世農村の誕生」でローマ時代以降中世前期の農村の衰退と荘園の成立から十一世紀の農業革命を経て三圃制の普及とともに農村共同体が確立していく歴史が描かれる。続く「第二章 農民と領主」で領主と農民の交渉過程を経て、領主に対する義務・負担と引き換えに農民たちも一定の自治権を確立していく単純な隷属関係ではない様子が見て取れる。「第三章 村の姿」では農民たちが暮らした村の様子について領主との利害関係や都市との交易、地理的・政治的要因などが概観されつつ、その特徴について描かれる。「第四章 農民の仕事

    「図説 中世ヨーロッパの暮らし (ふくろうの本) 」河原 温,堀越 宏一 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー
    kousyou
    kousyou 2018/09/24
    ブログ更新しています。豊富な図版とよくまとまった解説で中世ヨーロッパ社会に触れることができる、本棚に一冊あると色々はかどる本です。
  • 「お前らジャンヌ・ダルクと一緒にいてムラムラしないの?」と聞いてみた結果

    「尊い・・・」ってなる、という記録が実際残されている。 記録を残しているのはゴベール・ティボーという準騎士で1429年三月二十二日、神学者のピエール・ド・ヴェルサイユの共としてジャンヌ・ダルクと面会したことがある人物である。彼はのちに兵士たちに率直に尋ねてみたのだそうだ。「お前らジャンヌ・ラ・ピュセルと一緒にいてムラムラしないの?」と。そしてそのやり取りを以下の通り書き残した。 「軍隊においては、彼女はいつも兵士たちと行動を共にしていた。ジャンヌと親しかった者の多くから直接聞いたことだが、彼女に対して彼らが肉欲を感じることは金輪際なかったという。それはどういうことかというと、彼らが彼女に欲情を抱くことはままあったにせよ、どうしてもそれ以上の挙に出ることはできなかったので、彼らは彼女を欲望の対象にすることは不可能だと信じこむようになっていた。仲間同士で、肉欲を満たし、快楽を刺激するような話を

    「お前らジャンヌ・ダルクと一緒にいてムラムラしないの?」と聞いてみた結果
  • 「鎌倉を読み解く―中世都市の内と外」秋山哲雄 著

    鎌倉幕府の成立が「イイクニ(1192)つくろう鎌倉幕府」ではなくなったという話は随分と広く知られるようになってきた。しかし、もう一つ鎌倉幕府の成立に関して、大きく見直されていることがあることはあまり知られていないのではないか。それは、「三方を山に囲まれた天然の要害ゆえに頼朝は鎌倉を拠地とした」という通説が近年否定されてきている、ということである。 まず、「序章 都市鎌倉研究の現在」では通説であった武家の都としての鎌倉城塞都市説が近年の研究でどのようにして否定され克服されてきたかという研究史がまとめられ、続けて都城のような都市計画の存在も否定されつつある研究状況が概観された上で、成立期の鎌倉の評価をめぐる様々な論考が紹介される。また、鎌倉の都市域の解明、鎌倉の葬送に関する考古学的研究の成果と今後の課題、鎌倉と外部のつながりなど、その章題の通り都市鎌倉研究の現在が見通せる。 じつは鎌倉には、

    「鎌倉を読み解く―中世都市の内と外」秋山哲雄 著
  • 中世ヨーロッパの領主となり、一族の繁栄を目指すシミュレーション『Crusader Kings II』Steam版が期間限定で無料配布中。有志日本語化も進行中 - AUTOMATON

    スウェーデンのパブリッシャーParadox Interactiveが、Steamにて『Crusader Kings II』を無料配布中だ。SteamのIDを持っていれば、ストアページにて「ゲームをインストール」を押せば、ゲームがライブラリに追加され今後も無料で同ゲームを遊ぶことができる。Paradoxは、公式フォーラムにて作の配布を「期間限定」としているものの、具体的にその期間がいつからいつまでとは明言していない。スレッドでは「今日ダウンロードして、永劫に遊べる」と記載しているので、いずれにせよ早めにダウンロードしておいたほうがよさそうだ。 『Crusader Kings II』は2012年に発売されたシミュレーションゲームだ。プレイヤーは、11世紀から15世紀におけるヨーロッパの一族の当主となり、封建社会にて一族の繁栄を目指す。選べる時代、そして領主や貴族は幅広い。いずれかの当主となり

    中世ヨーロッパの領主となり、一族の繁栄を目指すシミュレーション『Crusader Kings II』Steam版が期間限定で無料配布中。有志日本語化も進行中 - AUTOMATON
  • 〈帝国〉で読み解く中世ヨーロッパ - ミネルヴァ書房 ―人文・法経・教育・心理・福祉などを刊行する出版社

