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沖縄に関するkousyouのブックマーク (73)

  • 百田氏発言をめぐる琉球新報・沖縄タイムス共同抗議声明 - 琉球新報デジタル

    百田尚樹氏の「沖縄の2つの新聞はつぶさないといけない」という発言は、政権の意に沿わない報道は許さないという”言論弾圧”の発想そのものであり、民主主義の根幹である表現の自由、報道の自由を否定する暴論にほかならない。 百田氏の発言は自由だが、政権与党である自民党の国会議員が党部で開いた会合の席上であり、むしろ出席した議員側が沖縄の地元紙への批判を展開し、百田氏の発言を引き出している。その経緯も含め、看過できるものではない。 さらに「(米軍普天間飛行場は)もともと田んぼの中にあった。基地の周りに行けば商売になるということで人が住みだした」とも述べた。戦前の宜野湾村役場は現在の滑走路近くにあり、琉球王国以来、地域の中心地だった。沖縄の基地問題をめぐる最たる誤解が自民党内で振りまかれたことは重大だ。その訂正も求めたい。 戦後、沖縄の新聞は戦争に加担した新聞人の反省から出発した。戦争につながるような

  • ヌンチャク - Wikipedia

    この項目では、武器について説明しています。家庭用ゲーム機のWiiの拡張コントローラについては「Wiiリモコン#ヌンチャク」を、日のバンドについては「ヌンチャク (バンド)」を、ロッククライミング用具については「クイックドロー(英語版)」をご覧ください。 この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2018年9月) ヌンチャク(英: nunchaku)は、沖縄の琉球古武術の武器の一種である。ブルース・リーのカンフー映画によって世界的に広く知られるようになった。 概要[編集] 様々なヌンチャク 形状は2の同じ長さの棒を紐や鎖で連結したもので、来定寸はないが一般的には棒の長さ250 - 450 mm程度、太さは24 mm - 36 mm程度、連結する紐や鎖の長さは100 - 180 mm前

    ヌンチャク - Wikipedia
    kousyou
    kousyou 2015/06/24
    “沖縄では馬具「ムーゲー」からの発生説が一般にはよく知られているが、他にも麦や稲の脱穀用具「車棒(くるまんぼう)」からの発生説などもある。また、近年では中国から沖縄への伝播説なども唱えられている。”
  • 「かつお節と日本人」宮内 泰介、藤林 泰 著

    お吸い物、麺類のスープの調味料として出汁をとったり、料理に混ぜたり、サラダなどのトッピングにしたりと、現代日生活に欠かせないかつお節だが、この誕生から一般化の過程は、日、沖縄、そしてインドネシアやミクロネシア連邦に至る広大なかつお節ネットワークの形成を特徴としている。 現在のかつお節の原型が誕生した江戸時代中期から現在までの三百年、日から東南アジア諸地域までの四千キロに及ぶかつお節ネットワークはどのようにして形作られてきたのか、かつお節生産に携わった様々な人びとのオーラルヒストリーを丁寧に集めつつ、その緩やかなグローバル化の過程を鮮やかに描いた一冊である。新書ながらなかなか読み応えあって面白かった。 干物や燻製などのかつお節の原型はかなり古くから存在していたが、現在のようなかつお節が生まれたのは江戸時代中期、十七世紀末の土佐だったと言われている。土佐から紀州へと製造法が伝わり、大

    「かつお節と日本人」宮内 泰介、藤林 泰 著
  • <社説>ナイ氏発言 沖縄に犠牲強いるのは誰か

    近代国家である限り、公権力の暴虐を戒めるのはまっとうな感覚であろう。民主主義の国に生きているなら当然の見解ともいえる。 ジョセフ・ナイ元米国防次官補(現ハーバード大教授)が2日、琉球新報の取材に対し、普天間飛行場の名護市辺野古移設について「沖縄の人々の支持が得られないなら、われわれ、米政府はおそらく再検討しなければならないだろう」と述べた。沖縄の民意に逆行して工事が進むことへの懸念を明快に示した形だ。 ナイ氏は米外交政策に最も影響力を持つ国際政治学者だ。米国務長官に助言する外交政策委員会のメンバーでもある。いわば米外交の主流中の主流だ。 これに対し日の外交当局、政治の主流派は辺野古強行の大合唱である。沖縄の民意を正当に受け止める発言が、沖縄が属する日からでなく、米国から出てくるばかりなのが残念でならない。 安倍晋三首相や菅義偉官房長官は「辺野古が唯一の選択肢」と繰り返す。だが、当の米国

