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思想と教育に関するkousyouのブックマーク (10)

  • 育鵬社の公民教科書が話題に…

    天むす名古屋 Temmus 𓃠 @temmusu_n #と教 江戸しぐさは、「歴史改竄学」(仮称)の一分野だが、 育鵬社の現行の中学公民の教科書が史実として記述している。http://t.co/1i2ljmChNMは、当該箇所を含む教科書文。http://t.co/7HQuZo8JrOは著者ら。 2014-04-30 21:57:32 天むす名古屋 Temmus 𓃠 @temmusu_n #と教 『新しいみんなの公民』(育鵬社。2012年)の9頁には江戸しぐさ以外にもいろいろ注文を付けたいが、とりあえず題に集中する。コラムの記述は、江戸しぐさという名称自体は最近のものというが、しぐさの名称と絵付きの説明がある。 http://t.co/HVh34HxhR8 2014-04-30 22:10:01

    育鵬社の公民教科書が話題に…
    kousyou
    kousyou 2014/05/01
    サムシング・グレートとシグサ・ザ・エドーって書くとキン肉マンの超人ペアっぽくなる。サムシング・グレートってやっぱりサムソン・ティーチャーなんだろうか(違
  • 「大学教育について (岩波文庫)」ジョン・スチュアート・ミル 著

    近代自由主義思想に多大な影響を与えたジョン・スチュアート・ミルが1865年にスコットランドのセントアンドリューズ大学名誉学長に就任したとき大学教育の普遍性・重要性について長々と語った就任演説の翻訳。なんでも二時間(または三時間という説も)語り続けたというから、お疲れ様である。しかし、このスピーチの草稿執筆のために就任を一年延ばしただけあって、当時の大学教育、とくに一般教養を学ぶ意義について、時代を越えて響いてくる内容になっている。 とはいえ、150年前のこと、当時と現代とでは大学の置かれた状況は大幅に違うし、各種学問分野も比べ物にならないほど格段の進歩があり、「大学教育について」というよりは「学ぶことについて」あるいは「教養について」という方が的確かもしれない。しかし、確かに個別的に各学問について語った内容は時代性を反映しているものの、そのスピーチの質は今でも普遍性を持っていると思う。

    「大学教育について (岩波文庫)」ジョン・スチュアート・ミル 著
  • SYNODOS JOURNAL : 斜めからみる「日本のポストモダン教育学」 稲葉振一郎

    2011/8/1215:0 斜めからみる「日のポストモダン教育学」 稲葉振一郎 撮影:鈴木理策 日の人文社会科学における「ポストモダニズム」の格的受容はいつごろはじまったのであろうか? 80年代初頭の浅田彰の華々しい活躍はとりわけ印象深かったが、もちろんそれに先立つ1970年代に、「1968年」の余燼冷めやらぬなか、フランス文学出自の書き手を中心に、雑誌『現代思想』や『エピステーメー』などを拠点としてジャック・デリダやミシェル・フーコーらの紹介が精力的になされてきた。 さて、そのような状況に、日教育学はどう対応していたのだろうか? 日教育学における近代批判は、内発的にはたとえば、やはりポスト「1968年」の一環としての反差別運動に呼応するかたちで現われ、すでに70年代に、障害者教育や発達心理学の内在的批判から立ち上がった反発達論(先駆的には山下恒男『反発達論』現代書館、197

  • 日の丸・君が代「予防訴訟」東京高裁判決 - 夜明け前の独り言 弁護士 水口洋介

  • リベラルな教育? - shinichiroinaba's blog

    「「リベラリズム教育学」というものは存在しえないのではないか」と以前研究会で話したことがある。 無償かつ強制的な公教育というものについて考える。リベラル教育というものはこのような公教育を肯定し、なおかつその内容については統制を可能な限り廃しようという立場だが、それは「思想」として一貫したものであるかどうかは疑わしい。 「共和主義」だの「共同体主義」だのにおいては、無償かつ強制的な公教育は当然に容認どころか要請される。人は有徳な者へと規律訓練されねばならない。そしてその世界ではある意味堂々と人は差別され、格付けされる。人はひとかどのものに――少なくとも「一人前」にならねばならず、そうなれなければ蔑視される。 リバタリアンな、あるいはアナーキーな社会においては、公教育の意義は基的に否定される。人はそのままで尊厳ある存在として承認される――「一人前」でない者などいない――のであり、強制による

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  • 日本のポストモダン教育学の原点? - shinichiroinaba's blog