    中世において、英独仏に対応する地域を中心に存在したアンジュー帝国、神聖ローマ帝国、フランス王国という三種の“帝国”。書ではとりわけプロヴァンス、サヴォワ、フランドル、シャンパーニュ、スコットランド、アイルランドといった、帝国の境界地帯と地域の支配権力の動向に光を当て、中世カトリック世界の秩序のありようを探る。関係史の手法により、各国史の視点では見えない“西欧中世の一体性”を浮かび上がらせる試み。 [ここがポイント] ◎ 各国史の枠組みの限界を超え帝国の分析から中世の社会構造を問いなおす。 ◎ 多種多様な権力主体相互の関係を空間的・歴史的に整理し、中世西欧の権力構造の全体像を浮かび上がらせる。 はじめに 序 章 西欧中世カトリック世界の帝国的権力構造(朝治啓三) 第Ⅰ部 地域の権力構造──現地権力と王公伯の関係 第1章 アイリッシュ海における「ヴァイキングの王国」と現地勢力──11世紀前半

    kousyou
    kousyou 2018/02/16
    これ欲しいがななせんえんかぁ(遠い目)
  • 中世欧州の兵站話

    まとめ 中世(風世界)の人口・動員力・生産力~実情は?SF設定で補正するなら? 中世欧州を、ファンタジー戦記の「モデル」にしたいけど、当時の人口や軍事動員力をリアルにしたら迫力がないのではないか…という話から、「その歴史上の限界を補正する、こういう架空の設定を加えたら?」「いや、そもそも中世欧州の生産力や動員力が低いというのは誤解だ」という議論になりました。面白い話であります‥ 過去にも似たまとめがあったり、どっかでは既に「兵站ファンタジー」というジャンルも立ち上がっているという説も… 一応カテゴリは「歴史」にしました。 ツイートを使わせていただいたアカウントはこちら(※追加は除く) @gryphonjapan @ut_ken @tottekurebeepri @mmmnvivi @KilimanJiro @boukenshaparty1 @kuzusaki @sinngyougak..

    中世欧州の兵站話
    kousyou
    kousyou 2018/01/29
    ちなみにアジャンクールの戦い(1415)が仏軍が英軍の輜重隊襲撃してる。なお三万超を擁した仏軍は兵力差三倍以上にもかかわらず首脳陣ごっそり戦死・捕虜となり壊滅的大敗したンゴ・・・
  • 「あだ名で読む中世史」で見るヨーロッパの王侯の「○世」の数え方

    はくえー【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院@12月11日に歴クラBAR(詳しくは固定) @tomoshibi6o6o やばい…「あだ名で読む中世史」読むのを断念しそうなレベル あだ名リストで50ページも割かれてるんですが…最初から「緑伯アマデーオ6世」とか見たことないんですが…うわ… 2018-01-27 17:15:18 はくえー【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院@12月11日に歴クラBAR(詳しくは固定) @tomoshibi6o6o とりあえず目次を書いておきます。 第1章 ヨーロッパ中世はあだ名の宝庫 第2章 「カール・マルテル」の謎 第3章 ピピンはいつから短躯王と呼ばれたか 第4章 姓の誕生 第5章 中世の命名方法とその背後にあるもの 第6章 中世の家門意識はいかにして形成されたか 第7章 混迷のユーグ・カペー 2018-01-27 17:19:20 はくえー【

    「あだ名で読む中世史」で見るヨーロッパの王侯の「○世」の数え方
    kousyou
    kousyou 2018/01/29
    イングランド王のエドワード証聖王とエドワード1世で悩むやつ
  • 北欧バイキングの死装束にアラビア文字見つかる

    バイキングの墓から見つかる死装束にアラビア文字が織り込まれていたことを、スウェーデンの研究者が発見した。これらの衣服は100年以上前に見つかったものだが、バイキング時代の典型的な死装束として片付けられ、そのまま保管されていた。新たに行われた調査により、はるかに興味深いものであることが明らかになった。 死装束が見つかった場所は、バイキングの船葬墓やバイキング時代の主要都市ビルカの墳墓。「興味深いのは、『アラー』という単語が鏡文字で記されていたことです」と、文字を発見したスウェーデン、ウプサラ大学のテキスタイル考古学者アンニカ・ラーソン氏は語る。(参考記事:「有名なバイキング戦士、実は女性だった」) 北欧で見かけない幾何学模様 文字は、絹の帯に銀糸で織り込まれていた。ラーソン氏は、バイキング時代の埋葬に関わる慣習は、死後に天国で永遠の生を得るという思想のほかに、イスラム教の影響も受けていたので

    北欧バイキングの死装束にアラビア文字見つかる
  • 【動画】中世の遺跡でイルカの墓を発掘、前代未聞

    なぜ中世の遺跡からイルカの骨が見つるのだろうか。しかもその骨は、人間のために掘ったような墓の中に埋められている。(参考記事:「動物大図鑑 ネズミイルカ」) 「こんなものは見たことがありません」。英国とフランスの間に浮かぶ英王室領ガーンジー島にあるガーンジー博物館・美術館の考古学者フィリップ・デ・ジャージー氏はそう語る。同博物館の野外考古学スタッフは、島の南西部シャペル・ドム・フエにある中世の修道士の隠遁所の発掘を行ってきた。 デ・ジャージー氏は8月29日から、現場で発見したものを動画で撮影し、毎日ネットにアップしている。最初のうち、見つかるのはほとんどが堆積物ばかりだった。 そして作業開始から11日目。 「35年間発掘に携わってきましたが、これは今までに発見した中でも特に奇妙なものです」。9月15日に投稿した動画の中で、デ・ジャージー氏はそう語っている。 動画に映っているのは、まだ湿り気の