    <社説>ナイ氏発言 沖縄に犠牲強いるのは誰か
  • 薩摩は琉球より格下!? - 目からウロコの琉球・沖縄史

    薩摩といえば1609年に琉球王国を占領した「支配者」です。琉球は薩摩に毎年税を払い、あいさつに出向き、さまざまな政治的な制約を受け、いわば「子分」のような存在になってしまったわけです。しかし、かつては琉球王国が薩摩の上に立ち、薩摩がへりくだっていたとしたら?「まさか!あんなに強い薩摩が弱小の琉球王国の下につくなんて考えられない!」と思う読者もいることでしょう。しかし最近の琉球と薩摩との関係を分析した歴史研究では、驚くべき説が出されています。 1500年代はじめの尚真王の時代、琉球は中央集権化を達成して八重山や久米島を征服、奄美大島にも攻め込んで反乱を鎮圧し、琉球史上の最大版図を築いていました。一方の薩摩は島津の分家がそれぞれ分裂して、守護職をもつ島津宗家に対抗し、さらに国人領主も台頭、島津氏領国は統一にはほど遠い状態でした。さらにこうした内乱に乗じて日向(宮崎県)の伊東氏や肥後(熊県)

    薩摩は琉球より格下!? - 目からウロコの琉球・沖縄史
  • <1>「自治は神話」演説 1963年3月6日朝刊 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

    特集 <1>「自治は神話」演説 1963年3月6日朝刊2009年3月6日  Tweet 「自治は神話である」―。1963年3月5日、キャラウェイ高等弁務官は那覇市内・ハーバービュークラブの「金門クラブ3月月例会」に招かれ演説。翌6日の琉球新報朝刊は1面で演説内容を次のように記す。  「自治とは現代では神話であり存在しない。琉球が再び独立国にならないかぎり不可能」「琉球政府への権限委譲は行政命令にも規定し、努力も払われているが現在の琉球政府の状態ではまだまだ」 演説は県民の「自治権拡大」の熱望に冷水を浴びせ、同日夕刊で立法院野党各党は猛反発した。 「沖縄が植民地であることを弁務官自身が裏づけた民主主義の否定」(安里積千代社大党委員長)、「弁務官は法なりの独裁支配、植民地支配」(岸利実社会党政審会長)、「沖縄県民の解放の盛り上がりに弁務官が直接統治による弾圧に出ることを示す」(古堅実吉人

    <1>「自治は神話」演説 1963年3月6日朝刊 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース
  • 林農相 沖縄県知事指示の効力一時停止へ NHKニュース

    沖縄のアメリカ軍普天間基地の移設計画を巡り、沖縄県の翁長知事が名護市辺野古沖での作業を中止するよう指示を出したことについて、林農林水産大臣は知事の指示の効力を一時的に停止することを決定する方針を固めました。 これに対して沖縄防衛局は、知事の指示の取り消しを求めるとともに、取り消しの審査が終了するまでの間、知事の指示の効力を一時的に停止するよう林農林水産大臣に申し立てを行いました。 これを受けて林農林水産大臣は、申し立てが妥当かどうか判断するため、沖縄県に意見書の提出を求めるなどして審査を行った結果、知事の指示の効力を一時的に停止することを決定する方針を固めました。 農林水産省は、この方針を週明けの今月30日にも沖縄防衛局と沖縄県に文書で通知し、判断した理由も明らかにすることにしています。 翁長知事は、沖縄防衛局が名護市辺野古沖でのすべての作業を1週間以内に中止しない場合、前の知事が出した、

  • 普天間移設で政府と沖縄県の対立深まる NHKニュース

    沖縄のアメリカ軍普天間基地を巡って、政府は、名護市辺野古への移設に向けた作業を着実に進める構えなのに対し、沖縄県の翁長知事は、埋め立て工事のための許可を取り消すこともありうるなどとしており、双方の対立が深まっています。 沖縄のアメリカ軍普天間基地の移設計画で、政府はアメリカとの合意に基づき、2022年度中に名護市辺野古の沿岸部への移設を完了させる方針で、コンクリートブロックを設置するなど作業を進めています。 これについて、沖縄県は26日、沖縄防衛局が設置したコンクリートブロックの現地調査を初めて行い、県の許可した区域の外で海底のサンゴがブロック1つに押しつぶされ割れていたことを確認しました。 沖縄県の翁長知事は、この調査結果などを踏まえて、前の知事が埋め立て工事のために出した、岩礁を破砕する許可を取り消すこともありうるとしたうえで、移設計画の阻止に向けてあらゆる手法を用いて不退転の決意で臨

