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城に関するkousyouのブックマーク (56)

  • JRA京都競馬場の淀寮内に淀城跡が発掘 鳥羽伏見の戦いの状況などを知る貴重な史料 | デイリースポーツ芸能

    JRA京都競馬場淀寮の増築工事に伴い、京都市埋蔵文化研究所が調査したところ、淀城跡の家老屋敷が発掘された。18世紀後半に水害対策としてかさ上げ工事が行われていた事実や、1868年の鳥羽伏見の戦いでの火災跡も確認された。当時の防災のあり方や、鳥羽伏見の戦いの状況を知ることができる非常に貴重な史料だ。 見つかったのは、18世紀中頃から後半に、地下1メートル40センチのところで使われた家老屋敷の跡。その後、同じ場所の70センチ高いところに再び屋敷を建てており、軟弱地盤に対応するために生まれた石柱を立てる蝋燭(ろうそく)基礎という工法でかさ上げ工事を行われていた事実も確認された。 今回検出された工法は、当時、関西にはなく、江戸周辺や下総国に多くみられたもの。江戸時代中期に稲葉家が淀藩の藩主となる前、下総国佐倉藩の藩主であったことが関係していると考えられている。淀城は桂川、宇治川、木津川の合流点に接

    JRA京都競馬場の淀寮内に淀城跡が発掘 鳥羽伏見の戦いの状況などを知る貴重な史料 | デイリースポーツ芸能
  • エディンバラ城――スコットランド王家歴代の居城の歴史 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    エディンバラ城(Edinburgh Castle)はスコットランドの首都エディンバラ市にある中世の城。スコットランド王歴代の居城であり天然の要害に立つ堅固な要塞である。「翼の生えた岩の城」「乙女の城」(注1)とも呼ばれ、「英国史上最も包囲を受けた城」と評される(注2)。ユネスコ世界文化遺産「エディンバラの旧市街と新市街(Old and New Towns of Edinburgh)」を構成する建造物の一つ。 城が建つ岩山「キャッスル・ロック」は古くから砦として利用されていたが、エディンバラ城の築城は十一世紀頃とみられている。1130年頃に建てられた城内の「聖マーガレット教会堂」を除くと、現存する城の古い部分は1430年頃から1588年頃にかけて築かれたものが中心である。 エディンバラ城(Edinburgh Castle) © Ronnie Macdonald from Chelmsford

    エディンバラ城――スコットランド王家歴代の居城の歴史 | Call of History ー歴史の呼び声ー
    kousyou
    kousyou 2020/12/12
    更新しました。
  • チリンガム城”Chillingham Castle”~英国屈指の人気幽霊城の歴史 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    イングランド王国の北辺、スコットランド王国との境界近くに位置するチリンガム村は古くから両国の対立・紛争に巻き込まれてきた。チリンガムを領したのはチリンガムよりさらに北にあるヒートン城”Heaton Castle”を守るグレイ” Grey”家で、彼らによって十三世紀頃、チリンガムに城が築かれた。1297年、スコットランド軍に包囲されて多くの犠牲者を出し(注1)、1298年、イングランド軍がスコットランド軍を破りスコットランドの英雄ウィリアム・ウォレスを捕らえたフォルカークの戦い(1298年7月22日)に向かうイングランド王エドワード1世がチリンガム城に滞在した記録が残る(注2)。 現存するチリンガム城は十四世紀に築かれたもので(注3)、1344年、イングランド王エドワード3世よりヒートン城主トマス・グレイ” Thomas Grey”に対し、チリンガム城の築城とクレネル化(注4)の許可が下され