    【動画】中世の遺跡でイルカの墓を発掘、前代未聞
  • 直虎は「女城主」ではなかった? 別の男性とする新史料:朝日新聞デジタル

    NHK大河ドラマの主人公としても描かれている井伊直虎(なおとら)。井伊家の史料を収集する井伊美術館(京都市東山区)は10日、「直虎」の名が登場する文献が新たに見つかったと発表した。直虎は、女城主と伝えられてきた次郎法師とは別人の男性だったことを示す史料だとしている。 通説では、今川家の支配下にあった井伊谷(いいのや)城主・井伊直盛(なおもり)の娘、次郎法師(?~1582)が直虎を名乗り、後に徳川家の重臣となる井伊直政の養母になったとされてきた。だが、同館が昨年12月に発表した史料には、次郎法師のいとこにあたる「井伊次郎」という男性に井伊谷の領地が与えられたとあったことから、「井伊次郎=直虎」ではないか、としていた。 今回発見された「河手家系譜」は、直政時代の重臣家の歴史を幕末期にまとめた史料。河手家の先祖・景隆(かげたか)が「井ノ直虎」を補佐した▽景隆が属した「井伊次郎」は井伊家ではなく今

    直虎は「女城主」ではなかった? 別の男性とする新史料:朝日新聞デジタル
  • 中世ファンタジーとは言いつつも

    Saizwong @junji_trans 以前からJRPGは頻繁に中世といいつつほぼ近世だよ、というのを書いてますが実際中世どまんなかな設定だと、服装・街並み・商業・国などの組織が一般にイメージするよりずっと原始的でゲーム製作者的にかなり制限されるのが痛いです。こればっかりは創作ファンタジーだから、では言い訳が効かない! 2017-02-09 12:18:33

    中世ファンタジーとは言いつつも
    kousyou
    kousyou 2017/02/13
    中世風ファンタジー世界の女性用下着の洗練っぷりに神の意志の介在が疑われる。
  • 女性史研究の歴史学者、脇田晴子さん死去 文化勲章受章:朝日新聞デジタル

    中世の都市や女性史、芸能史の研究で文化勲章を受章した歴史学者で、滋賀県立大学名誉教授の脇田晴子(わきた・はるこ)さんが27日、死去した。82歳だった。 1934年、兵庫県西宮市生まれ。京都大大学院博士課程を経て京都橘女子大(現・京都橘大)、鳴門教育大、大阪外国語大(現・大阪大外国語学部)、滋賀県立大などで教鞭(きょうべん)をとり、石川県立歴史博物館長も務めた。夫は歴史学者で、大阪大名誉教授の修(おさむ)さん。 商業史研究を通し、それまで暗く停滞した時代と考えられていた中世が、実は経済活動の活発な時代だったことを論証。その中で大きな役割を果たしたのが、夫とともに家業を切り盛りしていた女性たちであったことも、多様な資料から明らかにしていった。同時に芸能者や遊女ら、差別を受けた人々にも光を当てた。 女性歴史研究の先駆者として多くの後進を育て、「女性史学賞」の創設に尽力。幼いころから能楽に親しみ、

    女性史研究の歴史学者、脇田晴子さん死去 文化勲章受章:朝日新聞デジタル
    kousyou
    kousyou 2016/10/01
    中世~近世身分制について調べていたら必ずこの人の研究書・論文にあたる。日本の社会史研究に非常に大きな足跡を残した。
  • 島津荘「政所」遺構か、国内最大荘園の拠点 : 文化 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    宮崎県都城市教委は9日、古代から中世の南九州にあった国内最大の荘園・島津荘(しまづのしょう)発祥の地である同市の郡元西原(こおりもとにしばる)遺跡で、大規模な溝の遺構が見つかったと発表した。荘園を管理する拠点「政所(まんどころ)」の堀とみられ、平安時代(11~12世紀)に造られたと推定される。同市教委は「島津荘の成立を裏付ける物証」と評価している。島津荘の下司職(げすしき)(管理人)出身である薩摩藩主・島津氏のルーツをたどるうえでも貴重な発見だという。 遺跡はJR都城駅の北東約2キロにある。一帯はかつて「島津院」という地名だったことから、政所の所在地と推定されていた。 市道工事に伴う発掘調査で、直角に曲がった幅3・5メートル、深さ1・5メートルの溝を発見。溝は北側と東側に50メートル以上延びており、堀で囲まれた大規模な施設の存在が推定できるという。 文献によれば島津荘は1026年、大宰府の

    島津荘「政所」遺構か、国内最大荘園の拠点 : 文化 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)