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公共に関するkousyouのブックマーク (5)

  • 「公共政策論」講義メモ - shinichiroinaba's blog

    第一の転換、自由な市場経済のシステムとしての自立においては、公共圏と私的領域との区別は未だ物理的、空間的な性格を失ってはいない。商品経済という新たな領域がその間に、これもまた物理的、空間的な実体としてさしはさまる、という理解ができなくはない。そして公共圏と私的領域との間の境界は、なお保たれる、と。 人々の生存、私的生活は、もともと当はそうだったのかもしれないが、市場経済の発達の下、もはや自給自足としてはあり得ない。しかしながら市場を介することによって、人々は他人との取引をコミュニカティブな「政治」として行う負担を大幅に軽減される。あたかも自然法則に従うかのごとく、第二の自然と化した市場経済の「見えざる手」に導かれて、公的な場で他人とかかわり合いつつもひたすら私的な利害だけを追求していくことができる。市場は公共圏というよりも公共圏の代替物となっていく。 しかしながらなおそこでは、市場に出る

    「公共政策論」講義メモ - shinichiroinaba's blog
  • 「公共政策論」講義メモ - shinichiroinaba's blog

    ミルをベンチマークとして市民的公共圏の理念について考えてみると、近代市民社会の経済的側面は私的所有と契約の自由を基盤とした自由な市場経済に、政治的側面は思想の自由・表現の自由とその基盤としてのパブリック・フォーラム(自由で安価な出版とジャーナリズム)を前提とした議会政治によって代表される。そしてそのどちらも自由で自立した個人としての市民の、自由で自発的な行動の結果作られる社会秩序として理解されている。 「公共性の構造転換」とは、「自由で自立した個人が形作る社会秩序」という理念がリアリティを失い、社会がそれこそハーバーマスの表現を借りれば「生活世界」とは区別されたものとしての「社会システム」として、すなわち自由な個人が作り上げるのではなく、個人に対して外在的によそよそしく超越して、その自由を拘束する仕組みとして人々に体験されるようになる、という過程である。それは経済的な側面ではマルクス主義の

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  • 「公共政策論」講義メモ - shinichiroinaba's blog

    まあこの辺は『「公共性」論』の焼き直しですが。 ======================= ハーバーマス自身の議論をストレートに受け止めるならば、「公共性の構造転換」は非常にありふれた議論であり、マルクス主義社会科学の土俵においてはそれは「自由主義から帝国主義へ」の展開であるし、政治思想史的な言葉づかいを用いるならば「議論する公衆の没落、消費する大衆の台頭」ということになる。すなわち、自由な市場はその中から独占的大企業が発展することによって自壊し、資主義経済はある意味で重商主義的な、政府による介入と統制に支えられた仕組みに先祖返りする。開かれた市民社会は、閉鎖的な団体的秩序に回帰していく。(「再封建化」という表現もある。) もちろんそれを支える政治体制は相当程度民主化されており、かつての重商主義体制を支えた絶対王政とは違うが、この民主政治においても市民社会的な開放性は失われていく。政

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  • 「公共政策論」講義メモ - shinichiroinaba's blog

    公共領域、公共空間、「市民的公共圏」としての都市と都市間交通網を無視するわけにはいかないが、ハーバーマスの視点はそこにはあまり向けられない。ハーバーマスが重視するのは、そしておそらくはロックの場合もそうなのだろうが、文字言語を介したコミュニケーションのネットワークである。古典古代の市民社会においてももちろん文字は存在したが、そこはいまだ基的に写の世界であり、活字による大量印刷は存在しなかった。ロックはすでにグーテンベルグ以降の存在であり、ロックの哲学において「世論」はキー概念のひとつである。そして18、19世紀に焦点を当てるハーバーマスにおいては、消費財、あるいは産業となった文学と、何よりも新聞、ジャーナリズムがクローズアップされる。「文芸的公共圏」なる語が用いられるゆえんである。 もちろんここで我々はベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体」を支えるインフラストラクチャーとしての「

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  • 「公共政策論」メモ(続) - shinichiroinaba's blog

    少なくともここでわれわれは、古代人や中世人においては、民主政的なそれには還元しきれない、政治的な正統性の観念があったことを確認しておかねばならない。そして民主的ではなくとも、正統な支配の下では自由人はその自由を奪われたことにはならない、と観念されていたらしいことがわかる。たとえば古典古代以来、西洋において正統性を欠いた支配に対して与えられた由緒正しい名としてわれわれは「僭主制」なる語を知っている。古代ギリシア以来、もっぱらその「実力(暴力、知略等々)」でもって支配者の地位に着いた者は「僭主」と呼ばれてきたが、「僭主」が批判されたのは、それが民意に基づかない独裁者だったからではない。その支配者としての地位がむき出しの「実力」にのみ支えられていて、民主的なそれであれあるいは王朝的なそれであれ、正統性を欠いていたからである。 あるいは、これもまた古代ギリシアにさかのぼれるものであるが、「東洋」と

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