    チリンガム城”Chillingham Castle”~英国屈指の人気幽霊城の歴史 | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • ヘディンガム城” Hedingham Castle”~名門オックスフォード伯爵家500年の居城 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    「ヘディンガム城天守塔間取り図」(パブリックドメイン画像”J. Alfred Gotch, The Growth of the English House, London : B. T. Batsford, 1909, p. 9″) ヘディンガム城を築いたド・ヴィア家は、ノルマン・コンクエスト後、ノルマン貴族オーブリー・ド・ヴィア1世(” Aubrey de Vere I”,1112年頃没)がイングランド王ウィリアム1世にヘディンガム城がある一帯を所領として下賜されたことに始まる名門である。「ドゥームズデイ・ブック”Domesday Book”」(1086年)には(キャッスル)ヘディンガムを始めエセックス州を中心として多くの所領の記録がある(注1)。 ヘディンガム城の築城は十一世紀から十二世紀初頭のことで、1140年頃、現存する石造の天守塔(キープ)が築城された。1141年にオックスフォー

    ヘディンガム城” Hedingham Castle”~名門オックスフォード伯爵家500年の居城 | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • ロチェスター城” Rochester Castle ”~中世イングランドにそびえる摩天楼 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    ノルマン征服後、ウィリアム1世は「バイユーのタペストリー」の作者として知られる義弟バイユー司教オドをケントの伯に任じた。ウィリアム1世死後の1088年、長男ノルマンディー公ロベール2世と次男イングランド王ウィリアム2世の間で内戦となり、オドはノルマンディー公に味方して、ロチェスターに木造の城を築いた。乱後、オドは失脚し、彼の築いた城も破却された。1089年頃、ウィリアム2世はロチェスター司教ガンダルフに築城を命じ、現在の城の南西部に城が築かれた。この最初期の城があったと思われる場所は「ボーレイ・ヒル” Boley Hill”」の名で呼ばれている。この頃のガンダルフによる石製の城壁が現在も残っている。 1127年、ヘンリ1世の命により旧来の城は破棄されて、新たにカンタベリー大司教ウィリアム・デ・コルベイル(” William de Corbeil”、フランス語” Guillaume de C

    ロチェスター城” Rochester Castle ”~中世イングランドにそびえる摩天楼 | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • コルチェスター城~ローマ帝国の栄光を受け継ぐノルマン征服の象徴 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    「カムロドゥヌムにあるローマ時代(一世紀)の門、バルケルン門の復元図」 © Carole Raddato from FRANKFURT, Germany / CC BY-SA (wikimedia commonsより) コルチェスター城があるコルチェスター市の歴史は非常に古く、紀元前一世紀、ケルト系の戦争神カムルス” Camulus”が祀られた聖地カムロドゥノン” Camulodunon”であった。一世紀、ローマ帝国軍の侵攻が開始した時はトリノヴァンテス族の主要な集落(オッピドゥム” Oppidum”)となっており、ブリタニア属州が成立すると属州全体の州都カムロドゥヌム” Camulodunum”としてローマ式の城塞都市(カストルム” castrum”)が築かれた。 西暦60年または61年、イケニ族の女王ブーディカ” Boudica”の反乱に際して、ブーディカ軍がカムロドゥヌム近郊の戦いで

    コルチェスター城~ローマ帝国の栄光を受け継ぐノルマン征服の象徴 | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • ペヴェンジー城”Pevensey Castle”~イングランド沿岸防衛の要衝の歴史 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    「ペヴェンジー城全景」 Pevensey_Castle_aerial_view.jpg: Lieven Smitsderivative work: Hchc2009 / CC BY-SA(wikimedia commonsより) ペヴェンジー城は古代ローマ時代の砦の跡地に建てられている。アンデリトゥム” Anderitum”またはアンデリダ” Anderida”の名で知られるこの砦は、ローマ帝国支配下ブリタニア属州時代の西暦290年頃(注1)に築かれ、沿岸防衛の基地としてローマ帝国艦隊が駐留していた。現在は平地が広がって海岸線より内陸に位置しているが、当時は海岸に突き出した半島上に位置していた。 三世紀末、ブリタニア属州を統治していた将軍がカラウシウスである。西方皇帝マクシミアヌス帝(在位286~305年,306~308年)は北海沿岸の防衛強化のため、ブリタニア属州でカラウシウスを司令官と