    普天間移設で政府と沖縄県の対立深まる NHKニュース
  • 抗議行動は「ヘイトスピーチ」 海兵隊幹部、また暴言 - 琉球新報デジタル

    在沖米海兵隊のロバート・エルドリッジ政務外交部次長が、先月公開されたインターネット番組「チャンネル桜」に出演し、米軍普天間飛行場の周辺で繰り広げられている抗議行動を「ヘイトスピーチ」と批判していたことが16日、分かった。さらに抗議行動について「県民、日国民を代表しているとは思っていないので安心してください」と述べた。 県民の多数が普天間飛行場の県外移設と早期閉鎖を求める一方、日米両政府が民意を無視して辺野古移設を強行する中、地元との対話も任務とする米軍幹部が市民の異議申し立てを「ヘイトスピーチ」と断じたことは、地元に対する姿勢が問われそうだ。 発言は1月8日公開の同放送であった。エルドリッジ氏は「ご存じのように普天間周辺でいろいろなヘイトスピーチをされている方がいる」と、オスプレイの強行配備を機に始まった抗議行動を批判した。 エルドリッジ氏は、普天間問題を含む日米の安全保障・外交政策を専

    抗議行動は「ヘイトスピーチ」 海兵隊幹部、また暴言 - 琉球新報デジタル
  • なぜ自民党は沖縄の民意を読み違えたのか? 安倍首相が辺野古移設案に絶望した日 | AERA dot. (アエラドット)

    50歳から早めの終活 人生100年時代、50歳はようやく折り返し地点といったところ。けれども、人生後半戦を安心して楽しむには、50歳から準備すべきことがたくさんあります。 老後資金はいくら必要か、年金はいくらもらえるか、お葬式やお墓はどうするか――。つい先送りしたくなる宿題への備えを取材しました。 5分でわかる! 新NISA 2024年1月から大幅な制度拡充となったNISA。何から始めていいのかいまだに分からない人も多いのでは。新NISAは制度が恒久化するだけでなく非課税投資枠が拡大し、個人投資家にとって使い勝手がいい。すでに始めた人も、そうでない人も、いまいちど制度の内容を復習しよう。

    なぜ自民党は沖縄の民意を読み違えたのか? 安倍首相が辺野古移設案に絶望した日 | AERA dot. (アエラドット)
  • 自民、沖縄全4選挙区で敗れる 辺野古移設反対派が当選 - 選挙:朝日新聞デジタル

    沖縄県では全4選挙区で自民前職の候補が敗れた。11月の知事選と同様の構図で、国による米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の移設計画に反対する4人がそろって当選を決めた。 沖縄4区では、無所属新顔の仲里利信氏(77)が自民前職の西銘恒三郎氏(60)を破り、初当選した。 元自民県議の重鎮。かつて西銘氏の後援会長だった。「辺野古容認」に転じた西銘氏に反旗を翻し、昨年から辺野古移設に反対する活動に加わった。11月の知事選に勝った翁長雄志知事側から担ぎ出され、「二度とウチナー(沖縄)に戦争をできる体制は作らせない」と支持を拡大した。 普天間飛行場のある沖縄2区では社民前職の照屋寛徳氏(69)が、移設予定地を抱える沖縄3区では生活前職の玉城デニー氏(55)が早々に当選を決めた。

    自民、沖縄全4選挙区で敗れる 辺野古移設反対派が当選 - 選挙:朝日新聞デジタル
  • 『琉球グスク研究』 縄張図で個性読み解く

    書の著者である當眞嗣一氏は、長く沖縄県教育庁に勤務し、沖縄の文化財行政に携わってきた。この間、首里城をはじめとする「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」が世界遺産登録された際には、沖縄県の作業統括責任者として奔走されたことで知られる。 このような優れた行政マンであるとともに、著者はグスクや戦跡考古学研究の第一人者でもある。その著者が在職中から取り組んできたグスク研究の成果を一つにまとめたのが書である。 「世界遺産になったグスク」「グスクとは」「グスク論争について」「グスク研究の方法と視点」「グスクの考古学」「グスク文化と沖縄」「グスクの構造と縄張りについて」「縄張構造から見たグスク」「グスク各論」「各地のグスク」の10章で構成され、文中に必要に応じて、補足が付け加えられている。 著者のグスク研究の特徴は、グスクの構造を把握するために縄張図を作成し、これを手がかりとしてそれぞれのグスクの個

