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明治とアメリカに関するkousyouのブックマーク (1)

  • ペリー艦隊の日本人、サム・パッチこと仙太郎の生涯

    史の画期となった嘉永六年(1853)の黒船来航時、ペリー艦隊の中に水夫として一人の日人がいた。彼は安芸(現在の広島県)出身の船乗りで、乗っていた船が嵐にあい漂流、米国船に救出された後、志願してペリー艦隊の水夫となった。日名は諸説あるが仙太郎、水夫たちの間ではサム・パッチと呼ばれていた。 仙太郎は天保元年~二年(1831)頃、瀬戸内海に浮かぶ生口島で生まれた。長じて船乗りとなり、嘉永三年(1850)、新たに建造された栄力丸の炊(かしき=料理担当)として雇われる。栄力丸は大坂・江戸間で酒樽を輸送する樽廻船で、船頭(船長)万蔵以下十七名の船員で運行されていた。 栄力丸乗組員名簿(足立「黒船に乗っていた日人」および「社団法人 全日船舶職員協会「黒船に乗った日の漂流船員」村上 貢(弓削商船高専・岡山商大名誉教授)」より) 万蔵(船頭)、長助(舵取)、浅五郎(賄方)、甚八、幾松、喜代蔵、

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