    ペヴェンジー城”Pevensey Castle”~イングランド沿岸防衛の要衝の歴史 | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • ダノター城”Dunnottar Castle”~スコットランドの美しき名城の歴史 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    ダノター城はスコットランド北東部最大の州アバディーンシャーの主要都市ストーンヘイヴンから約三キロ南にある、北海に突き出した広さ約1.4ヘクタールの岬の頂上部に位置している。 伝説では、ピクト人への布教で知られる修道士聖ニニアン(432年没)が五世紀頃にこの地に礼拝堂を建てたという。「アルスター年代記” Annals of Ulster”」には681年と694年にダノターに築かれた砦への包囲戦が行われたとされている(注3)。また、西暦900年、スコットランド王国の前身であるアルバ王国の王ドナルド2世(在位889~900年)がヴァイキングの攻撃を受けてポッター城(オッピドゥム・ポッター” Opidum Pother”)で殺害されたとの記録が「スコットランド年代記”Scottish Chronicle”」にあり、このポッター城がダノター城と見られている(注4)。 スコットランド王ウィリアム1世(

    ダノター城”Dunnottar Castle”~スコットランドの美しき名城の歴史 | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • ボディアム城~中世イングランド屈指の優美な水城 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    城を築いたエドワード・ダリングリッジ(” Edward Dalyngrigge”,1346年頃生~1393年没)はサセックスの小領主の子として生まれたが財産の継承権は無かったため、高名な傭兵隊長ロバート・ノールズ配下の傭兵として1367年頃から1377年にかけて百年戦争に参加してフランス各地を転戦、戦功によって財産を築いた。1378年、ボディアム領主家の女性と結婚してボディアム一帯を所領とし、1379年、騎士に叙されて1388年までサセックス州議会の議員を務めるとともに、1381年の「ワット・タイラーの乱」鎮圧にも貢献した。 1385年、ダリングリッジはフランスがイングランドへ侵攻してきた場合の備えという名目でリチャード2世に築城を申し出て許可されると、それまでのボディアム家の館に代わる自身の居城として城を築いた。 城の特徴 ボディアム城は十三世紀末からイングランドで登場したキープ(天守塔

    ボディアム城~中世イングランド屈指の優美な水城 | Call of History ー歴史の呼び声ー
    kousyou
    kousyou 2020/06/05
    更新しました。
  • nix in desertis:『岳人』「戦国の山」特集(2017年12月号・2019年12月号)

    登山雑誌はたまに買って読んでいるのだけど,面白かったので紹介しておく。モンベルが出している『岳人』の2017年12月号の特集が「戦国の山」で,好評だったがために2019年12月号の特集「続・戦国の山」であった。 まず2017年12月号の方から。取り上げられているのは丹沢・犬越路,小谷城,千草越,岩村城,天目山,天王山,賤ヶ岳,長谷堂城,越前大野城&戌山城,備中松山城,竹田城,坂戸城,岩櫃城,高根城,城井ノ上城,最後に佐々成政のさらさら越え。この他に縄張り図や用語解説,戦国時代の兵糧(干飯・芋茎の縄・兵糧丸等)レシピと実感想レポートがついている。 賤ヶ岳は『ヤマノススメ』9巻でも登場していた。戦国の山の代表例と言えるかも。中川清秀の墓もあるので,『へうげもの』の聖地でもある。小谷城は麓に名物旅館があって,それも込みで去年に友人と行ってもいいかもという話をしていたが,どうせなら日百名山にし

    kousyou
    kousyou 2020/03/27
    城名の列挙みてハーレムだ!と思ってしまい、城名をみると二次元美少女の絵が浮かぶ謎の病を発症していることに今気付いた/北条氏の城回ったときもこのテクニカルさ頭おかしいってなったので多分皆頭おかしい
  • 『中世ヨーロッパの城の生活 (講談社学術文庫) 』J・ギース/F・ギース 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    講談社学術文庫の中世ヨーロッパを扱ったシリーズとしてアメリカ歴史作家ジョセフ・ギースとフランシス・ギース夫の「中世ヨーロッパの城の生活」「中世ヨーロッパの都市の生活」「中世ヨーロッパの農村の生活」の三冊は最早定番となっているが、その最初の一冊である。2005年刊(原著は1977年)。 ノルマン・コンクエスト直後の1067年、ウェールズ地方に築かれたチェプストー城を中心に、十二世紀から十三世紀にかけての城を取り巻く様々な人々の生活の様子を、豊富な史料を取り上げつつ描いたで、当時の人々の姿が浮き彫りになっていてとても面白い。 書では「まえがき」でチェプストー城の特徴や歴史的展開が、「第一章 城、海を渡る」でノルマンディー公ギヨーム2世(のちのイングランド王ウィリアム1世)によるノルマン・コンクエストと、ノルマン人によるブリテン島各地へのモット・アンド・ベイリー式城塞の建造、そして石造城