    『琉球グスク研究』 縄張図で個性読み解く
    kousyou
    kousyou 2014/12/04
    そのうち読みたい
  • 「琉球国の滅亡とハワイ移民 (歴史文化ライブラリー)」鳥越 皓之 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    1879年、およそ四百五十年に渡り続いた琉球王国は日に併合(「琉球処分」)され滅亡した。滅亡後の琉球=沖縄は明治政府の支配下で伝統的共同体の崩壊と社会基盤の弱体化を招き、移民が認められた1900年代以降、大量の海外移民が送り出されていった。1940年の統計では海外移民のうち沖縄出身者は五万七千人、数だけなら広島・熊に次ぐ三位だが、県の人口比では広島3.88%、熊4.78%に対し沖縄9.97%でとびぬけて多い。全国平均で100人に一人が移民となったが、沖縄は10人に一人の割合であり、1920年代以降沖縄県出身移民は全国の移民の約20%前後を占めた。その中でもハワイへの移民が非常に多い。 書は著者が1970~80年代に行った、まだ存命の頃のハワイ移民一世~二世への聞き取り調査の記録と、琉球王国の滅亡から二十世紀初頭までの移民を押し出す要因となった社会的背景について描いた一冊である。

    「琉球国の滅亡とハワイ移民 (歴史文化ライブラリー)」鳥越 皓之 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • 時事ドットコム:沖縄独立「世論高まれば検討」=現実味は否定−山口担当相

    沖縄独立「世論高まれば検討」=現実味は否定−山口担当相 インタビューに答える山口俊一沖縄北方担当相=17日、東京・永田町 山口俊一沖縄担当相は17日、報道各社のインタビューで、英国からの独立の賛否を問うスコットランドの住民投票に関連し、沖縄県民の一部にある日からの独立論について見解を問われ、「もっと沖縄の世論としてあれば、(政府も)ちょっと検討しないといけないが、今のところそういう話は聞いていない」と述べた。  沖縄独立に関し、山口氏は「今のところ現実味は全くない」と指摘し、住民投票の可能性も「全く想定していない」と述べた。ただ、沖縄県は中国が領有権を主張する尖閣諸島を抱えており、山口氏の発言は内外に波紋を広げる可能性もある。   山口氏はスコットランドの住民投票が沖縄に与える影響については「歴史的背景も置かれた状況も全く違う。あまり影響はない」と語った。(2014/09/17-18:0

    時事ドットコム:沖縄独立「世論高まれば検討」=現実味は否定−山口担当相
  • 沖縄人ルーツ「日本由来」 南方系説を否定 | 沖縄タイムス+プラス

    琉球大学大学院医学研究科の佐藤丈寛博士研究員と木村亮介准教授らを中心とする共同研究グループは琉球列島の人々の遺伝情報を広範に分析した結果、台湾や大陸の集団とは直接の遺伝的つながりはなく、日土に由来すると発表した。これまでも沖縄島地方についての研究データはあったが、八重山・宮古地方も含め、大規模に精査した点が特徴。英国に拠点がある分子進化学の国際専門雑誌「モレキュラーバイオロジーアンドエボリューション」の電子版(1日付)に掲載された。  木村准教授は「沖縄の人々については、東南アジアや台湾などに由来するといういわゆる『南方系』との説もあったが、今回の研究はこれを否定している。沖縄の人々の成り立ちを明らかにする上で貴重なデータになる」と話している。  研究では、沖縄島、八重山、宮古の各地方から計約350人のDNAを採取。1人当たり50万カ所以上の塩基配列の違いを分析した。  また、宮古

    沖縄人ルーツ「日本由来」 南方系説を否定 | 沖縄タイムス+プラス
  • 「アジアのなかの琉球王国」高良 倉吉 著

    琉球史の第一人者高良倉吉氏が、東シナ海の中継貿易で栄えた琉球王国の姿を、琉球王国誕生前の三国鼎立時代から十六世紀末にかけての時期を中心に描いた一冊。 この時代の琉球史・琉球外交史については大まかなところを以前「琉球王国の興隆と衰退を中心に十六世紀東アジア貿易と島津-琉球外交略史」で書いたので、そのあたりの歴史については割愛して、特に当時の東シナ海沿岸諸国と琉球の密接な関係を表すエピソードを少し紹介してみる。 十五世紀の琉球が馬の産地で、明国の対モンゴル遠征で大量に馬が輸出され、その協力への報酬として、海禁政策によって海外に出られない明人に代わり、琉球が独占的に中継貿易を行うことが出来たことは書を参考として別記事でも紹介したが、そのような冊封体制下で、琉球は明国と非常に密接な交流があった。 その代表的な例が「唐営」という華人の共同体の存在である。当時、琉球に限らず、海禁政策によって故国に帰

