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青空文庫に関するkousyouのブックマーク (5)

  • 萩原朔太郎 猫町 散文詩風な小説

    蠅(はえ)を叩(たた)きつぶしたところで、蠅の「物そのもの」は死にはしない。単に蠅の現象をつぶしたばかりだ。―― 旅への誘(いざな)いが、次第に私の空想(ロマン)から消えて行った。昔はただそれの表象、汽車や、汽船や、見知らぬ他国の町々やを、イメージするだけでも心が躍(おど)った。しかるに過去の経験は、旅が単なる「同一空間における同一事物の移動」にすぎないことを教えてくれた。何処(どこ)へ行って見ても、同じような人間ばかり住んでおり、同じような村や町やで、同じような単調な生活を繰り返している。田舎(いなか)のどこの小さな町でも、商人は店先で算盤(そろばん)を弾(はじ)きながら、終日白っぽい往来を見て暮しているし、官吏は役所の中で煙草(タバコ)を吸い、昼飯の菜のことなど考えながら、来る日も来る日も同じように、味気ない単調な日を暮しながら、次第に年老いて行く人生を眺(なが)めている。旅への誘いは

    kousyou
    kousyou 2010/12/23
    詩人萩原朔太郎唯一の小説。このパラレルな世界に迷い込む感覚はよくわかる。
  • 青空文庫で読める日本古典SF

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  • 坂本竜馬 船中八策

    以上八策は、方今天下の形勢を察し、之を宇内(うだい)万国に徴するに、之を捨てて他に済時の急務あるべし。苟(いやしく)も此数策を断行せば、皇運を挽回し、国勢を拡張し、万国と並立するも亦敢て難(かた)しとせず。伏(ふし)て願(ねがは)くは公明正大の道理に基(もとづ)き、一大英断を以て天下と更始一新せん。 底:「日の思想 20 幕末思想集」筑摩書房 1969(昭和44)年7月5日初版第1刷発行 1975(昭和50)年4月15日初版第4刷発行 底の親:「坂竜馬関係文書」 入力:志田火路司 校正:土屋隆 2004年11月6日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

  • 九鬼周造 「いき」の構造

    [#横組みで、ページの上部、左右中央に] La pense doit remplir toute l'existence. MAINE DE BIRAN, Journal intime. [#改ページ、ページの左右中央に] 序 この書は雑誌『思想』第九十二号および第九十三号(昭和五年一月号および二月号)所載の論文に修補を加えたものである。 生きた哲学は現実を理解し得るものでなくてはならぬ。我々は「いき」という現象のあることを知っている。しからばこの現象はいかなる構造をもっているか。「いき」とは畢竟(ひっきょう)わが民族に独自な「生き」かたの一つではあるまいか。現実をありのままに把握することが、また、味得さるべき体験を論理的に言表することが、この書の追う課題である。 昭和五年十月 [#改ページ、ページの左右中央に] 目  次 一 序  説 二 「いき」の内包的構造 三 「いき」の外延的構造

  • 坂口安吾 風と光と二十の私と

    私は放校されたり、落第したり、中学を卒業したのは二十の年であった。十八のとき父が死んで、残されたのは借金だけということが分って、私達は長屋へ住むようになった。お前みたいな学業の嫌いな奴が大学などへ入学しても仕方がなかろう、という周囲の説で、尤(もっと)も別に大学へ入学するなという命令ではなかったけれども、尤もな話であるから、私は働くことにした。小学校の代用教員になったのである。 私は性来放縦で、人の命令に服すということが性格的にできない。私は幼稚園の時からサボることを覚えたもので、中学の頃は出席日数の半分はサボった。教科書などは学校の机の中へ入れたまま、手ぶらで通学して休んでいたので、休んで映画を見るとか、そんなわけではない。故郷の中学では浜の砂丘の松林にねころんで海と空をボンヤリ眺めていただけで、別段、小説などを読んでいたわけでもない。全然ムダなことをしていたので、これは私の生涯の宿命だ

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