    『中世ヨーロッパの城の生活 (講談社学術文庫) 』J・ギース/F・ギース 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー
    kousyou
    kousyou 2020/03/11
    更新しました。ウェールズ地方のチェプストー城を中心に、豊富な史料を踏まえて当時の人々の生活を描き、講談社学術文庫の中世ヨーロッパを扱ったシリーズとして定番中の定番となっている一冊です。
  • チェプストー城” Chepstow Castle “~ウェールズにある英国最古の石造城址 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    ヨーロッパの城「チェプストー城(左:マーテン塔)」 © Rory Lawton / CC BY-SA (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0) チェプストー城” Chepstow Castle “は英国ウェールズ地方モンマスシャー” Monmouthshire ”にある中世城塞。1067年、イングランド王ウィリアム1世の重臣ウィリアム・フィッツオズバーンによって築かれ、ウェールズ侵攻の軍事拠点として活用された。プランタジネット朝初期の四人の王に仕えた著名な騎士ウィリアム・マーシャルの居城となる。石造としては英国で現存する最古の城で、第一級イギリス指定建造物に登録されている。 築城チェプストー城は1067年頃、征服王ウィリアム1世の重臣初代ヘレフォード伯ウィリアム・フィッツオズバーン” William FitzOsbern, 1st E

    チェプストー城” Chepstow Castle “~ウェールズにある英国最古の石造城址 | Call of History ー歴史の呼び声ー
    kousyou
    kousyou 2020/03/07
    更新しました。ウェールズとイングランドの境界にある要衝の城の紹介です。高名な騎士ウィリアム・マーシャルの居城で、現存する英国最古の石造の城として知られます。ドローンでの空撮動画付き。
  • シャトー・ディフ” Château d’If”~地中海に浮かぶ監獄城の歴史 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    築城までシャトー・ディフは1520年代にフランス王フランソワ1世の命でマルセイユ沖にあるラトノー” Ratonneau” 島など四つの島で構成されるフリウル諸島” Îles du Frioul”の一つイフ島に築かれた。フリウル諸島はその位置ゆえに古くから砦が築かれるなど地中海の要衝として重視されていた。 インドサイ来訪1516年1月23日、ポルトガル王マヌエル1世” Manuel I de Portugal”が教皇レオ10世に贈ろうと輸送中のインドサイがイフ島に立ち寄り、これを一目見ようとフランス王フランソワ1世も駆けつける騒ぎになった。このサイはグジャラート・スルターン朝のムザッファル・シャー2世(“Muzaffar Shah II”,グジャラート語” મુઝફ્ફરશાહ બીજો ”)からポルトガル王に贈られたもので、アルブレヒト・デューラー” Albrecht Dürer ”の木版

    シャトー・ディフ” Château d’If”~地中海に浮かぶ監獄城の歴史 | Call of History ー歴史の呼び声ー
    kousyou
    kousyou 2020/02/18
    更新しました。十六世紀、マルセイユ沖のイフ島に築かれ、監獄として使われた城の歴史をまとめました。アレクサンドル・デュマ「モンテ・クリスト伯」の舞台として有名になりました
  • フジェール城” Château de Fougères”~フランス史を動かし続けた要衝 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    フジェール城(” Château de Fougères”)はフランス・ブルターニュ地方(現在のブルターニュ地域圏イル=エ=ヴィレーヌ県フジェール)にある城塞。ブルターニュ地方とノルマンディー地方の境界にあり、フランスの歴史上、ブルターニュ地方の要衝として繰り返し戦いの舞台となった。公益財団法人日城郭協会選「ヨーロッパ100名城」の一つ。 築城最初の城は十一世紀、一帯を支配するようになったフジェール家(注1)が築いた。十二世紀、ブリテン諸島からフランス西半分にいたる広大な領域を支配しアンジュー帝国を樹立したイングランド王ヘンリ2世は、1166年、ブルターニュへ侵攻し、フジェール城を攻略した。このとき破壊された石造のドンジョン(天守塔)の遺構が現在も残っている。 このあとブルターニュ公コナン4世はヘンリ2世の子ジョフロワと娘コンスタンスの結婚並びに譲位を承認し、ブルターニュ公領はアンジュー