    森直人のエントリに補足。 ただ単にイリイチ流脱学校論のアカデミック教育学における受容のさきがけというにとどまらず、日社会科学におけるポストモダニズム受容の、最初期における水準を示すと思われる、故森重雄の「批判的教育社会学」の問題意識は大略以下のようなものである; 「教育」というカテゴリーは決して自明の、あるい歴史貫通的に人類普遍の何ものかではない。伝統的な(規範的)教育学はしばしばそのことに盲目であった。そもそも「教育学」は「教育」という対象を分析する科学ではなく、「教育」という営みの内在的構成要素である。 これに対して「教育社会学」は「教育」を外的な対象とし、その客観的な分析を標榜する。しかし素朴なタイプの「教育社会学」=「社会学的教育分析」は「教育」という対象の実在性も、「社会学」という方法の堅固さも疑わず、「社会学」によって「教育」を分析しようとする。 しかし第一に、そもそも「教育

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  • 保守的なおかあさんになりきってみる実験 @mt_mm_coさん

    マツ @mt_mm_co ネトウヨと少し違うのですが、私には小学生の子どもがいるんですが、そのお母さん知り合いの中に、ものすごく保守的で攻撃的で自己責任論大好き、なお母さんが、けっこういます。すごくそういう人が嫌で、この人はなんなんだろうとずっと考えていました。 @Qual1ty 2010-03-10 21:39:42 マツ @mt_mm_co ウヨクとあだ名していましたが、ついったーで色々教えてもらったことからするとそれもしっくりこない。昨日ファシストなのかなと思いつきました。大阪のハシモトみたいな感じなんです。@Qual1ty 2010-03-10 21:43:56 マツ @mt_mm_co そのファシストお母さん連中はPTA活動にも熱心で、大声で他を圧倒し、先生にもえらそうに威張りまくり、非日人の子ども、部落の子どもが、母子家庭など、貧乏、障害、とにかく全部自己責任であり、批判され

    保守的なおかあさんになりきってみる実験 @mt_mm_coさん
  • 「ジェンダー入門」とネトウヨ君 - Ohnoblog 2

    また何年か前の話だが、「ジェンダー入門」の授業の単位認定レポートに、こちらの指定した課題(自分で映画を選び分析する)を無視して、攻撃と怒りと恫喝を延々と書き連ねてきた男子学生がいた。 内容を超要約すると、「フェミニズム及びジェンダー論は、フェミナチが日を共産主義化して乗っ取るためにでっち上げた陰謀である。男女の役割はすべて生物学的に決定されているのに、フェミナチは性差そのものをなくそうとしている。こうした危険思想の下に講義をしている大野は、憲法が保証する思想・信条の自由を侵犯しているので、告訴することも可能である」。 いや、あの思わず笑った人はいるかもしれないけど、当にこういう内容だったのです。だいぶん前からあちこちで見られるネトウヨ的言説を、適当にコラージュしたみたいな。botが書いたかと思ったが手書きだ。 ちなみに冒頭には「皇紀○○○○年」とあった。この牧歌的な学校にもこういう学生

    「ジェンダー入門」とネトウヨ君 - Ohnoblog 2
  • 学生運動の季節再び?

    映画『いちご白書』で有名になったコロンビア大学のベトナム反戦運動から40年、この2009年11月現在、カリフォルニア州立大学システム(UC)では学生と学校当局が激しく対立しています。原因は学費値上げへの反対ということで、これも「あの時代」の学生運動を思わせるものです。ガス銃を構える警官隊、通りを占拠するような大規模なデモ、キャンパスの中庭で行われた学生集会、シュプレヒコールの叫び、学校「当局」の会議への乱入、数日にわたる建物の占拠、そして100人規模の逮捕者と、ま るで半世紀の時間をタイムスリップしたようなシーンがTVニュースでは続きました。 発端は学費値上げのショックに始まります。先週、UC(LA、サンタバーバラ、バークレー、サンフランシスコ、サンタクルーズ、デービス、アーバイン、マーセド、リバーサイド、サンディエゴ)では経営危機への対策として、授業料アップを発表したのですが、その内容は

  • 教育のもたらす利益について - 内田樹の研究室

    経済協力開発機構(OECD)は8日、加盟国の06年国内総生産(GDP)に占める教育費の公財政支出割合について調査結果を公表、比較が可能な28カ国で日は3・3%と下から2番目だった。 平均は4・9%。1位はアイスランドの7・2%、デンマーク、スウェーデンが続き、北欧が上位を占めた。日は最下位だった05年調査の3・4%より0・1ポイント減少。 日は小中高までの初等中等教育は2・6%で下から3番目、大学などの高等教育は0・5%と各国平均1%の半分で最下位。 全教育費に占める私費負担の割合は33・3%と韓国に次いで2番目に高く、平均の2倍以上だ。 日は、高等教育への財政支出対GDP比率が先進国最低の国である。 文科省はこれを5%にと要望したが、財務省に一蹴された。 教育は私事であるから、公的支援には及ばないというふうに考えておられるのであろう。 教育は自己責任で行え、と。 行政を頼るな、と

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