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神道と思想に関するkousyouのブックマーク (2)

  • 『国家神道と日本人』の革新的な知見の整理 | 島薗進・宗教学とその周辺

    拙著『国家神道と日人』(岩波書店、2010年7月)については、分かりやすいだったという感想を多くちょうだいしましたが、他方で著者の意図がよく分からないといった類の感想にもしばしば出会いました。 これはこの書物が政治的な主張に主眼を置いたものではなく、数十年単位の長期的なスパンで通用する宗教史理解を示そうとしたため、また新書という形態の都合上、現在通用している理解に対してどこに革新性があるかを分かりやすく提示しなかったことによると思われます。 来年中に刊行を目指している国家神道研究の研究書においては、そのあたりをもっと明確に示すつもりですが、ここでこのの革新性の概略についてまとめておきたいと思います。参考にしていただければ幸いです. (1)皇道論の系譜として水戸学、津和野国学、そして長谷川昭道を関連づけ、そこから「大教宣布の詔」、および「教育勅語」が出て、ある種の寛容性をもちつつ、諸宗

  • イノセントな学者的欲求が犯す罪─「怒り」の理由 - ちきゅう座

    <子安宣邦(こやすのぶくに):大阪大学名誉教授> 私の批判への島薗氏による卑小な反論に釣られて卑小な回答の言葉を連らねる愚を避けて、端的にまず私の「怒り」の理由をのべよう。 現在、「国家神道」をめぐる問題があるとすれば、「国家神道」概念の見直し論としてある。この見直し論とは、アメリカの対日占領政策にもとづくいわゆる神道指令が廃止を指示した国教としての神道、すなわち「国家神道」の定義の見直しを要求するものである。神道指令はこの「国家神道」を「非宗教的ナル国家的祭祀トシテ類別セラレタル神道の一派(国家神道或ハ神社神道)ヲ指スモノデアル」と規定している。したがって見直し論はこの規定中にある神社神道の側から、「国家神道」概念の見直すことの要求として出されてきた。 だがこの見直し論は、ただ「国家神道」概念の見直しを求めるだけのものではない。現行憲法を占領軍の押しつけとして、それを見直し、自主的な改訂

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