    フジェール城” Château de Fougères”~フランス史を動かし続けた要衝 | Call of History ー歴史の呼び声ー
    kousyou
    kousyou 2020/02/16
    更新しました。要衝ゆえアンジュー帝国、百年戦争、二度のフランス統一戦争、フランス革命までフランス史のターニングポイントに常に登場する名城の歴史をフランス史上のオールスター登場でまとめました。
  • ガイヤール城(シャトー=ガイヤール)~要害堅固な獅子心王の城の攻防 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    「ガイヤール城(” Château-Gaillard ” , シャトー=ガイヤール)」はフランスのノルマンディー地域圏ウール県レザンドリー(” Les Andelys”)にある城塞。イングランド王リチャード1世によって1196年から98年にかけて約二年で築城された大規模城塞で、リチャード1世死後の1204年、フランス王フィリップ2世の包囲によって占領された。

    ガイヤール城(シャトー=ガイヤール)~要害堅固な獅子心王の城の攻防 | Call of History ー歴史の呼び声ー
    kousyou
    kousyou 2019/12/19
    更新しました。獅子心王リチャード1世が巨費を投じて築いたフランスを代表する堅城です。ガイヤール城(シャトー=ガイヤール)包囲戦についてもまとめています。
  • 首里城で火災「正殿」などが全焼 那覇 | NHKニュース

    那覇市にある「世界遺産」の首里城跡に復元された首里城で起きた大規模な火災では、「正殿」など主要な建物が全焼し、琉球王国時代から伝わる貴重な収蔵品の多くが焼けたものとみられています。警察などは、あす(1日)午前から現場で検証を行うなどして詳しい出火原因を調べることにしています。 31日未明から那覇市にある首里城で11時間にわたって続いた大規模な火災では、城の主要な建物の「正殿」や「北殿」、それに「南殿」などが全焼しました。

    首里城で火災「正殿」などが全焼 那覇 | NHKニュース
  • 「中世ヨーロッパの城塞」J・E・カウフマン ,H・W・カウフマン 著

    映画やファンタジー作品などでも馴染み深い中世ヨーロッパの城について、歴史や構造、関連知識を豊富な図版とともに網羅的に解説した一冊である。 中世ヨーロッパの城と言われて我々が思い浮かぶ石造りの城が登場するのは十一世紀で、それ以前は木材と土を組み合わせた城塞が築かれていた。石材を使った建築はローマ帝国時代に発展したが、帝国の秩序が崩壊した後はローマ時代の城壁や建築物を活用したり、前述のように天然の地形の上に木材や土を使っての築城が主だった。ビザンツ帝国では既存の城壁都市を増築・修築してイスラーム勢力に対抗し、イベリア半島では西ゴート人が煉瓦造の小規模築城で凌ぎ、フランク王国では城塞というよりは部隊の詰め所的な木造の拠点が各地に築かれていた。 フランク王国の分裂後、諸侯乱立の戦国時代を迎えて、各地に新興勢力が台頭する中で、自身の所領の拠点として城が築かれるようになり、まずは北フランスのノルマンデ

    「中世ヨーロッパの城塞」J・E・カウフマン ,H・W・カウフマン 著
    kousyou
    kousyou 2019/06/21
    更新しています。中世ヨーロッパの城について歴史や構造、攻囲戦など基本が豊富な図版とともに網羅的に解説されたお勧めの一冊の紹介です。
  • マスター・ジェイムズ~中世ヨーロッパ屈指の築城の名手

