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平安と心理に関するkousyouのブックマーク (1)

  • なぜ崇徳上皇は怨霊になったのか? | Kousyoublog

    保元元年(一一五六)、後白河天皇との対立によって発生した政変「保元の乱」に敗れた崇徳上皇は讃岐国へ配流となる。わずかな女官らとともに極楽浄土への往生だけを願いとして静かな余生を送り、長寛二年(一一六四)、その不遇の生涯を閉じた。「思ひやれ 都はるかに おきつ波 立ちへだてたる こころぼそさを」(風雅和歌集)心細い思いを歌に詠み、失意のうちに亡くなった孤独で無力な元天皇が怨霊となったのは、安元二年(一一七六)年から翌安元三年(一一七七)にかけてのことだという。この頃京都には不穏な空気が蔓延していた。安元二年六月十三日  二条天皇の中宮高松院妹子死去 安元二年七月八日   後白河院の女御で平清盛の義妹建春門院滋子死去 安元二年七月十七日  後白河院の孫、第七十九代天皇であった六条院が十三歳の若さで死去 安元二年八月十九日  近衛天皇の中宮九条院呈子死去 安元三年四月十三日  延暦寺の僧侶による

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    kousyou 2014/07/25
    2012年5月の過去記事です。
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