    「アジアのなかの琉球王国」高良 倉吉 著
    kousyou
    kousyou 2014/08/31
    ブログ更新しています。
  • 沖縄の民意尊重を 国連人種差別撤廃委が日本に勧告 - 琉球新報

    国連の人種差別撤廃委員会は29日、日政府に対し、沖縄の人々は「先住民族」だとして、その権利を保護するよう勧告する「最終見解」を発表した。「彼らの権利の促進や保護に関し、沖縄の人々の代表と一層協議していくこと」も勧告し、民意の尊重を求めた。琉球・沖縄の言語や歴史文化についても、学校教育で教科書に盛り込むなどして保護するよう対策を促した。 委員会は日政府に対し、勧告を受けての対応を報告するよう求めている。 同委員会は2010年に、沖縄への米軍基地の集中について「現代的な形の人種差別だ」と認定し、差別を監視するために、沖縄の人々の代表者と幅広く協議を行うよう勧告していた。今回は米軍基地問題に言及しなかった。 最終見解は、ユネスコ(国連教育科学文化機関)が琉球・沖縄について特有の民族性、歴史文化、伝統を認めているにもかかわらず、日政府が沖縄の人々を「先住民族」と認識していないとの立場に「

    沖縄の民意尊重を 国連人種差別撤廃委が日本に勧告 - 琉球新報
  • ベトナム戦争:日本人1000人以上戦地へ 米軍に雇われ - 毎日新聞

  • 「那覇」表記の起源 - 目からウロコの琉球・沖縄史

    沖縄県の県庁所在地の那覇市。王国時代には沖縄随一の交易港として栄えました。この「那覇」という地名、一説では漁場を表わす「なば」からきてるとも、また那覇の浮島にあったキノコ状の形をした石灰岩(ナバ=奈波)からきているとも言われています。 それでは、「なは」という地名に「那覇」の漢字があてられるようになったのはいつ頃のことでしょうか。確認できるかぎりでは、1521年の三司官から種子島時堯へ宛てた書状(『旧記雑録』)。「那覇之奉行」という文言で登場します。 1542年の大内氏奉行人・相良武任の書状には「奈波」とあり(「中川家文書」)、この頃は表記が定まっていなかったようです。 1559年には「那覇主部(なはぬしべ)」から島津氏の老中あてに書状が送られていますが、ここでは「那覇」と表記されています。どうやら16世紀後半から「那覇」表記が一般的になったようです。 書状では琉球側から「那覇」と表記し、

    「那覇」表記の起源 - 目からウロコの琉球・沖縄史
  • 琉球王国の興隆と衰退を中心に十六世紀東アジア貿易と島津-琉球外交略史 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    別のテーマで書いていた記事の話のまくらとして琉球王国の興隆と衰退、琉球と島津氏の外交について五百~千文字ぐらいの気分で略史をまとめていたらやたら長くなったので個別記事として切り出してみる。 琉球王国は長く三国鼎立状態にあった沖縄島を一地方豪族から身を起こして一代で統一した尚巴志とその父尚思紹に始まる。尚巴志は統一戦争の過程で父尚思紹を王位につけ(1406年)、父の死後の1429年、沖縄島を統一(第一尚氏王朝)。しかし、尚巴志王の死後政権が安定せず、1469年、重臣金丸が王位を簒奪、尚円王を名乗り、第二尚氏王朝が成立した。以後、十五世紀末から十六世紀前半にかけて全盛期を迎え、島津氏の琉球出兵(1609年)を経て、1879年に日に併合(「琉球処分」)されるまで第二尚氏王朝が存続する。 琉球王国の隆盛は海禁政策下にあった明国の冊封体制に入ることで明と東アジア諸国とをつなぐ中継貿易によっても

    琉球王国の興隆と衰退を中心に十六世紀東アジア貿易と島津-琉球外交略史 | Call of History ー歴史の呼び声ー
    kousyou
    kousyou 2014/08/01
    id:netcraft 丁度ご指摘のような趣旨の記事を書いていたので投稿しました。ご紹介の記事は明記されていませんが内容から察するに同じ書籍を参考にしていると思います。http://kousyou.cc/archives/6855