    「築城の名手」で思い浮かぶ人物というと誰だろう?藤堂高虎?加藤清正?それとも黒田官兵衛や太田道灌?日の城だとそうだろうが、中世ヨーロッパにも築城の名手がいた。セント・ジョージのマスター・ジェイムズ(” Master James of Saint George ”,1230頃~1309)である。 マスター・ジェイムズはサヴォワ地方(現在のフランスとスイスの国境付近)出身、石工の家に生まれ、サヴォワ伯フィリップ1世の下で多くの城を築いたあと、イングランド王エドワード1世に招かれて征服したばかりのウェールズ地方に次々と築城した。イングランド王国によるウェールズ支配の拠点城塞網「アイアンリング」の異名で知られる堅城揃いで、そのうちカーナーヴォン城、コンウィ城、ハーレック城、ビューマリス城は世界遺産『グウィネズのエドワード1世の城郭と市壁』に登録されている。 サヴォワで彼の仕事として知られているの

    マスター・ジェイムズ~中世ヨーロッパ屈指の築城の名手
    kousyou
    kousyou 2019/06/05
    更新しています。イングランド王エドワード1世に仕え、ウェールズ地方に多数の城を築いた中世ヨーロッパを代表する建築家です。
  • 女子高生と一緒にレッツ登城!『東京城址女子高生 1,2巻』(山田果苗 作)感想

    高校二年生の広瀬あゆりは交際中の彼氏の浮気疑惑から言い合いとなり、その腹いせにペットボトルをゴミ箱に投げ入れるが大きく外して、近くの女の子の後頭部にクリーンヒット!平謝りで負い目を感じるあゆりは彼女、持田美音(みおん)の言うがままに城址歩きに付き合わされることになる・・・という導入です。 現在二巻まで発売中で、第一巻で紹介されるのは世田谷城、石浜城、深大寺城、江戸城、稲付城、成宗城。第二巻では渋谷城、高幡城、平山城、郷城、松城が紹介されます。城のラインナップを見てもわかる通り、城として建物が健在なのは合宿として遠出することになる長野県松市の現存十二天守松城と現皇居として一部の建物が残る江戸城だけ、残りは遺構が残っていればいい方な城址揃いです。まぁ東京なので自ずとそうなるのですが。あゆりを半ば強引に連れまわす美音の好みはお城ファンの中でも比較的コアな部類に属する、「遺構すらなくても大

    女子高生と一緒にレッツ登城!『東京城址女子高生 1,2巻』(山田果苗 作)感想
    kousyou
    kousyou 2019/04/05
    更新しました。滝山城早く行こう。あと九品仏の奥沢城址から等々力渓谷の王道コースも期待している。二巻で登場の紺野亜子ちゃんが天使。
  • 岐阜)11月の来場者数が過去最多 「山城No1」人気:朝日新聞デジタル

    標高432メートル、眼下の木曽川からは170メートル。そんな高所にある岐阜県中津川市の「苗木城跡」(国指定史跡)の11月の来場者数が、月としては過去最多の1万3620人を記録した。専門誌「日の城ベストランキング」(晋遊舎)の「山城」部門で1位に選ばれたことに加え、積極的なPRが功を奏した。 苗木城は木曽川沿いの岩山に戦国時代に築かれ、江戸期は遠山家が苗木藩主として居城。壁の色から「赤壁城」とも呼ばれ、約1万石の小藩ながら山頂には3層の天守もあったという。現在は、城跡にやぐら風の展望台が立つ。随所にある自然の巨岩と人の手による石垣の混合、川と山々を望む絶景が高い評価につながった。 「1位効果」は顕著だった。「日の城ベストランキング」が出版された4月は、月間来場者が前月の倍近い1万905人となった。暑かった7~9月こそ前年を下回ったが、10月には月間の最多来場者数を更新。11月はそれを上回

    岐阜)11月の来場者数が過去最多 「山城No1」人気:朝日新聞デジタル
    kousyou
    kousyou 2018/12/15